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2011.11.30

『神様のメモ帳(8)』

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神様のメモ帳(8)』(杉井光/電撃文庫)

いつもの通り、愚かさや弱さに対して、非常に誠実な物語であった。それは悪くすると、愚かであるということや、弱さを抱えているということを称揚し、陶酔するナルシスティックな物語に堕する可能性を秘めているということでもある。事実、(どれがと言う話はここではしないが)いくつかの杉井作品には、そういう傾向を感じているものもあるのだが、それはむしろ、愚かさや弱さを扱う物語の困難さを表しているように思う。

神様のメモ帳シリーズは、その中ではかなり上手く行っている方だろう。確かに、愚かさを信念と言い換えたり、弱さをトラウマと言い換えることは簡単だし、それにも一定の真理はあるのだろうが、それだけでは”足りない”のであって、それはあくまでも一面でしかない、という事実(愚かさは罪であり、弱さもまたそうであるということ)をきちんと描く必要がある。

例えば、人々の愚かな思い込みが何かを成し遂げることもあれば、悲劇を巻き起こすこともある。弱さを抱えた人間がそれゆえに他者に慈しみを与えることがあれば、弱さゆえに人を害することもある。自分は、そうした描き方はとても重要なものだと思う。読者は物語に感情移入することによって、登場人物たちの弱さや愚かさに共感するのだが、それを作品の中で簡単にカタルシスを持って解決されないことで、読者に対して安易な癒しをもたらさないということなのだ。

簡単に今回の物語についても触れてみよう。前半は四代目の実家にまつわる話となっており、神様のメモ帳では珍しく痛快な物語である。四代目は、この物語の中ではもっとも強いというか、弱さを見せないキャラクターなので、必然的にそういうカラーになるのだろう。つまるところ、彼は強者であるのだが、強者とていつも強いわけではないし、強い者が正しいわけでもない。そうしたとき、弱者だって強者を助けることが出来るのだ、という意味で弱者の希望が描かれていると言える。だが、それでは弱さを称揚するだけでしかない。

それゆえに、杉井光は弱さゆえに人は助け合えるという側面を描いた後に、弱さゆえに人は傷つけるということを描くのだ。後半は、弱さゆえにある人間を決定的に傷つけた男の、その後の物語だ。彼は己の弱さに他者を巻き込み、そして決定的に損なった。そして、損なった後も、彼は己の弱さにのみ拘泥し、他者を省みることがない。これもまた、”弱い”という事の一側面であろう。弱いがゆえに、他者に手を差し伸べることが出来ない、という。

彼の弱さは、彼だけの問題ではなく、それ以外のすべての弱き者が共有するものであって、決して読者にとっても他人事ではないはずである(およそ自分に弱さを感じない人が、この物語を読む必要があるとは思えない、というのが個人的意見である)。さらに、結局のところ彼に救いがもたらされたのかはっきりしないまま物語は幕を閉じる。彼はこれからも弱さを抱え、罪を重ねていくのかもしれないのだが、その点には触れられない(触れることが出来ない)ままである。人間が人間に対して出来ることには、限界があるということであり、それが物語の力の限界をも同時に示している。

つまり、この物語は弱さを”克服”する物語には決してならない。弱さとは個々人が己の中で抱えていくべきであって、「物語の中で昇華されてはいけない」のだ。物語の中で昇華された瞬間、その弱さは嘘になってしまう。物語は、あくまでも実際の”弱さ”を一時的に保留するものであって、勝手に救ってしまってはいけない。実際の弱さは、読み手それぞれが解決するべき問題なのだから。その意味では、非常に優しくないともいえるし、同時に、この上なく優しい物語であると言うことも出来るだろう。

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2011.11.29

『烙印の紋章(9)』

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烙印の紋章(9)』(杉原智則/電撃文庫)

作者の”死”の扱いが良くわかってホッとした。無用なドラマティックさ、というのはちょっと貶しているみたいだけどそういうことではなくて、あくまでも”死”というのはあらゆる人間に平等な出来事のはずであるということを、作者はきちんと踏まえているのだと言うことがわかったと言うことである。つまり、主人公にとって極めて重要な存在の生死については、勢いドラマティックで派手なものにしたいというのはハリウッド映画ならずとも、ストーリーテリングに携わるのならば抗しがたい欲望であると思うのだが、そこを抑制したところは作者の見事さであるのではないか、ということだ。

どんなに主人公に重要な存在であろうとも、死ぬときは死ぬし、その死がドラマティックに演出されるとは限らない。主人公の与り知らないところで死んでしまうのかもしれないし、末期の一言を残すことも出来ないのかかもしれない。名誉のある死かもしれないし、逆にその死を讃えることも出来ない状況かもしれない。まあ、実際問題として、すべての死をそのように描くのは困難であろうと思うけれども、少なくとも作者の中には、”死”はただ”死”であり、それがもたらされるものは変わらない、という考えが見えることは、とても大切なことのように思える。

これは、”死”は残酷なものだとか、そういうことが言いたいのではなくて、そもそも、残酷だとか無惨だとか、そういうものとは関係のない事柄だと言うことだ。残酷だとか無惨だとかは、解釈の問題であって、実際にはあまり関係がない。というか、解釈の問題でしかない、ということだろうか。まあその辺りにはあまり興味が沸かないのであれだけど(だったら最初から書くなという話だ)、ただ人が死ぬことについて、なんの解釈もしないまま放り出して、読み手に全部任せるような描写があって、これはすごく良いと思った。まあ作中人物は色々”解釈”しているけど、これはこれで当然と言うか、解釈に幅があるように描かれているのも良かったと思う。

