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2012.02.26

『ヴァルプルギスの後悔〈Fire4.〉』

ヴァルプルギスの後悔〈Fire4.〉』(上遠野浩平/電撃文庫)

なんか毎回同じことを書いているような気がするけど(でも重要なことなので何度でも書いちゃうけど)、上遠野浩平と言うのは”停滞”を描いている作家だ。だけど、ここで言う”停滞”ってのは言葉通りの意味じゃなくて、前に歩いているはずなのになぜかグルグルと同じところをあるいてしまうような感じとか、前に進みたいのに足が出ないときの焦燥感みたいな、そういう意味だ。つまり、当事者は前に進んでいるつもりor進みたいと思っているんだけど、それがいろいろな理由で上手く行かなくて、前に進みたいというプレッシャーだけが増大していくみたいな。それは一見したところ”停滞”している、つまりただ立ち止まっているのを同じように見えるけど、本人の中では圧力鍋の中身がどんどん圧縮されて爆発寸前になっている危機的なものがあるのだ。上遠野作品において、多くの登場人物はそういう内面を持っていて、そのどうしても進めない感じが物語を動かしていくのだけど、その中で唯一と言っていい例外が霧間凪というキャラクターだと思う。

なんつーか、霧間凪もまた、その正義の味方という明快な行動原理に反して、内面においてはさまざまな屈折を抱えているキャラクターなので、その意味では上遠野浩平が描くキャラクターに相応しいように思えるのだけど、彼女の場合、そうした屈折を完全に受け入れいて、さらにそれを前に進むための力にしているところが、決定的に異なる。上遠野浩平の描くキャラクターのほとんどが、そうした自分の屈折と格闘し続けることが運命付けられているのに対して、彼女だけはそうした自分の内面と格闘することが無いのだ。これはたぶん、霧間凪は自分の屈折や欠点や失敗を受け入れていると言うことも出来るのだろうけど、その辺りは実は良く分からない。なぜかと言うと、そもそも作者である上遠野浩平自身が、いまいち霧間凪のことを良く分かってないように思えるからだ。作者が、「霧間凪ってなんでこんなことが出来るんだろう……」って途方に暮れている感じさえある。

僕の個人的な意見を言わせてもらうと、そもそも霧間凪のコンセプトは、おそらく”上遠野浩平の外部にあるもの”というところから作っているのだと思う。作者が普段考えていないようなことを考えて、普段は避けているところに踏み込んでいくと言う、そういうキャラクター、それが霧間凪なのではないか。まあ、これは思いつきというかそんな気がしただけなんだけど、我ながら気に入っている思いつきではある。と言うもの、僕はこういう”外部”の存在というのが好きだからだ。小説というのは作者の内面をなんらかの形で反映するものだけど(でも、イコールじゃないよ。反転させたり戯画化したり誇大にしたり一部を切り取ったりとか)、それはつまり内部で完結してしまう可能性も孕んでいる。つまり、作者にとって予想外のことがなにも起こらない閉じた物語になってしまうということだけど、まあ別にそれが悪いというわけじゃない。作者の意識が隅々まで行き届いた美しく整った作品と言うのもあって、それを否定するつもりはないし。ただ、個人的には、”外”へ広がりを志向している作品の方が僕は好きだ。いや、好き嫌いと言うよりも、なんかこう”強い”と言うか……上手く表現出来ないのが申し訳ないが、それは例えば「作者よりも頭の良い登場人物」とか「作者が嫌いな性格の登場人物」とかそういうものが”外”だと感じる。そのような作者が”背伸びをしないと描けないもの”が作中にあると、おいそれと”現実”に負けない”強さ”が小説に生まれるように思う。

