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2012.02.07

『魔術士オーフェンはぐれ旅 原大陸開戦』

魔術士オーフェンはぐれ旅 原大陸開戦』(秋田禎信/TOブックス)

今回から本格的に新シリーズが開始するということで、魔王術とか神人種族などの新設定については完全に既知のものとして扱われていて、最初からアクセル全開で進んでいる。この辺りはライトノベルとしての縛りから解き放たれている感じがあった。今さら序盤にドタバタと会話劇で引き伸ばされても困るし、というといろいろなものを否定してしまうような気がするがするけど、ライトノベルのお約束から離れた楽しさというのもあるんだ、というぐらいのニュアンスでお願いします。

つまり、『約束の地』ですでに人間関係の紹介は終わっているので、すでに物語を動かす方向に動かせるわけで、この新シリーズが何冊続くのかはよく知らないんだけど(この調子だと3、4巻ぐらいで一区切り付きそう?)、怒涛の展開が期待できそう。出来そうっていうか、すでに怒涛の展開で、下手したら新大陸(じゃなくて原大陸か)が壊滅するんじゃねえか?というところで、なんかすごい話になっているなあ(頭の悪い感想)。

旧オーフェン読者としては、やっぱり旧キャラの20年後が描写されるだけで面白いのだけど、一番興味深かったのはマヨールとベイジットの兄妹だった。いや、こんなところで見栄を張ってしまうのもバカバカしいのではっきりいってしまうと、ここの描写には胸を突かれるもというか、感動してしまった。これは兄と妹の関係性と言うか、もっと言えば”絆”というものの話だ。

簡単に”絆”と言うけれども、それは単に”仲が良い”とかそういうものではなくて、”愛し合っても憎みあっても破局しても、そしてなにより死んだとしても変わらないもの”なのだ。僕の中では真実”絆”と呼べる関係はそういうものだと思っていて、つまり”絆”というのは人間関係に依存しないものだという感覚だ。というか、本当の(本当なんてものがこの世にあると仮定しての話だが)”関係”と言うのはそういうものであって、”関係”の中では愛することも憎むことも大して変化のあることではない、というのはさすがに極論であって現実的ではないが、そういうのが”正しい”んじゃないかとさえ思う。

物語の冒頭から繰り返されるマヨールから見たベイジットとの日常風景があるんだけど、これが本当に素晴らしい。淡々と感情を交えない描写でベイジットがいかに日常の破壊者でありマヨールの天敵であるかが語られているのだけど、そうした無味乾燥とさえ言える描写が、積み上がっていくにつれて、ある種の情感を持つようになる。淡々とした言葉は変わらないのに、そこから感情の渦のようなものが立ち上って、マヨールとベイジットが再会したときに堰を切ったようにあふれ出してくる。

それはマヨールにとって妹は苛立たしく、時に憎むことさえあった存在が、そのように苛立つ日々を繰り返すことそのものが妹との絆なのだと言うことが読み手の中に積もっていく感触が生まれていて、ここから分かるのは、人と人の”関係”などと言うものは、外から表面的に見たところで氷山の一角さえも見えてこないということで、前作の『約束の地』を読んだ人間が、マヨールがこれほどまでにベイジットを想っているということに気がついたのだろうかと言うと、少なくとも僕はまったく気がつかなかった。だからと言ってそれが描写不足だということではなく、そもそもそれは描写しえぬものであり、ただ積み重ねることしか出来ないたぐいのものなのだ。

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