あとストーリー的なことを言うと、オルバが部下の命の重み、というものにようやく目覚めたというところで、自分ひとりで戦っていて、自分以外のものに興味がなかったオルバも正しく成長しているなあ、と思った。はっきり言って、そういうところに躊躇っているオルバは非常にかっこ悪く、初期オルバの方が果断だったと言う言い方も出来る。だけど、この辺りが正しい意味での王道というか、まさに王の道という意味でのそれであって、逆にそういうことを考えなかった初期のオルバがどれだけ迂闊というか”幼かった”ということが分かるとともに、そういう無自覚な時期を描くことによって、今ここにあるオルバの”無様”が意味を持つようになるのだろう。無知というものがどれだけ罪深いものかが良くわかる、という言い方をしても良いと思うけど。

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2011.11.28

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(9)』

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俺の妹がこんなに可愛いわけがない(9)』(伏見つかさ/電撃文庫)

今回は番外編のようである。第二シーズン終了後の幕間であり、前回までに固まった人間関係を確認する回となる。桐乃と京介の関係は、ただの兄妹というには距離感が近く、それはぶっちゃけ気持ち悪いくらいなのだが、しかし、それが彼らにとって正しい距離なのであろうというべき自然な距離感となっている。他者から見てどうこう、という視点で語るのは野暮であるし、同時に彼らの関係を侮辱するものとなるだろう。それは彼らが紆余曲折を経て作り上げた唯一のものであるからだ。さらに、関係を一度リセットしてしまった黒猫との関係の後始末も描かれたり、あまりに言及の少なかった沙織に対してフォローを行ったり、人気があるから出来る寄り道とはいえ、丁寧に登場人物たちの救済措置を行っており、相変わらず伏見先生はマメな人だな、と思うのだった。

さらにあやせや麻奈美など、おそらく第三シーズンにおいて物語の重要な役どころとなるであろう人々にもスポットが当たっている。この辺りがどのように関わってくるのか、実はあまりよくわからないのだけど、まあきっとまたしても桐乃とぶつかり合うのではなかろうか。ただ個人的な予感としては、京介の物語が発動する頃合ではないか、とも思える。もっとも、彼には現在、発動するべき物語は存在しない。彼はあくまでも対応者であり、他者とのかかわりを持つことによって動くタイプである。それゆえに、彼はヒーローとして振る舞うことが出来たのだが、前巻においては、彼がついに救われる側になったことが、一つの転換にあたるのではないか、と思えるのだ。つまり、京介の試練に対して桐乃がヒーローとなるのではないか、という予感だ。まあ、桐乃が動く場合は、黒猫や沙織も動くと思うけれど、まあそういうところだ。

この辺りはまだまだわからないところではあるが、そうなると物語として美しいな、と思うのであった。だって兄妹ってのは、そういうものだろ?

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2011.11.19

『戦闘破壊学園ダンゲロス』

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戦闘破壊学園ダンゲロス』(架神恭介/講談社BOX)

この物語からは、”人間”というものに対する圧倒的な肯定感を感じるので、読んでいて非常に気分が良い、と書くと、なんだまた世間一般の価値観に対する天邪鬼な感想を書こうとしているんじゃないか、と特に既読者から思われそうな気がするけど、これは誓って自分の素直な気持ちです。自分は、この小説を読んでいて、すごく心が癒されるような心地良さを感じるのだ。それがどういうことかを、ちょっと説明してみようと思います。

”人間”に対する肯定感とは何か、というところから話を始めるけれども、これはつまり、平等の感覚、と言うとちょっと誤解されてしまうかもしれないので、相対的な認識と言ってもいい。つまり「老いも若きも男も女も善も悪もそれはすべて等価値である」という感覚であり、認識のこと。これは「差別をしてはいけない、人間は皆平等である」ということではまったくない。現実的に考えて、人間は不平等だし、物事には勝利と敗北が存在するし、勝者は栄光を得て敗者はすべてを失うことになる、それは間違いないことです。しかし、平等も不平等も勝利も敗北もそれ自体はただの言葉に過ぎないと、自分は思う。つまり、人間とは同じ環境でいるのが幸せだ、あるいは負けるより勝つ方が良い、という価値観に基づいたものに過ぎないということです。例えば「人間とは生まれつき差があるのが当然だ」という価値観の元であれば、そもそも人間は平等であるべき、ということが尊ばれることはない。それはあくまでも価値観であり、不平等よりも平等の方が正しいということではないはずなのだから。

まあ、価値観そのものは良くも悪くもないのだが、問題は、価値観というものは”例外”を作るものだということ。例外とは、特定のルールにそぐわない存在を、規格外として排除することで、「勝つことがすべて」という価値観の中には、敗北した者は悪となるわけです。それは、価値観があるから敗北という”例外”が生まれることを意味する。例外があれば、人間は”排斥”したくなるものだ。そうして排斥は対立を生み、そうして世界には争い、不幸が広がっていく(まあ、あくまでも原理的な話だけれどもね)。

