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2012.02.26

『ヴァルプルギスの後悔〈Fire4.〉』

ヴァルプルギスの後悔〈Fire4.〉』(上遠野浩平/電撃文庫)

なんか毎回同じことを書いているような気がするけど(でも重要なことなので何度でも書いちゃうけど)、上遠野浩平と言うのは”停滞”を描いている作家だ。だけど、ここで言う”停滞”ってのは言葉通りの意味じゃなくて、前に歩いているはずなのになぜかグルグルと同じところをあるいてしまうような感じとか、前に進みたいのに足が出ないときの焦燥感みたいな、そういう意味だ。つまり、当事者は前に進んでいるつもりor進みたいと思っているんだけど、それがいろいろな理由で上手く行かなくて、前に進みたいというプレッシャーだけが増大していくみたいな。それは一見したところ”停滞”している、つまりただ立ち止まっているのを同じように見えるけど、本人の中では圧力鍋の中身がどんどん圧縮されて爆発寸前になっている危機的なものがあるのだ。上遠野作品において、多くの登場人物はそういう内面を持っていて、そのどうしても進めない感じが物語を動かしていくのだけど、その中で唯一と言っていい例外が霧間凪というキャラクターだと思う。

なんつーか、霧間凪もまた、その正義の味方という明快な行動原理に反して、内面においてはさまざまな屈折を抱えているキャラクターなので、その意味では上遠野浩平が描くキャラクターに相応しいように思えるのだけど、彼女の場合、そうした屈折を完全に受け入れいて、さらにそれを前に進むための力にしているところが、決定的に異なる。上遠野浩平の描くキャラクターのほとんどが、そうした自分の屈折と格闘し続けることが運命付けられているのに対して、彼女だけはそうした自分の内面と格闘することが無いのだ。これはたぶん、霧間凪は自分の屈折や欠点や失敗を受け入れていると言うことも出来るのだろうけど、その辺りは実は良く分からない。なぜかと言うと、そもそも作者である上遠野浩平自身が、いまいち霧間凪のことを良く分かってないように思えるからだ。作者が、「霧間凪ってなんでこんなことが出来るんだろう……」って途方に暮れている感じさえある。

僕の個人的な意見を言わせてもらうと、そもそも霧間凪のコンセプトは、おそらく”上遠野浩平の外部にあるもの”というところから作っているのだと思う。作者が普段考えていないようなことを考えて、普段は避けているところに踏み込んでいくと言う、そういうキャラクター、それが霧間凪なのではないか。まあ、これは思いつきというかそんな気がしただけなんだけど、我ながら気に入っている思いつきではある。と言うもの、僕はこういう”外部”の存在というのが好きだからだ。小説というのは作者の内面をなんらかの形で反映するものだけど(でも、イコールじゃないよ。反転させたり戯画化したり誇大にしたり一部を切り取ったりとか)、それはつまり内部で完結してしまう可能性も孕んでいる。つまり、作者にとって予想外のことがなにも起こらない閉じた物語になってしまうということだけど、まあ別にそれが悪いというわけじゃない。作者の意識が隅々まで行き届いた美しく整った作品と言うのもあって、それを否定するつもりはないし。ただ、個人的には、”外”へ広がりを志向している作品の方が僕は好きだ。いや、好き嫌いと言うよりも、なんかこう”強い”と言うか……上手く表現出来ないのが申し訳ないが、それは例えば「作者よりも頭の良い登場人物」とか「作者が嫌いな性格の登場人物」とかそういうものが”外”だと感じる。そのような作者が”背伸びをしないと描けないもの”が作中にあると、おいそれと”現実”に負けない”強さ”が小説に生まれるように思う。

霧間凪はそういう匂いがあって、彼女はシリーズ世界の中で完全に異質であると思うのだが(Fire3で完膚なきまでに敗北したはずの凪が、Fire4で即座に逆襲するところなどが顕著だ。ピート・ビートでさえ、逆襲に転じるのに3巻かかったんだぜ)、同時にその異質さこそがシリーズを前に進める力にもなっているとも感じる。ブギーポップシリーズと言うのは一貫して弱者の物語で、自分自身の弱さと向き合い抗い続けることが主眼ではあるのだが、それは個人の内面に閉じこもっていくことと表裏である。と言うか、たぶん上遠野浩平と言う作家は、本当は個人の内面を描きたい作家なのだとさえ思うのだが、それを突き詰めてゆくと(物語の)時間を止めてしまうことにも繋がってしまい、つまり、”成長”が描けないことでもあり、それは結果として自分自身と格闘することにかまけて外部(これはキャラクターの外部、友達とか学校とか、あるいは社会とか、そういうもの)に対して拡張していくことが出来ないということにも繋がるのだ。まあ、これを弱点と思うかどうかは人それぞれであって(人の内面にしか興味がない人もいるだろうし)、単にそういう傾向があるに過ぎないとも思うけど、霧間凪はそうした内面に向かおうとする力に真っ向から対立している存在であるのは確からしいと思う。彼女はつまり真の意味で”突破”をする存在であり、物語の”停滞”を許さず前に進める力でもあり、ブギーポップ世界は彼女がいることにより内面に閉じてゆくことを免れており、それはつまり上遠野浩平にとっての前に進む意思(内面ではなく外部に向かう意思)そのものであると思えるのだ。

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コメント

...なんというか、文章ひどいですね。

投稿: 通りすがり | 2012.02.29 15:46

具体性のない指摘も充分に『文章ひどい』と思いますよ。

単調な内容紹介でなく、「こう読んだ」という視点を提示するこちらの感想は、自分の読み方と参照できて、毎回参考にさせて頂けてます。

投稿: 通りすがり | 2012.03.01 08:16

>最初の通りすがりさん

個人的な意見を言うと、誰かの書いたものを貶すのって、文章を貶すのが一番簡単なんですよね。てにをは、とかは小学生でも指摘できますものね。

だからまあそういう手抜きな指摘に対しては、こっちも手抜きな対応しか出来ないんで、とりあえず謝っておきます。ごめんね。

投稿: 吉兆 | 2012.03.01 22:44

>二人目の通りすがりさん

まあ、嫌いなものを嫌いだという権利は誰にでもありますし、それをさらに非難するのも不毛なんで、ほどほどにしておきましょう。

でも、フォローして下さってありがとうございます。とても嬉しく思います。

投稿: 吉兆 | 2012.03.01 22:49

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