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2012.01.17

『残響』

残響 (中公文庫)』(保坂和志/中公文庫)

二冊目に読んだ保坂和志の本。一冊目も相当に面食らったものだが、こちらはさらに仰天してしまった。この本には「コーリング」と「残響」という二つの短編(あるいは中編)が収録されているのだけど、非常に不思議な文体を採用しているのだ(特にコーリング)。なんと言うか、こんな文体がありえるのか、という驚きがあって、例えば”一つのセンテンスの中で視点が切り替わる”という、実験的なことをしているのだ。読みにくいと言えばとても読みにくいのだが、それは脳の使い方が普段の文章と異なっているからであって、実のところそんなにわかり難い文章ではない。むしろ文章そのものは平易と言って良くて、平易な文章のまま、流れるように、ときに強引に、視点が接続されていく。どこかで作者が「自然につながることもあれば、TVのチャンネルをがちゃがちゃやるような感じ」と書いていたけど、なるほどなあ、と思った次第。

最初にコーリングは、三人の視点が入れ代わり立ち代り、センテンスごとに代わったり、センテンス内でも代わったりする。それはまあ実はそれほど問題ではなくて、問題は彼らがすべて”私”というものについて考え続けている点で、彼らは”私”について考えているのだけど、どういうわけか”私”のことを考えているのに、途中で”私”について考えるのに飽きてしまって、いつのまにか別のことを考え出してしまう。それは職場のことだったり、昔の恋人のことだったり、それとは関係ないぜんぜん別のことを思い出したりするのだけど、それが果たして本当に”私”と関係のない話なのかと言うと、僕はそんなことはないと思う。作中でも書いているけど、結局”私”などと言うものは、自分自身のことだけを考えてもわかるものではなくて、”私”以外のことを考えないとまるで分からない。いや、これは正確ではなくて、「”私”以外のことについて考えている時にしかない」ということかもしれない。何か”私”以外のことを考えているとき、その瞬間に”私”というものは生まれてくる。つまり、思考しているときだけ”私”が存在している。まあ、思考すると言っても、それが何でも良いかというとそうではなくて、考える対象が「”私”を見ている」ということも必要であって、つまり、「自分が思考する対象から見られている」ことが、”私”が成立する条件ということなのだ……と言うのは、まあ僕の思い付きみたいなものなのだが、そんなことを作者は書いているのではないかと思う。これは思い付きながら、結構重要なことのような気がするのだが、つまりそれは”私”と言うものが成立するためには、”他者”の存在が必要不可欠だという立場だ。”見られた”と意識したとき、”私”は生まれる。誰にも見られない(そう思い込んでいるとしても)自我には、”私”は生まれない。それは、他者と自己の境界線と意識するということなのかもしれないし、そうではないのかもしれないのだが、それは別にどうでもよくて、ただ、僕にはそれがとても自分の中のリアルに響く考え方だと思ったのだった。

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