この作品では(そして作者には)、そうした価値観の奴隷となることから、なるべく距離を置こうというスタンスがあって、それが好ましいと感じる。つまり、カッコイイから、強いから活躍するのではなく、物語上で活躍するのは、さまざまな偶然、あるいは必然からたまたま生き残っただけであって、そこには”運命に選ばれた”、”特別な”存在だからではない、ということであって、そこには物語的必然というか、特権がない。善人も悪人も美人も醜男も能力の強弱に関わらず、みな平等にゴミのように死んでいく。そこに、価値観(良いとか悪いとかを認識する基盤)から離れた人間のあり方を描いているように、自分には感じられるのだ。

美しいことや醜いこと、優れていることや劣っていること、強いことや弱いこと、それらは”人間”としての意味には、本来ならばまったく関わりはないはずなのだ。それでも、人間はいつのまにか、強いことが凄いことだったり、優れていることが正しいことのように考えてしまっている。実際には、世界には残酷と無惨と暴虐に満ちており、善人は死に正義も無力であるが、同じくらい悪人も死に邪悪も無力なのが、”ほんとう”のことなのだ。すべては”神(と呼ばれる何か)”のサイコロの出目によって定められていること。人間は、ただ己の内にある衝動のままに自分の意思と力を振り絞って戦うだけであるだけであって、そこには価値観の入る余地など、あろうはずがないのだ。

人々の内にあるものは、希望かもしれないし欲望かもしれないし妄想かもしれない。それは問題ではなく、ただそうある(そうあるしかない)ものたちがそうあるように生きていること、それをまるごと肯定すること。それは同時にそれらすべてが同様に価値があることであり、そして同じくらい価値がないということを認識することなのだ。どんなに尊い理想も死ぬし、どんなに外道な邪悪だって死ぬ。そこにはどちらにも本質的な差異があるわけではない。ただ人間のあり方があるだけなのである(ジャンプ読者ならば、めだかボックスの安心院さんを思い起こしてみると良い)。

善人であることも邪悪であることさえも肯定したこの物語は、僕には人間賛歌の物語以外にありえないと思うのだ。

追記1。まあ、女子高生のレズがあらゆる価値観を超越した絶対正義である、と認識する作者の考えには、確かに否定しきれぬものはある。これもまた人間がそのうちに秘める衝動の一つとして、肯定されるべきものであろう。

追記2。コミカライズ決定おめでとうございます。次はゲーム化ですね。エログロはなくしてほしくないので(それが残酷というもの)、やるならエロゲーでしょうか。アリスソフトが作ってくれないものかなあ。

追記3。僕は邪賢王ちゃんが好きです。

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2011.11.13

『僕は友達が少ない(7)』

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僕は友達が少ない(7)』(平坂読/MF文庫J)

この物語は進もうとする力と留まろうとする力の綱引きによって成立しているように思う。例えば、夜空は小鷹との親友という関係が明らかになったとき、その関係を変化させることが出来たはずだった。星奈は許嫁であるという事実にが明らかになったとき、別の関係を生み出すことが出来たはずだった。幸村はその秘密が明らかになったときが最大の変化のときのはずだった。マリアは馬鹿な子供ではなく傷ついた子供であって、違う在り方もあるはずだった。小鳩はいつかは兄の下を離れなくてはならない。それらは、すべて物語を先に進めるための力である。新しい物語が始まる、そういう力だった。

しかし、それらの力は、すべて、留まろうという力によって強引に停滞させられている。夜空は、自分と小鷹の関係は元親友であるとした。星奈は許嫁という関係をなかったことにした。幸村は自分がなにをしたのか無自覚だった。マリアは愚かすぎて自分が傷ついているということさえ気が付いていなかった。小鳩はいましばらく兄の下にとどまるのであろう。そのようにして、留める力は進もうとする力と戦い続けている。留まろうとする力とは、すなわち隣人部のメンバーたちがいまこのままの関係を続けて行きたいと思っているということだ。すなわち、彼ら全員が留まろうとする力を発しているのだ。

彼ら一人一人ならば、とどまる力は発揮されない。小鷹との関係が一対一のものであれば、それは自然んにあるがままに動いたことであろう。しかし、彼らは彼ら同士で結ばれてしまった。隣人部という関係は、彼女らと小鷹の関係を、一体多数のものではなく、共同体としての関係に変化させてしまったのだ。それは決断を恐れるということ。彼らが仲間たちと楽しく過ごしていた関係を壊すことへの、決断をへの恐れが、留まろうとする力を生み出しているのだった。

しかし、元来、物事とは進むことを運命づけられているものだ。川の流れがとどまることのないように、人々の関係も動きを止められるものではない。彼らの関係を今までにいくども動かしてきたように、今回も、新たなる進もうとする力の使者があらわれた。それはもちろん理科のことだ。小鷹と隣人部のメンバーが揺れ動きを経験している中で、今までその揺れ動きに関与しなかった彼女が、ついに介入を始めたのだった。彼女は、実のところ物語を先に進めようとする力の体現者である。隣人部に閉塞していくメンバーの中で、唯一外界とのチャンネルを持ち、小鷹との関係を進めることに積極的であった。それゆえに、隣人部を内部から壊すことが出来るのは、おそらく彼女をおいて他ならないであろう。