霧間凪はそういう匂いがあって、彼女はシリーズ世界の中で完全に異質であると思うのだが(Fire3で完膚なきまでに敗北したはずの凪が、Fire4で即座に逆襲するところなどが顕著だ。ピート・ビートでさえ、逆襲に転じるのに3巻かかったんだぜ)、同時にその異質さこそがシリーズを前に進める力にもなっているとも感じる。ブギーポップシリーズと言うのは一貫して弱者の物語で、自分自身の弱さと向き合い抗い続けることが主眼ではあるのだが、それは個人の内面に閉じこもっていくことと表裏である。と言うか、たぶん上遠野浩平と言う作家は、本当は個人の内面を描きたい作家なのだとさえ思うのだが、それを突き詰めてゆくと(物語の)時間を止めてしまうことにも繋がってしまい、つまり、”成長”が描けないことでもあり、それは結果として自分自身と格闘することにかまけて外部(これはキャラクターの外部、友達とか学校とか、あるいは社会とか、そういうもの)に対して拡張していくことが出来ないということにも繋がるのだ。まあ、これを弱点と思うかどうかは人それぞれであって(人の内面にしか興味がない人もいるだろうし)、単にそういう傾向があるに過ぎないとも思うけど、霧間凪はそうした内面に向かおうとする力に真っ向から対立している存在であるのは確からしいと思う。彼女はつまり真の意味で”突破”をする存在であり、物語の”停滞”を許さず前に進める力でもあり、ブギーポップ世界は彼女がいることにより内面に閉じてゆくことを免れており、それはつまり上遠野浩平にとっての前に進む意思(内面ではなく外部に向かう意思)そのものであると思えるのだ。

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2012.02.23

『この人の閾』

この人の閾』(保坂和志/新潮文庫)

よく言われることだが、時間というのは人間が直接感じ取れるものではなく、あくまでも時間が流れた変化を観測することによって、”時間が流れた”ということを推測することしか出来ないものである。子供が成長して大人になったり子供の頃に遊んでいた公園が潰れてマンションになっていたり、そうした変化を見てああ時間が流れてしまったな、と考えるのが人間と言うものだ。それは、人間には時間を感じ取る能力が欠けているというよりも、むしろそうした形で時間と言う概念を理解している人間の能力の複雑さというかファジーさを感じるのだが、それはまあいい。ただ、時間という概念の上にしか観測できないもの描く上で、人間と風景というのは避けて通れないということは、強く感じるところだ。

保坂和志という人は、どうも風景に対して偏執的と言っても良い拘り方をしている人で、人間を描くのと同じくらいに風景についての描写が多い。少なくとも、僕が読んでいる限りでは、初期作品の頃はそれほど風景についての描写は多くなかったのだが、時代に後になってくるほどに風景の描写が増えてくる。最近の作品だと風景のことばかり書いているような感じなのだが、しかし、それで人間について描いていないのかと言えばそんなことはなくて、風景について描くことが人間を描くことにも繋がってくるのだ。人間と風景の間には、最初にも書いた通り、時間と言うものが橋渡しをしている。風景が変化している時、それに呼応するように人間も変化しているのだ。

ただ、それは風景が人間の心象を反映しているとか、メタファーだとか、そういうことを言いたいのではなくて、風景は風景であって、それは人間の内面とはなんの関係もないということだ。つまり、公園が潰されてマンションが建ち、そのマンションがまた取り壊されて高速道路になったとしても、それはあくまでも風景の変化であって、人間とはなにも関係がない。人間に関係があるのは、あくまでもその変化を見る主体としての意味である。確かに風景の変化は人間には関係がないが、その変化は、どんな形であってもそれを見る人間の中に積もっていく。それは人間が変化を通じて時間を感得しているということでもあるのだが、時間を感得したとき、人間は自分自身の変化にも直面することになる(つまり、”変わった”という事に対して、なんらかの感慨や変化が生まれて来る)。風景の変化が人間の変化と呼応するというのはそういうことで、事象そのものには何の関係がなくても、その関係の”無い”というところで響きあうものがあると言うことなのだ。

この本に収められている4編の短編はすべてそうした変化についての話で、多くは風景の変化について描かれている。表題作の「この人の閾」だけはちょっと違うが、これもまた「映研」時代の先輩が結婚して母親になっている姿から、かつてからの変わったところと変わらないところを見るという意味で、まさしく時間についての話になっているわけで、やはり変化の、ひいては時間についての話になっている。しかし、それらで重要視されているのは、変わったことそのもの(公園がマンションになったことや、映研の先輩が母親になったこと)は本題ではなくて、そうした変化そのものに対してどのような態度を取って行くのかということを考えることだ。それは、時間は不可逆のものであり、さらに言えば拒否できないものである以上、我々にはそれを受け入れることしか出来ないのであり、つまりは”どのように受け入れるか”という態度のことなのだ。

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2012.02.19

『私立!三十三間堂学院(11)』

私立!三十三間堂学院(11)』(佐藤ケイ/電撃文庫)

