『スワロウテイル/幼形成熟の終わり』
『スワロウテイル/幼形成熟の終わり』(藤真千歳/ハヤカワ文庫JA)
前作と比較するとスケール感という意味では見劣りするし、なんだか物語もあっちいったりこっちいったりしてて、そのくせ寄り道することの楽しさというか気楽さみたいなのもなくて、なんだか忙しいなあ、と思った。全体的に登場人物たちの言動が青臭すぎるのが原因かもしれない。主人公を初めとして、なんというか、若いというよりも幼い(中学生ぐらい?)な思考と政治的な話がいまいち噛み合ってなくて、なんかバランス悪いなーと思う。とはいえ、それは作者の特徴みたいなもので、そういうバランスの悪さを超えるものがあるのが、この作者なわけだけど。
とはいえ、今回はどうも物語が広がっていく感覚よりも、閉じていく感覚が大きかったような気もする。というか、たぶんそういう物語だったんだろう。前作では主人公は内側からはじき出されて外に追放されるのに対して、今作では内側に囚われ続けている。それは物理的にもそうだし、物理的以外にもそうで、彼女は色々なものに雁字搦めになっている。そもそも、そこから逃げ出そうとすることさえも出来ないくらいに囚われているわけだから。その意味では、前作よりも閉塞感のある物語になるのも当然という気もしてくる。
作者の方も意地が悪くて、意図的に前作の内容をなぞるようにしておいて、読者の意識を誘導しようとしているところがあって、そのせいで当てが外れた感覚を出そうとしているのかもしれない。まあ、その誘導も、前作を読んでいれば違和感を覚えるのは確実で、それがまた物語の据わりの悪さを助長している。
そう考えていくと、そもそも、この物語はそういうバランスの悪さ、気持ち悪さを最初から内包させようとしているのかもしれない。それが何を意味しているのかというと、正直、いくつか想像はつくものの、これは、という結論が見当たらないのだけど。ただ、最初から違和感があって、その違和感は最後には解消されるのだけど、それによって昇華されるかと言うと、そうではない。さっき書いたように、最後まで”囚われている”ことには変わりないからだ。そこから、さらに一歩、何かを反転させるものがない。いや、逆か。主人公にはそこから反転するものが”まだ得られていない”んだな。成長に失敗したか、あるいは成長の過程なのか。たぶん後者だろう。彼女はまだ赤ん坊みたいなものであって、前作のようにはきちんと選択が出来ないのだろう。
そうすると”幼形成熟の終わり”というタイトルも意味深な感じがする。彼女(達?)の成長は、現段階では打ち止めで、次はそれを超えるものを求めなくてはならない。それは何か?幼形成熟が終わったあと、次は何が始まるのか?うーん、これは続編への布石かもしれんね。
なんか今回はえらくふわっとした感想になってしまったけど、どうもこれ一作ではどうこう言い難い作品だった。収まりが悪いんだけど、ではどこに収めればいいのか、まだ良く分からない。その辺りは続編でもうちょっと考えたいと思う。
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