彼女は小鷹のことを責める。決断して欲しいと訴える。その決断は、彼女一人では決して出来ないことだからだ。関係の変化とは一人で行うものではなく、関係を結ぶ双方の意があって始めて生まれる。その決断を彼女は求めてきた。それは引いては、小鷹と関係を結ぶメンバー全員との関係を揺るがすこと意味することは自明である。それは、この物語が終わりに向かっていることを意味するのだ。それは正しい物語である。停滞するものなどこの世にはなく、痛みを伴わぬ決断もない。痛みを伴って成長することこそ、物語の正しい在り方なのだから。

だが、前言を翻すようだが、そこに自分は疑義を覚える。「物語的に正しい」とはどういうことなのか?物語的に正しければ、主人公達は傷ついてもいいというのだろうか。確かに物語は正しく美しいものである必要があるのだろう。だが、その物語に生きる人々は、「物語が終わったあとも生きていかなければならない」はずである。それを安易に「成長する方が正しい」からと言って美しくまとめてしまっていいものであろうか。僕の知る平坂読という作家は、そのような作家ではなかった。彼は「物語的な正しさ」に常に抗ってきた作家だった。ドラマティックな悲劇、試練と痛みに耐える甘美、犠牲に悲しむ酩酊。そうしたものに抗ってきた作家であった。

そこで自分はこのように妄想する。この物語は、「物語的正しさ」と「それに抗しようとする者たち」のものなのではないか、と。物語の中にいる登場人物達にとっては、「物語的正しさ」など、どうでもいいことだ。そんなもののために、自分たちの人生をドラマティックに盛り上げられるなど、迷惑千万である。彼らは、彼らなりのやり方で、人生を生きる権利がある。我らが彼らの人生を楽しめないからと言って、それを否定するのは傲慢じゃあないだろうか?我々が”たまたま”読者という次元の高い存在にいるからと言って、他者の人生を娯楽にすることに躊躇いを覚えないのは罪悪ではないだろうか?少なくとも自分の知る平坂読は、そのような奇妙な誠実さの持ち主であるように、自分は思っている。例え読者を裏切っても、作家には裏切れないものがある、というような。

志熊理科は、果たして物語的正しさによる大ボスなのか。あるいは彼女をも、彼らの日常は飲み込んでゆくのか。彼らの「日常」は物語的正しさに打ち勝てるのか。それはすぐにわかることであろう。

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2011.11.12

通り道

家から二駅離れた本屋に向かう途中に公園を横切った。小さな山がそのまま公園にしたような形をしており、遠目から見ると木がうっそうを生い茂っているのが見えるだけなので、一見したところ山にしか見えない。中に入ってると背の高い木々の囲まれて圧迫感があるが、右手を見ると小さなブランコや砂場などがある小さな遊び場があり、その奥には広場が広がっていて開放感があった。なんとなく広場のほうをぶらぶらしていると、さらに奥にテニスコートがあり、だがいまのところ使用している様子もない。テニスコートの脇にはさらに奥に続く道があるようだったが、覗いてみたところさらに公園が広がっているようで、どこまで続くのかまったくわからない。道を引き返して出口に向かうと親子連れが歩いていて、先ほどの遊び場に向かうようだった。出口に向かうと一気に視界が開けるような感じがあって、木々の存在感を改めて感じる。入り口の手前でふと左手を見ると下り坂があって、それはほどなくして上り坂につながっている、つまりすり鉢状になっていた。まっすぐな道で、周囲に比較できる建物がなく、微妙に遠近感が狂うような、不思議な感じだった。坂道の向こう側にはぼやけた色合いの海が見えた。

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2011.11.10

好きとか嫌いとか

自分が嫌いな作家を三人述べよ、と問われたならば、まことに申し訳ない話ながら、現在アニメも評判であり今をときめく作家、川上稔がまず挙げられる。言い訳をさせてもらうならば、この場合の嫌いとは好きの反対ではない。好きの反対は無関心であって、嫌いは好きの裏表なのだ。川上稔の大ファンと言う方は、怒り出す前にちょっとお待ちいただきたい。別に貶したいわけじゃないのです。

本題である。川上稔の作品に忌避感を覚えたのは、実はデビュー作の『パンツァーポリス』を読んだ当初からであった。モチーフや設定はすこぶる面白いのだが、肝心の物語がなんとも気に入らなかったのである。読んだ当時は自分も若かった、というよりも幼かったこともあり、自分自身の考えをきちんとまとめることも難しく、そのあたりの言語化が出来ずにしこりが残った。「面白くない」ならば分かるのだが、「嫌い」とはどういうことなのか……。その違和感は、それからも消えることは無かった。

次に川上作品に触れたのは、それから随分後のことである。幼かった自分も、それなりに理屈を捏ね回す若造になった頃。ある本屋で都市シリーズが全巻揃っているのを見つけた。棚一面に揃えられた背表紙を眺めながら、ふとある思考が頭をよぎった。あのとき感じたままのしこりの正体を確かめてみようじゃないか、と。今思えば魔が差したとしか思えないのだが、その時はものすごく良い思いつきのような気がしていた。そんなことを思いつく自分に感心さえしていた。そして、それに後悔したのはすぐのことだった。

つらい。とにかくその一言に尽きる。もともと自分とは合わないものを感じたから、しこりとなって残ったのだ。つまり読んでもまったく面白いと思えないものを、延々と読み続けるこの不毛な感覚は、容赦なくモチベーションを奪った。読みながら、作中の端々に苛立ち、ときに怒り、そしてそんな風に感じてしまう自分に嫌悪する。そうした後悔と自己嫌悪にまみれて、ただ意地だけで読み続けていった。

