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2011.12.29

『きぜんと撤収!! 邪神大沼(8)』

きぜんと撤収!! 邪神大沼(8)』(川岸殴魚/ガガガ文庫)

シリーズ最終巻ということだけど、突然の急展開で伏線もグールCぐらいしかなかったし、やっぱり打ち切りなんだろうけども、そもそも伏線とかそういうのはこの作品としても相応しくなくて、突然終わるというのもらしいような感じもある。そして最終巻だということで登場人物もオールスター総出演になっているのだが、それでいてさしてお祭り感もなく、ふつーに登場してはふつーに去っていくアバウトさがある。そして大沼は自分自身の問題と向き合うことになるのだが、そのために取り組む問題も、ある意味しょうもなく、大沼自身がヒロイックに活躍するところもないのだけど、まあ本人の問題というのは、実のところ本人以外には別にたいした問題ではないということだと普通にある話で、だからと言って本人がその問題を放置していると取り返しのつかないことになってしまうと言うのも、また普通の話なのだ。

何が大事なことなのか、というのは実のところ人の心の中にしかなくて、おそらくあらゆる物事の価値というのも同じことでしかない。何が大切で、何が大切じゃないのかと言う問い対する答えは、”人による”と言うことでしかない。だけど、それならばこの世には大切なことなどないのかと言うことではなく、大切なことは自分自身で決めなくてはならないと言うことでもある。何が正しいのか。それは人の心の中にしかないということであり、人の心が決めるものなのだ。だからこそ”正しさ”は多様であり、そこから生まれる”行動”もまた多様であるのだ。もし”正しさ”が多様でないのだとしたら、一つの”正しさ”だけしか存在しないのだとしたら、それはおそらく人の心とは違うものから生まれたものに違いない。

この理屈でいうと、万人に普遍的な”正しさ”というのは存在しないことになる。もっとも、生まれ育った環境や教育、文化によって、ある程度共有する価値観というものはあるだろうし、それがなくてはこの世には救いがなさすぎるというものだけど、それでも全人類が統一意識を持っていない以上、一人一人で異なる”正しさ”は生まれて来るはずだ。だれかが「くだらない」と、「バカバカしい」と嘲笑するような、それでも紛れもなくその人にとっては大切で、この世のすべてに匹敵するようなものが。それを否定することは、己の中にある、”誰とも共有できない正しさ”の存在を否定することにもなるのだが、それを行ってしまうのも、人というものかもしれない。

大沼は、結局みんなから誤解され続けていたし、客観的にみてもグールCの方がはるかに強い存在であったというかはっきりと影が薄かったし、そもそも彼自身、自分の問題に対してさして有効な行動が出来たとはいえないが、それでも彼は、彼自身のもっとも大切なものから逃げることはしなかった。手にした大切なものは、誰かから見ればささやかで、どうでもいいものだったかもしれないけれど、”価値”と言うものもまた、普遍性などありえないものだ。自分の心の中にある”価値”から離れることなく、それを握りしめた大沼のあり方は、人々に感動を及ぼすことはなくても、とても大切なことなのだ。

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