僕は良久須美というキャラクターが大好きなので、珍しく彼女がメインに近い活躍をする今回はとても楽しく読めた。彼女はなんというかとても誇り高い人間であって、そういうところがとても好きなのだった。誇り高いというのはプライドが高いこととはまったく違うもので、プライドは自分のためのものだが、誇りとは他のためにあるものだ。他と言うのは人のこともあれば形のない概念のようなもののこともあるけれど、そうした自分以外のもののために意思や行動することが出来る人間のことを誇り高い人だと言える。彼ら/彼女らの誇りは、いつだって誰か/何かのためにあるのだ。

須美という人間はまさしくそういう誇りを持っている人で、しかもそれに対して自然な態度を持っているところが良い。彼女は自分の誇りに対して気負いもなにもなくて、使命感とか義務感もなくて、ただ自分のやりたいように後悔のないように行動すると、それは常に自分以外の何かのために行動しているところがすごい。一見して自己犠牲的に見える行動も、彼女自身はそれを犠牲にしているとは思っておらず、ただ自分が好きなように行動しているに過ぎない。そこにはあくまでも気楽で前向きな精神があり、自己犠牲とは悲壮感に満ちたものであるという一般的な思い込みを一笑する力がある。

ただ、そういうところはなかなか凡人には理解が及ばないところがあるのは仕方のないとこころではある。とりわけ彼女の無私の自己犠牲を受けた側である仙堂蓮華にとっては、とてつもない重荷であり、彼女にとっては須美の行為は絶望的なまでに自分の責としてのしかかってくるものとさえ言え、そこから目を背けることは誠実ではないと思っている。それは確かに一つの誠実さとしては間違ってはいないし、むしろ当然の心ではあるのだが、須美の精神はそのようなレベルには留まっていないために、当然の如くすれ違っているのだった。これはある意味においては、蓮華は須美を本当には理解しようとしていなかったということでもあって、彼女は自分の”傷”だけに目を向けていたとも言える。

だから、今回の物語は、蓮華が須美とはどういう人間なのかと言うことを本当の意味で理解する物語であると言える。自分の”傷”だけに閉じこもっていた彼女は、初めて外界に目を向ける。自分の中の罪悪感と悲愴な思いで向き合っていた彼女が、そんな風に深刻に悲劇に向いあうのではなく、気楽に自然に悲劇に笑いかけることを学んでいく。それをなしていくのが、須美に匹敵するほどの”誇り”を身に付けている法行という”異性”の存在で、蓮華は彼を通して須美が持っている”誇り”を理解していくのだった。

相手を”理解”すると言うのは、逆に言えば自分と何が違うのかということを知ることでもあって、それは自分の中だけではなかなか上手くいかないもので、そういうのは他者の中に見つけるしかない。法行は自然に相手に対してそういうことを自覚させるところがあって、それは彼が、周囲にとっての”異物”であることとも無関係ではない。法行は、ただそこに居るだけで、彼女たちの価値観を揺さぶり、新しいものを持ち込む存在なのだろう。

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2012.02.14

『クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門』

クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門』(石川博品/ファミ通文庫)

読み終わった後に表紙を見返したら、帯に『脱・残念系ラブコメ』と(小さく)書いてあって、つまりはそういうことかと思った。もうこれ以上に何かを書く必要もないぐらいに適切な言葉なので、これだけで感想を書く意欲が三割減だったけど、自分の言葉にしておくことも必要だと思うので書く。

『脱・残念系ラブコメ』というのはおそらく『はがない』シリーズに代表される最近流行りの”残念な人たち”が繰り広げるラブコメではないという意味で、残念な人というのは内面に不器用さや社会に適応出来ない部分を抱えている人の事を言う。僕は『はがない』シリーズもとても好きなんだけど、同時にああいう作品の限界と言うのも感じていて、つまり”残念”という概念に閉じこもってしまうというところがある。もっとも『はがない』シリーズは最新巻でその概念を動かしつつあるけれども、さまざまな『はがない』フォロワー作品においては、”残念系”である主人公たちの仮想敵国というか、完全な敵として”リア充”が置かれてしまっているというのが最たるものだ。つまりそこには”残念系”と”リア充”という世界が分断されていて、不可侵となってしまっている。

