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2012.03.30

『ラ・パティスリー』

ラ・パティスリー』(上田早夕里/ハルキ文庫)

主人公が勤める洋菓子店に出社すると、見慣れない男がお菓子を作っている。彼はこの店のパティシエだと言うのだが、彼を知っている従業員は誰もいなく、そもそも彼の勤めているという店とは名前も違う。しかし、店の様子は絶対に同じだと言うし、何より彼は確かに道具に親しんでいるようだった…。

珍しくあらすじなんて書いてみたけど、この冒頭部分はSF(少し不思議)的なセンスがあって面白いと思った。自分の見ている現実が、もしかしたら現実じゃないんじゃないか?っていう揺らぎがあって、主人公自身も男のあまりに堂々とした姿に「もしかして相手の方が正しいんじゃ?」みたいに自分の考えを疑ってしまうところがあって、これは読者としての自分の感じ方にも近い。

どういうことかと言うと、僕はこの本の事前知識がまったくなくて、果たしてこの作品がSFなのかミステリーなのかサスペンスなのかファンタジーなのかホラーなのかさえわからなかったのだ(そもそも、作者自身、SF作家だしね)。だから、この男はもしかしたら平行世界からやってきたのかもしれないし、あるいは実在しない幻想(ケーキの神様みたいな)なのかもしれないし、あるいは主人公の認識をのっとる異世界からの侵略者かもしれないし、あるいは国家的陰謀に巻き込まれたエージェントなのかもしれない。もちろん、単に頭がおかしいだけかもしれない。そのようにして先入観を抜きにして読みだすと、この冒頭と言うのは本当に不思議で代物で、自分の中にしっかりと形が見出せないような、どこに向いてあるいたらいいのかわからない宙ぶらりんにされた感じがあって素晴らしいと思った。

この曖昧な感じが中盤を過ぎるまで続いていて、男の正体と言うか”存在感”みたいなものが二転三転していくのだけど(あるときは現実感を持った人間であったり、ときどき妖精のような雰囲気になったりする)、ある出来事をきっかけにして存在が収束していくところも面白かった。これは正体が明らかになることによってカタルシスを感じたわけではなくて(むしろ、正体が確定したことで揺らぎがなくなることは残念だった。仕方のないことだけど)、曖昧でしかない(情報も方向付けもない)存在が、ある方向性を与えられたことで”本人がその気になっていく”と言う感じがあって、不思議な感触があって、不思議な手触りを覚えたのだった。

なんと言ったらいいのか……つまり、そこで明かされたものに絶対の真実であるという感触がないと言うか、明かされた真実が、本当の真実なのかどうか確信が持てない感じ。たぶん、さっき書いた”カタルシスを感じなかった”というのとも繋がっていて、今回明らかになったこと以外に本当の真実があるんじゃないか?って思ってしまうような。あくまでも男が一人で真実にたどり着いたのであって、主人公はそれを傍観していると言うか、聞いているだけだからかもしれない。これはたぶん、絶対の真実などと言うものはない、と言う認識であって、今回は”ある真実”が”正しい”という形になったけれども、もしかしたらこれは、本当は別のジャンルの物語だったんじゃないか……というような。上手く説明出来ないことそんな感じ。

結局、最後まで宙ぶらりんのまま持ってこられてしまって、最初にあったこの”感じ”を最後まで持って来られたところが良いなあ、と思ったのだった。

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