だが、ひたすらに読み続けていると、少しずつ、「好き/嫌い」や「面白い/つまらない」という感覚が麻痺して来た。代わって表われるのは、さまざまな疑問だ。自分自身が「嫌い」と思ったのは何故なのだろうか?その感情はどこから来るものなのか。そもそも好きと嫌いというのはなにか?面白い/つまらない、と、好き/嫌いはイコールでは結ばれないのか?さまざまな疑問が湧き上がり、その答えを知るためにさらに本を読む。いつしか自分は、ただ”読む”という行為に没頭していったのだった。

おそらく、この時ほどに”本を読む”ことを自覚的に行ったのは、初めてだったように思う。”本を読む”とは、極端な話、自分自身と対話することに他ならない。エンタメ小説を読む時だって同様だ。”面白い”と感じるのは自分の中に”面白い”と感じる「何か」が小説と響きあっているということなのだ。つまり、自分がそれまでの人生の中で培ってきたもの、価値観、常識、偏見、あるいは思い出、体験、夢、そうしたもろもろのものと”響きあう”から”面白い”と感じるのである。このときの自分は、”何が”自分の中の”何か”と響きあうのか、あるいは響かないのかを、より自覚的に行うようになっていたのだ。

ついに手がかりを見つけたのは、都市シリーズをすべて読破し、AHEADシリーズを読み始めたときのこと。とある登場人物の武器を見て、「あ、こんな武器、高校生の頃に考えたことがあるなあ」、と思った。それで閃いたのは、川上稔と自分は、妄想の方向性において、近いものがあるのではないか、ということだった。良く考えてみれば、自分は川上作品における世界設定は最初から好きな部類である。例えば世界設定が物語よりも優先する話、『閉鎖都市 巴里』は、抜群に面白かった。逆に川上節溢れる人間ドラマが繰り広げられる『機甲都市 伯林』は……うん、まあ、それはともかく。

つまり、自分は川上稔の想像力(妄想力)は大好きでありながら、一方で川上稔の書く「人間ドラマ」が気に入らなかったのだ。自分と同じものが好きな作家でありながら、同時に絶対に許せないものを書く。そうした作家に対して生じるアンビバレンツな感情を名付けるならば、近親憎悪というのが妥当であろう。無視できないほどに魅力的でありながら、どうしても好きになれない対象には、嫌うしかないではないか。それが自分の不可解な感情だったのではないか、というのがとりあえずの結論である。

この解釈が合っているかどうか、それは問題ではない。どうしたって正解などないものだからだ。ただ、そのように自分の心に説明することが出来たとき、自分の中にわだかまるものをようやく解放できたような気がした。少なくとも、こういう自分ならば許せるし、理解も出来る(ただ理由もなく嫌悪するだけの自分は許せないし理解できない)。曖昧なものに名前をつけたことでで、ようやく自分の感情に決着をつけることが出来たのである。

この時に得た手法は、その後もいろいろと役に立ってくれた。例えば、『とある魔術の禁書目録』を読むのに救われたものだ。もともと禁書目録シリーズも、どちらかと言えば「嫌い」な作品であったのだが(かつて二度ほど挫折している)、己の感情を解体することで、”嫌いは嫌いだが、それそれとして”評価が出来るようになったのである。そうして、禁書目録の持つ”思想”や”手法”の有効性を自分なりに理解できたことで、今では禁書目録を面白く読めるようになった(これについてはいつか書きたい)。これも川上稔作品を読んだ経験があってのことであって、いつかAHEADシリーズを読み直すことで、この時のお礼をしたい、と常々思うのであった(まだAHEADシリーズは四冊目、つまり2の下巻までしか読んでないのよね)。たぶん、今ならば面白く読めると思うんだ。

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2011.11.06

美容室

家から駅までの道のりに、なぜか美容室がいくつもある。正直、10分ぐらいの道のりに、なんでこんなに美容室が密集しているのか不思議でしょうがないのだが、あるいは住み分けが出来ているのかもしれない。

家を出てから駅に向かって歩く。5分ほどで最初の美容室が見えてくる。十字路の隅にあるその美容室は、入り口の扉に古びたポスターが貼ってあるのが目印だ。入り口は曇りガラスになっていて、中の様子はわからない。貼られているポスターには粗い印刷で俳優がポーズを決めているのだが、残念ながら誰なのかまではわからない。あるいは俳優でさえないのかもしれない(ただなんとなく映画っぽい印象がある)。ポスターだけではなく、全体的に古びた印象のある美容室で、昭和の匂いを意識させるものがあった。この昭和の匂いというのも、勝手な印象に過ぎないのだが。

それから50mほど歩くと、二つ目の美容室が見える。一つ目とは対照的に、前面がガラス張りになっていて、店内が一目で見渡せる。なにやらキラキラしたデザインで、すごく明るい印象がある。美容師さんがきびきびと立ち回っていて、いかにも最近の美容室と言った感じだ。とはいえ、あまりにも明るくきらびやか過ぎて、どことなくプレッシャーを感じる。あるいは僕だけかもしれないけれども。