そういう分断が起こってしまう背景はいろいろあるんだろうけれど、要するにそういう不器用さを抱えた読者にとっては、”リア充”の存在は異世界と同じくらいの遠さがあるんだと思う。ただ、そうしたタイプの人にとって忘れがちなのが、”リア充”だって人間だってことだ。さらに言えばこういう作品に出てくるのは”同じ高校生”でしかない。戦国時代とか海外とかが舞台ならともかく、”同じ時代”で”同じ場所”で暮らしている人が、まったく違う世界の住人なんてことは考え難いことだろう。もちろん、当事者(リアル高校生)にとっては違うことは明らかで、自分のような意見には”違うに決まってんだろバカ”と思うことだろうけど(リアル高校生だった頃の自分もそう言いそうだ)、学生生活もずいぶん昔になりにけり、な自分にとっては”その程度”の違いなんてのは、違いのうちにも入らない。と言うのも、人間なんてものは違うことが最初から当たり前であって、そもそも同じ人間なんてものはありえないのだ。その違う中で、それでもコミュニケートしていくのが人間なのであって、まあ学生時代というのはそのトレーニング期間のようなものなのだと言える。

つまり結局のところ何が言いたいかというと、リア充だろうが残念だろうが、”恋してしまえば関係ねえ”ってことだ。さらに言えば、リア充と残念系の”境界を越える”的な気負いも無意味だ。作中でカマタリさんも言っているけれども「恋愛にかまえる必要なんてない」わけで、別にそこに”勇気”だとかなんだとかは別に関係ない。それはつまり、リア充を過剰に敵視するのも残念系であることを自嘲するのもバカバカしいことであって、リア充だって恋とかしないでもいいし、残念だからって恋をしてもいいということで、そういう力の抜けた感じがこの作品にはあるのだ。

この作品を読んでいて思い出したのが、自分が高校生の頃のクラスメイトだった。そいつは見た目はイケメンで友達も多かったんだけど、なぜかいつも隣のクラスの冴えないというか、そもそも学校で何かを喋っているのを見たことがないという男子と行動していて、一緒に下校しているのを見かけて不思議な気持ちになったのだった。まあこれで実はそのクラスメイトが相手を苛めていて金をせびっていたなんて事実があったりしたら絶望だけど、少なくともそういう感じは見えなくて(そういう裏があるんじゃないかと、当時の自分も一応疑っていた)、一緒に帰る時は、そのクラスメイトもいつものように大仰にはしゃいでいるわけではなく、ぽつぽつと会話している感じだった。自分は分類するのならば”残念系”の高校生だったけど、そういうのを見ていてすごく羨ましかったというかああいうのもありなんだ、と思ったのだった。とは言え、自分は学校中の人間をバカにしている陰鬱な高校生を卒業まで続けていたので、その事実はまったく自分には生かせなかったのだけれども(教室では毎日クラスメイトを全員殺して自分も死ぬことを考えていた)。

なんの話だっけ?えーと、まあ要するに境界を作るのも消すのも自分次第と言うことで、この作品はひたすらにそういうことだけを書いているのだと思う。自分には関係ないと思っている女子と、無理矢理に会話してみたらひょいっと繋がってしまったり(まあクイックセーブがないと厳しいけどな!)、接点がないと思っていた相手とも変なところで理解してしまったり。なんと言っても、相手の”生っぽさ”に恋に落ちる瞬間というのは、そうした理屈を超えたところにあるということを描いているところが良くて、特に「俺は震えた。あ、やっぱいつもはキッタネーんだと思ってその生々しい感じにドキっとし、それを曽我野が今日のためにきれいにしたっていう事実にまた震えた」というシーンがすごく良くて、このシーンは何度も読み返した。なんと言うか、相手の肉体が感じられる表現だと思う。実際の肉体がどうこうと言うよりも、存在感というか、そこにいるという感じのそれがあって、石川博品という作家のそういうところが僕は好きなのだった。

追記。読み直しをしてみたら言葉が足らないところに気がついたので書く。”リア充だろうが残念だろうが、”恋してしまえば関係ねえ”ってことだ”と書いたが、これで勘違いして欲しくないのは、「恋をすることが至上であり恋をしないのには意味がない」のではない、ということだ。別にそれ以外のことでも何でも良くて、あくまでも”リア充”と”残念系”の境界はそうした気持ち一つで跳躍できるもの、という意味です。

