『マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス(5) 蠱主の細瓮』
『マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス(5) 蠱主の細瓮 (ファミ通文庫)』(吉宗綱紀/ファミ通文庫)
今回はBETAとの戦闘がなく、ひたすら戦術機相互評価プログラムと言う名の模擬戦が続く。と言っても、このトータル・イクリプス(以下TE)はBETAとの戦いよりも、人間同士、国家同士における摩擦や葛藤を描いている作品なので、あまりBETAとの戦いは重要な描きにはなりえないということであり、つまりいつもの通りと言うことである。
前にも書いたような気がするけど、TEというシリーズは、BETAという人類の敵が存在し、絶望的な消耗戦を強いられている人類が、それでもなお国家や人種の壁を越えて協力できないということを繰り返し描いている作品であり、同時にそれが当然の事であってことさらに嘆く必要はないということも語っている作品なのだと言える。
そのあたりの認識が実に”大人”な認識があって、つまり、人類は滅亡寸前になろうとも無条件で無制限の協力など出来ないということ。なぜならそれぞれの人間には立場や状況があって、それを無視して行動することは社会的存在としては出来ないということなのだ。滅亡寸前なのに立場を気にして動けないなんて、と思う人もいるだろうけれど、滅亡寸前だからこそ、自分が死ぬかもしれないからこそ、立場というものがある。それは死に方を選ぶということにもちょっと関わってくるけど、つまり社会的立場を堅守する立場というのは、”人類はその後も生き残る”ことを前提としている。人類はその後も社会や文明を維持していくことを目的としている立場ということだ。
社会や文明なんて知ったことじゃない、今が生き延びることが大切だというのは確かにその通りではあるけど、人間はただ生きるだけでは”人間”とはいえない。人間には動物にはないものがあるとすれば文明であり(知性と文明は別のもの)、文明、つまり社会と言ったものを無視することは、人間が人間として生きることを捨てることだ。だから、人間が人間として”滅亡を乗り越える”ためには、社会的立場を無視して行動することは、必ずしも正解とは限らないこともある。もちろんそれには正解などないのだろうけれども。
だから、社会や国家というものに縛られて統一的な強調が出来ない姿とは、言い換えれば人が人として生きることの葛藤そのものだ。必要なことであっても、他にも必要なことがあって、それらは両立が極めて難しいこと。それを乗り越えるためには長く厳しい道のりが必要になる。
TEには、滅亡寸前の人類が、それでも国家的な陰謀や人種の壁に阻まれつつ、それでもそれを乗り越えるために、現実的に(社会を維持したまま)行動を起こしていくという物語なのだろう。そこにはヒロイックな物語はなく、地道で報われない出来事の繰り返しであり、しかし、そういうのこそが重要なことなのだと思うのであった。
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