それから100mぐらい歩く。駅はもう目の前なのだが、その途中にもう一つ美容室がある。この美容室は意識を凝らしていないとすぐに見落としてしまうぐらいにこじんまりとしている。というか、極端に小さい。何しろ客が一人しか入れるスペースがないのだ。まさに美容”室”という形容にこれほど相応しいところもない。いつも美容師のお兄さんが一人で暇そうにしているのだが、果たして客が入っているのだろうか。

駅に到着して、振り返るとテナントの入っている建物がある。どうやらそこにも美容室が入っているらしいのだが、さすがにそれを確かめようと言う気にはなれなかった。

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2011.11.04

『魔法少女のくせになまいきだ。』

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魔法少女のくせになまいきだ。』(永井寛志/スマッシュ文庫)

正直作者は小説を書くつもりがないんじゃないか、と思わざるを得ないほどに背景は貧しいし、キャラクターの造型にも作り込みを感じさせないのだが、それでも確かな面白味を感じさせる作品である。とりわけ”天然の神様”というワードに代表される、物語世界の緻密…というのとも違う、なんというか当たり前に存在する物語世界の強度のようなものに魅力をかんじるのだった。

神様というものが普遍的にいる。そういう作品内の常識を、読者に対して有無を言わさず突きつけている。”天然の神様”という言葉には、実にそれほどの言霊がある。この言霊が発せられてしまえば、読者としてはなるほどこの世界には神様が当たり前にいるんだな、そして神様にも色々な種類がいるんだな、ということが即座に了解できるわけである。それ以外にも、神様と契約するに当たっては心理テストみたいな(結果の良く分からない)質問に答える必要があり、そしてそのテストの内容が、神様の性質を体現していたりする。短い言葉の中に、多くの情報が詰まっており、その情報を読者に開陳していくことの異常なまでのストレスの無さに、作者のゲームシナリオライターとして側面を感じるのだ。

正直、自分はこの作品を読んで、その技巧に感動さえしている。良いシナリオライターが良い小説家になるとは限らないのは世の常だが、この作者の場合、小説家としての自分をある意味において放棄している。あくまでもシナリオライターとして、小説を書いているように思えるのだ。例えるならば、陸奥九十九が陸奥圓明流のままにボクシングの舞台に立った、というような(我ながらわかりやすい例えだ)。キャラの描写方法に、完全に小説の手法とは異質なものがあって、シナリオライターとしての視点でなければ、このような”キャラ描写”は決して行えないのではないか。物語そのものも、皆が知っているテンプレな展開はばっさりカットしているし、あるいは小説という”枠”からも自由であるのか、とも思える。

一種閉塞状態にあるライトノベルジャンルに、ゲームシナリオという異能感覚を持ち込んだ点は、良い仕事をしていると思うし、評価すべきだとも思う。あとは、作者本人に小説家としてやっていく気があるのか、というところに疑問感じないでもないが、まさしく余計なお世話というものだろう。