個人的に”リア充”と”残念系”の差異というのは、そうした跳躍が成功したか失敗したかの差異でしかなく、”リア充”はたまたま成功したことで成功体験を得て、その跳躍を苦もなく繰り返すことが出来るのだが、”残念系”はそれにたまたま失敗したことで失敗体験を得たことで、跳躍を行うことが出来ないのではないかとも思うのだが、この辺りは考えも詰まってない単なる思い付きです。

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2012.02.07

『魔術士オーフェンはぐれ旅 原大陸開戦』

魔術士オーフェンはぐれ旅 原大陸開戦』(秋田禎信/TOブックス)

今回から本格的に新シリーズが開始するということで、魔王術とか神人種族などの新設定については完全に既知のものとして扱われていて、最初からアクセル全開で進んでいる。この辺りはライトノベルとしての縛りから解き放たれている感じがあった。今さら序盤にドタバタと会話劇で引き伸ばされても困るし、というといろいろなものを否定してしまうような気がするがするけど、ライトノベルのお約束から離れた楽しさというのもあるんだ、というぐらいのニュアンスでお願いします。

つまり、『約束の地』ですでに人間関係の紹介は終わっているので、すでに物語を動かす方向に動かせるわけで、この新シリーズが何冊続くのかはよく知らないんだけど(この調子だと3、4巻ぐらいで一区切り付きそう?)、怒涛の展開が期待できそう。出来そうっていうか、すでに怒涛の展開で、下手したら新大陸(じゃなくて原大陸か)が壊滅するんじゃねえか?というところで、なんかすごい話になっているなあ(頭の悪い感想)。

旧オーフェン読者としては、やっぱり旧キャラの20年後が描写されるだけで面白いのだけど、一番興味深かったのはマヨールとベイジットの兄妹だった。いや、こんなところで見栄を張ってしまうのもバカバカしいのではっきりいってしまうと、ここの描写には胸を突かれるもというか、感動してしまった。これは兄と妹の関係性と言うか、もっと言えば”絆”というものの話だ。

簡単に”絆”と言うけれども、それは単に”仲が良い”とかそういうものではなくて、”愛し合っても憎みあっても破局しても、そしてなにより死んだとしても変わらないもの”なのだ。僕の中では真実”絆”と呼べる関係はそういうものだと思っていて、つまり”絆”というのは人間関係に依存しないものだという感覚だ。というか、本当の(本当なんてものがこの世にあると仮定しての話だが)”関係”と言うのはそういうものであって、”関係”の中では愛することも憎むことも大して変化のあることではない、というのはさすがに極論であって現実的ではないが、そういうのが”正しい”んじゃないかとさえ思う。

物語の冒頭から繰り返されるマヨールから見たベイジットとの日常風景があるんだけど、これが本当に素晴らしい。淡々と感情を交えない描写でベイジットがいかに日常の破壊者でありマヨールの天敵であるかが語られているのだけど、そうした無味乾燥とさえ言える描写が、積み上がっていくにつれて、ある種の情感を持つようになる。淡々とした言葉は変わらないのに、そこから感情の渦のようなものが立ち上って、マヨールとベイジットが再会したときに堰を切ったようにあふれ出してくる。

それはマヨールにとって妹は苛立たしく、時に憎むことさえあった存在が、そのように苛立つ日々を繰り返すことそのものが妹との絆なのだと言うことが読み手の中に積もっていく感触が生まれていて、ここから分かるのは、人と人の”関係”などと言うものは、外から表面的に見たところで氷山の一角さえも見えてこないということで、前作の『約束の地』を読んだ人間が、マヨールがこれほどまでにベイジットを想っているということに気がついたのだろうかと言うと、少なくとも僕はまったく気がつかなかった。だからと言ってそれが描写不足だということではなく、そもそもそれは描写しえぬものであり、ただ積み重ねることしか出来ないたぐいのものなのだ。

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2012.02.03

『恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-』

恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-』(上遠野浩平/集英社)

上遠野浩平という作家は、デビュー当初からジョジョの奇妙な冒険のノベライズをしているような作品を書いているのだけど、人間賛歌を基調にしているジョジョに比べると、上遠野浩平はもう少しナイーブというか、後ろ向きなところがある。ある話で登場する”中二階(メザニーン)”という能力があるんだけど、能力の詳細はさておいて、これはもう一階にはいられないんだけど、二階に上がることがどうしても出来なくて、いつまで経っても中二階で足踏みをしているような状態を意味している。こういう何一つとして確かなものがない、前にも後ろにも向かうことが出来ないような、曖昧で宙ぶらりんな状態やあり方について延々と書いている作家が上遠野浩平なのだった。ある意味、ジョジョとは真逆の方向を行く作家であるとも言えるわけで、その作家が題材として描くのが、ジョジョの第五部において存在そのものを持て余されて消えて行ったフーゴと言うのは納得のするところなのだった。