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2011.11.02

10月に読んだ本

10月の読書メーター
読んだ本の数:55冊
読んだページ数:10701ページ
ナイス数:112ナイス

死んだ女は歩かない〈2〉あくまで乙女 (幻狼ファンタジアノベルス)死んだ女は歩かない〈2〉あくまで乙女 (幻狼ファンタジアノベルス)
女性に対する歪んだ視点を巡る物語になっている。
読了日:10月30日 著者:牧野 修
死んだ女は歩かない 3 ――命短し行為せよ乙女 (幻狼ファンタジアノベルス)死んだ女は歩かない 3 ――命短し行為せよ乙女 (幻狼ファンタジアノベルス)
強い女性が殺し殺され痛めつけられ痛めつけ。それを消費する視点と抗する視点、かな。
読了日:10月30日 著者:牧野 修
マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス 5 蠱主の細瓮 (ファミ通文庫)マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス 5 蠱主の細瓮 (ファミ通文庫)
唯衣がまあ可愛くなっちゃってまあ/デモンストレーターカラーがクソかっけえ。
読了日:10月30日 著者:吉宗鋼紀
冒険エレキテ島(1) (KCデラックス)冒険エレキテ島(1) (KCデラックス)
なつかしき空想科学冒険漫画の風情。”今”をどこまで取り込めるのかな。
読了日:10月30日 著者:鶴田 謙二
魔術士オーフェンはぐれ旅 約束の地で魔術士オーフェンはぐれ旅 約束の地で
ここにきて世界が広がっていくところが良いよね。
読了日:10月30日 著者:秋田 禎信
ドロヘドロ 16 “悪魔の教典”付き限定特装版 (小学館プラス・アンコミックスシリーズ)ドロヘドロ 16 “悪魔の教典”付き限定特装版 (小学館プラス・アンコミックスシリーズ)
ニカイドウエロい/だいぶ謎が整理されてきた。が混迷度合いは変わらんか。
読了日:10月30日 著者:林田 球
シュトヘル 5 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)シュトヘル 5 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)
実体が消え去っても残るもの。文字と憎しみ。あとは何かな?
読了日:10月30日 著者:伊藤 悠
アバタールチューナーⅤ (クォンタムデビルサーガ)アバタールチューナーⅤ (クォンタムデビルサーガ)
男同士の殺し愛の壮絶っぷりがハンパねえ。ヒートはヤンデレにもほどがあるぜ。
読了日:10月28日 著者:五代 ゆう
拘束乙女の聖歌隊 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)拘束乙女の聖歌隊 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
猫井氏が必要な理由は一読して理解した。このアヘ顔は良いな。
読了日:10月28日 著者:猫井ヤスユキ,今川泰宏(原作)
ニート女と小学2年生 (MFコミックス フラッパーシリーズ)ニート女と小学2年生 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
こういう志水アキ氏の話は初めて読んだ気がする。
読了日:10月28日 著者:志水アキ
コジカは正義の味方じゃない 2 (MFコミックス フラッパーシリーズ)コジカは正義の味方じゃない 2 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
これから面白い話になりそうなのにそりゃないよ。
読了日:10月28日 著者:小原 愼司
PIECES 7PIECES 7
士郎正宗のプロフィールなんて生まれて初めて読んだ気がするのだが…。
読了日:10月25日 著者:士郎 正宗
人造救世主  アドルフ・クローン (角川ホラー文庫)人造救世主 アドルフ・クローン (角川ホラー文庫)
異能バトル漫画をSF的な考証を厳密に踏まえた上でやるという意図は良かったのだがなあ。
読了日:10月25日 著者:小林 泰三
ダンガンロンパ/ゼロ(下) (星海社FICTIONS)ダンガンロンパ/ゼロ(下) (星海社FICTIONS)
これは見事なファウストライン。邪悪さという意味でセンスを感じる。
読了日:10月25日 著者:小高 和剛,小松崎 類
棺姫のチャイカIII (富士見ファンタジア文庫)棺姫のチャイカIII (富士見ファンタジア文庫)
榊先生は本当にお説教が大好きなんだなあ。
読了日:10月25日 著者:榊 一郎
つらつらわらじ(3) (モーニングKC)つらつらわらじ(3) (モーニングKC)
極端な記号化の上に人物が多いと誰が誰やら…/和泉の自然な変化が良い。
読了日:10月25日 著者:オノ・ナツメ
無限の住人(28) (アフタヌーンKC)無限の住人(28) (アフタヌーンKC)
最終決戦の面子に、こりゃあ確かに決戦だわ、と思った。
読了日:10月25日 著者:沙村 広明
シドニアの騎士(6) (アフタヌーンKC)シドニアの騎士(6) (アフタヌーンKC)
長道のスーパーハーレムタイムの始まりだよ。
読了日:10月25日 著者:弐瓶 勉
ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔<講談社ノベルス>ルー=ガルー2 インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔<講談社ノベルス>
僕は仮面ライダーの中ではブラックが好きです(RXも含めて)。
読了日:10月21日 著者:京極 夏彦
史上最強の弟子 ケンイチ 44 (少年サンデーコミックス)史上最強の弟子 ケンイチ 44 (少年サンデーコミックス)
リミは不思議な立ち位置のキャラ。美羽のカウンター…なのか?
読了日:10月20日 著者:松江名 俊
マギ 10 (少年サンデーコミックス)マギ 10 (少年サンデーコミックス)
モルジアナさんが素晴らしいです。
読了日:10月20日 著者:大高 忍
ZETMAN 16 (ヤングジャンプコミックス)ZETMAN 16 (ヤングジャンプコミックス)
高雅がまったく成長していない……。あれだけあって変わらないのもすごいな。
読了日:10月20日 著者:桂 正和
血潜り林檎と金魚鉢男 1 (電撃ジャパンコミックス ア 1-1)血潜り林檎と金魚鉢男 1 (電撃ジャパンコミックス ア 1-1)
雨と血と畳みの匂いのするマンガです。
読了日:10月19日 著者:阿部 洋一
おれはキャプテン(27) (少年マガジンコミックス)おれはキャプテン(27) (少年マガジンコミックス)
最悪に根性捻じ曲がって高校野球をやっている主人公たちは最高だぜ。
読了日:10月19日 著者:コージィ 城倉
這いよれ!ニャル子さん 8 (GA文庫)這いよれ!ニャル子さん 8 (GA文庫)
順調に物語が発動している。そろそろ”閉じ”に入りそう。
読了日:10月19日 著者:逢空 万太
神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)