フーゴは、まさに前にも進めず後ろに逃げることも出来ずに、曖昧で宙ぶらりんな人間だった。それは彼自身が自分の大切なものを裏切り続けているということなのだが、彼はそのことに気がついていない。彼は自分の中に確固たる”何か”を持っていないと感じていて、それは彼自身が何よりも苦しむところなのだが、その”何か”がなんなのかどうしても理解出来ないのだった。実際には、フーゴは確固たる何かを持っていないわけではなくて、いつも彼の中にあるのだけど、それを大切なものだと気がついていないのだ。正確には、自分には大切なものがあるということさえも気がついていない。あるいは、それを無視していると言うべきかもしれない。

それはフーゴの強烈な自己否定から生まれているもので、彼は自分自身を憎むと言うか、”価値が無い”と思っていて、それが彼のあり方のすべてを規定している。彼は自分自身にあらゆる価値を認めていなくて、それゆえに彼の判断基準はすべて”自分以外”のものに基づいているのだ。フーゴはいつだって”誰かのため”に行動していたし、”何かのため”に怒ったり悲しんだりもしていたけれども、彼は一度も”自分のため”に行動したことはなかった。”自分のため”に何かをすることなんて、考えることさえしなかった。それがつまり、彼が自分自身に何の価値も認めていないということであって、それは彼自身には”自分のために何かをする価値さえもない”と言う心のあり方なのだ。

この物語は、そんなフーゴが”自分のため”に行動することを学ぶ物語、ではない。これは、彼が自分はからっぽだと自覚する物語だ。彼は物語の中で最善か、あるいはより良い選択をしていこうとするのだが、”正しい”選択をしているつもりなのに、なぜかまるで間違っていることをしているような予感に苛まれているのだけど、それがなぜなのかどうしても分からない。それはもちろん”彼自身にとって正しい”選択をしていないからなのだけど、彼自身にとって正しいことなんてまるで理解出来ないフーゴにとっては、そんなことは不可能なのだ。冷蔵庫が暖房の代わりにならないように、そもそもそういう用途には出来ていない。フーゴにはそういう”機能”がないのだ。

そんなバカなそんなのは努力が足りないだけだ、と言う人は幸せだ。そういう人は、おそらくは”人間はいくらでも変われる”という言葉に疑いを抱いたことがないのだろう。もちろん人間は変われる、ただし変われる範囲であればだが。先の例えを使うのならば、冷蔵しか出来なかったところに冷凍庫をつけることは出来るかもしれないが、暖房器具はつけれないということだと言える。あるいはつけられるかもしれないが、それはもはや”冷蔵庫ではない”のだ。

フーゴはこの物語を通じて、自分には決定的に欠けたものがある人間であることを発見した。ブチャラティ、アパッキオ、ミスタ、ナランチャが持っていた”確固たるもの”を理解出来ない、欠けた人間であるということを、自覚することが出来た。それで何が救われるわけではないし、何かが得られたわけでもないが、彼は”自分の苦しみの源泉”を知ることが出来たのだった。その後も彼の苦しみや葛藤は続くのだろうが、それでも彼は”覚悟”を得ることが出来たのだった。

そんなフーゴにジョルノは手を差し出す。それはフーゴの苦しみや欠けたものをまるごと認めるということであって、別にフーゴを”救おう”だとかそういうものじゃあなく、”そのままの君で良い”ということであって、からっぽで、人間として大切な何かを持てない、そんなフーゴのままで良いということなのだ。それは別に同情とかそういう曖昧なものでもなければ、許しだとか甘いものではなくて、ただそうした”欠けたものとして生きる”ということを肯定したものである。それはつまり、欠けたまま生きて、”欠けたまま別の何か”を得られることを信じると言うことなのだ。

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2012.02.01

2012年1月に読んだ本

我ながら驚くほど本を読んでいないが、これは忙しかったからではなく、むしろ逆だ。

1月の読書メーター
読んだ本の数:35冊
読んだページ数:5931ページ
ナイス数:41ナイス

超人ロック 嗤う男 4 Locke The Superman SNEERING MAN (MFコミックス フラッパーシリーズ)超人ロック 嗤う男 4 Locke The Superman SNEERING MAN (MFコミックス フラッパーシリーズ)
いかなる悪党よりも悪辣だったのは超人ロックだったという。
読了日:01月29日 著者:聖悠紀
魔乳秘剣帖(7) (TECHGIAN STYLE)魔乳秘剣帖(7) (TECHGIAN STYLE)
王道一直線な時代劇漫画でござった。
読了日:01月29日 著者:山田秀樹
足洗邸の住人たち。 12巻 【初回限定版】 (ガムコミックス)足洗邸の住人たち。 12巻 【初回限定版】 (ガムコミックス)
長い長い戦いがようやく終わったか(連載期間的な意味で)。
読了日:01月29日 著者:みなぎ 得一
星川銀座四丁目 (2) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)星川銀座四丁目 (2) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)
立派であることと駄目であることは両立しうるものだな。
読了日:01月29日 著者:玄鉄 絢
氷室の天地 Fate/school life (5)氷室の天地 Fate/school life (5)
のびのびとやっているなあ。
読了日:01月29日 著者:磨伸 映一郎
僕のまわりの宇宙人 1 (電撃ジャパンコミックス ム 2-1)僕のまわりの宇宙人 1 (電撃ジャパンコミックス ム 2-1)
ずいぶん研究してきた感じがある。
読了日:01月27日 著者:村崎 久都
Pumpkin Scissors(15) (KCデラックス)Pumpkin Scissors(15) (KCデラックス)
作品の視点がどんどん高くなっているのが良い。
読了日:01月27日 著者:岩永 亮太郎
ヴィンランド・サガ(11) (アフタヌーンKC)ヴィンランド・サガ(11) (アフタヌーンKC)
王の理想と個人の夢。それがぶつかりあって歴史となるのだ。
読了日:01月26日 著者:幸村 誠
へうげもの(14) (モーニング KC)へうげもの(14) (モーニング KC)
数寄を愛するものと道具にするものと理解できぬもの。
読了日:01月26日 著者:山田 芳裕
人生 (ガガガ文庫)人生 (ガガガ文庫)
ラノベ向けに調整したかな?と思ったけどそうでもなかった。
読了日:01月26日 著者:川岸 殴魚
魔王が家賃を払ってくれない 2 (ガガガ文庫)魔王が家賃を払ってくれない 2 (ガガガ文庫)
物語のあり方にいささか含羞を覚えるタイプの作者なんだな。
読了日:01月26日 著者:伊藤 ヒロ
あなたが踏むまで泣くのをやめない!! (電撃文庫 み)あなたが踏むまで泣くのをやめない!! (電撃文庫 み)
”はがない”系でいくのかと思わせて踏み外すセンスが良い。
読了日:01月26日 著者:御影 瑛路
ボンクラーズ、ドントクライ (ガガガ文庫)ボンクラーズ、ドントクライ (ガガガ文庫)
人々が望む”美しい”物語は、いつだって”嘘”が支えているのだ。
読了日:01月26日 著者:大樹 連司
つぐもも(7) (アクションコミックス(コミックハイ!))つぐもも(7) (アクションコミックス(コミックハイ!))
今になって妖怪お助け漫画になっていることにプチ驚愕。
読了日:01月22日 著者:浜田 よしかづ
南鎌倉高校女子自転車部 1 (BLADE COMICS)南鎌倉高校女子自転車部 1 (BLADE COMICS)
ちゃんと漫画になっている…(すごく失礼な発言)
読了日:01月22日 著者:松本 規之
マギ 11 (少年サンデーコミックス)マギ 11 (少年サンデーコミックス)
アリババ君は順境だとどんどん駄目になってゆく…。
読了日:01月22日 著者:大高 忍
絶対可憐チルドレン 29 (少年サンデーコミックス)絶対可憐チルドレン 29 (少年サンデーコミックス)
過去と現在と未来が交錯するSFものとして真面目にやるつもりがある…?
読了日:01月22日 著者:椎名 高志
常住戦陣!!ムシブギョー 4 (少年サンデーコミックス)常住戦陣!!ムシブギョー 4 (少年サンデーコミックス)
主人公のこういう”強さ”への説得力がすごい。
読了日:01月22日 著者:福田 宏
Landreaall 19巻 限定版 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)Landreaall 19巻 限定版 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
義務と権利ってのは、まさしく現代日本にこそ必要な話だよな。
読了日:01月13日 著者:おがき ちか
戦国妖狐 8 (BLADE COMICS)戦国妖狐 8 (BLADE COMICS)
最強から最弱への旅かと思っていたら実は無敵への旅だった。敵などいないのだ。
読了日:01月13日 著者:水上 悟志
少女素数 (3) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)少女素数 (3) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
この兄貴はすげーよ。マジで。
読了日:01月13日 著者:長月 みそか
龍盤七朝 DRAGONBUSTER 〈02〉 (電撃文庫)龍盤七朝 DRAGONBUSTER 〈02〉 (電撃文庫)
映像的でありながら小気味良くもハッタリが効いた文章が魅力的だ。
読了日:01月13日 著者:秋山 瑞人
烙印の紋章 10 竜の雌伏を風は嘆いて (電撃文庫 す)烙印の紋章 10 竜の雌伏を風は嘆いて (電撃文庫 す)
ようやくグール皇帝自身が描かれるようになりましたか。
読了日:01月13日 著者:杉原 智則
トカゲの王 2―復讐のパーソナリティ (上) (電撃文庫 い)トカゲの王 2―復讐のパーソナリティ (上) (電撃文庫 い)
駄目な自分を肯定し続けるのも大変ですね。
読了日:01月13日 著者:入間 人間
山風短(4)忍者枯葉塔九郎 (KCデラックス)山風短(4)忍者枯葉塔九郎 (KCデラックス)
せがわ先生の異形は、醜悪でありながら愛らしさがある。
読了日:01月08日 著者:せがわ まさき
フルメタル・パニック! アナザー2 (富士見ファンタジア文庫)フルメタル・パニック! アナザー2 (富士見ファンタジア文庫)
賀東先生と一対一で小説を見てもらえるとは新人としては破格な立場だな。
読了日:01月08日 著者:大黒 尚人
ラ・パティスリー (ハルキ文庫)ラ・パティスリー (ハルキ文庫)
途中までSFなのかファンタジーなのかサスペンスなのかわからずハラハラしたよ。
読了日:01月03日 著者:上田 早夕里
千の魔剣と盾の乙女5 (一迅社文庫)千の魔剣と盾の乙女5 (一迅社文庫)
第二部になったのなら表紙のエリシア縛りを変えてもよかったんじゃないかと思うんだが。
読了日:01月03日 著者:川口 士:作,アシオ:絵
超人ロック風の抱擁 2巻 (ヤングキングコミックス)超人ロック風の抱擁 2巻 (ヤングキングコミックス)
ロックに性欲があった!という驚天動地の設定が明らかになった事はめでたい。
読了日:01月03日 著者:聖 悠紀
答えが運ばれてくるまでに―A Book without Answers (メディアワークス文庫)答えが運ばれてくるまでに―A Book without Answers (メディアワークス文庫)
”十代後半から二十代向けの絵本”として洗練されてきた気がする。
読了日:01月03日 著者:時雨沢 恵一
ふたがしら 1 (IKKI COMIX)ふたがしら 1 (IKKI COMIX)
実に王道なピカレスクロマンだけど、それだけでもないかもしれない。
読了日:01月03日 著者:オノ ナツメ
TRIGUN-Multiple Bullets (ヤングキングコミックス)TRIGUN-Multiple Bullets (ヤングキングコミックス)
久しぶりと言う気がぜんぜんしないのが偉い。
読了日:01月03日 著者:内藤 泰弘
レイセン  File4:サマーウォー (角川スニーカー文庫)レイセン File4:サマーウォー (角川スニーカー文庫)
何やら嵐の前の静けさっぽいが、この作者のことだからわからんなあ。
読了日:01月03日 著者:林 トモアキ
獅子は働かず 聖女は赤く あいつ、真昼間から寝ておる (獅子は働かず 聖女は赤くシリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)獅子は働かず 聖女は赤く あいつ、真昼間から寝ておる (獅子は働かず 聖女は赤くシリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)
ははあ、なるほどな。
読了日:01月03日 著者:八薙 玉造
リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)
どこか、地に足をついたところから、ふわっと浮き上がるところがあって良い。
読了日:01月03日 著者:上田 早夕里

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