熊と石と箱とカエル。奪われることの暴力性のこと。
読了日:10月18日 著者:村上 春樹
天獄と地国  (ハヤカワ文庫JA)天獄と地国  (ハヤカワ文庫JA)
まさかのスーパーロボットバトル小説(ハードSF版)
読了日:10月14日 著者:小林 泰三
魔法少女かずみ☆マギカ ~The innocent malice~ (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)魔法少女かずみ☆マギカ ~The innocent malice~ (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
なんというか、ごちゃ、っとした漫画だ。色々なものが。
読了日:10月13日 著者:原案:Magica Quartet,原作:平松正樹,画:天杉貴志
ドリフターズ 2巻 (ヤングキングコミックス)ドリフターズ 2巻 (ヤングキングコミックス)
ええ!?信長さん、豊久を、覇道ではなく王道を歩ませるつもりなんですか!?マジで?
読了日:10月13日 著者:平野 耕太
楠木統十郎の災難な日々―ネギは世界を救う (電撃文庫)楠木統十郎の災難な日々―ネギは世界を救う (電撃文庫)
南井先生は山本弘先生と同じタイプのスタンド使いだったのか…!
読了日:10月12日 著者:南井 大介
DVD付き 怪物王女(16)限定版 (シリウスコミックス)DVD付き 怪物王女(16)限定版 (シリウスコミックス)
誰も当事者がいなくなった9年間の戦いが切ない。
読了日:10月12日 著者:光永 康則
キノの旅〈15〉 (電撃文庫)キノの旅〈15〉 (電撃文庫)
時雨沢先生も枯れましたねえ。初期の説教臭さがもはや微塵もない。素晴らしいです。
読了日:10月11日 著者:時雨沢 恵一
アクセル・ワールド〈9〉七千年の祈り (電撃文庫)アクセル・ワールド〈9〉七千年の祈り (電撃文庫)
災禍の鎧は一度棚上げか。次のピンチのためにペンドしとくということかな。
読了日:10月11日 著者:川原 礫
マップス ネクストシート ⑭ (フレックスコミックス)マップス ネクストシート ⑭ (フレックスコミックス)
スケールをここまで広げつつ、すべてが納得のいく収束に至る。
読了日:10月11日 著者:長谷川 裕一
純潔のマリア(2)限定版純潔のマリア(2)限定版
純潔であること。魔女であること。正義を為すこと。そして、戦うこと。
読了日:10月11日 著者:石川 雅之
エリア51 2 (BUNCH COMICS)エリア51 2 (BUNCH COMICS)
”終り”が最初から内包されている物語なんだよな。
読了日:10月11日 著者:久 正人
めだかボックス 12 (ジャンプコミックス)めだかボックス 12 (ジャンプコミックス)
よくもまあ次から次へ捻った問題を考えられるものだな
読了日:10月10日 著者:暁月 あきら
保健室の死神 10 (ジャンプコミックス)保健室の死神 10 (ジャンプコミックス)
無念…ジャンプのカラーではなかったということだろうか。
読了日:10月10日 著者:藍本 松
アイアムアヒーロー 7 (ビッグコミックス)アイアムアヒーロー 7 (ビッグコミックス)
英雄は誰かを守るために銃の前に立てる人間なのだ。
読了日:10月10日 著者:花沢 健吾
自殺島 6 (ジェッツコミックス)自殺島 6 (ジェッツコミックス)
森先生の作品は本当に女性キャラが動かないなあ。
読了日:10月10日 著者:森恒二
スワロウテイル/幼形成熟の終わり (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル/幼形成熟の終わり (ハヤカワ文庫JA)
若いのに老成して、緻密なのに隙が多い。
読了日:10月10日 著者:籘真 千歳
鬼物語 (講談社BOX)鬼物語 (講談社BOX)
”嘘つき”と”ルール”の話かー。またしてもメタの匂いがぷんぷんとする。
読了日:10月03日 著者:西尾 維新
魔術士オーフェンはぐれ旅 キエサルヒマの終端魔術士オーフェンはぐれ旅 キエサルヒマの終端
同質にして正逆、ってのは、今になってみると良く分かる考え方だ。
読了日:10月03日 著者:秋田 禎信
シュヴァルツェスマーケン 2 無垢なる願いの果てに (ファミ通文庫)シュヴァルツェスマーケン 2 無垢なる願いの果てに (ファミ通文庫)
現実と理想が合さり最強となる。たぶん。きっと。もしかしたら。
読了日:10月03日 著者:吉宗鋼紀/内田弘樹
ねこPON! (集英社スーパーダッシュ文庫)ねこPON! (集英社スーパーダッシュ文庫)
完璧な意味での児童文学。原点回帰のようだ。
読了日:10月03日 著者:吉村 夜
Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)
アーサーが孤独に支えていた王国は、彼の不在より、軋みを上げて崩壊してゆく…。
読了日:10月03日 著者:船戸 明里
ミカるんX 8 (チャンピオンREDコミックス)ミカるんX 8 (チャンピオンREDコミックス)
天と地と宇宙を貫く壮大なスケールで綴られた百合漫画であった。
読了日:10月03日 著者:高遠 るい
Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ツヴァイ! (4) 限定版 (角川コミックス・エース)Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ツヴァイ! (4) 限定版 (角川コミックス・エース)
たぶんこの世界は第四次が最良の形で終了したんだろうなあ。
読了日:10月03日 著者:ひろやま ひろし
装甲悪鬼村正 魔界編(2) (ブレイドコミックス)装甲悪鬼村正 魔界編(2) (ブレイドコミックス)
伝奇小説なら、仏像の一つや二つ、飛んで当然だよな。
読了日:10月03日 著者:銃爺,ニトロプラス
サーバント×サービス(1) (ヤングガンガンコミックス)サーバント×サービス(1) (ヤングガンガンコミックス)
クール系かと思われたルーシーが一番ダメ可愛い系の女性だったという。
読了日:10月01日 著者:高津 カリノ
WORKING! ! (10) (ヤングガンガンコミックス)WORKING! ! (10) (ヤングガンガンコミックス)
ラブの階段を順調に登る。恋の微風どころではなくなってきた。
読了日:10月01日 著者:高津 カリノ
ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド 12 (MFコミックス フラッパーシリーズ)ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド 12 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
まさかあれが伏線だったとは……。
読了日:10月01日 著者:環望
ベルセルク 36 (ジェッツコミックス)ベルセルク 36 (ジェッツコミックス)
魔法がすっかり軽々しくなって……うん、これも悪くないな。
読了日:10月01日 著者:三浦建太郎
僕は友達が少ない7 DVD付き特装版 (MF文庫J)僕は友達が少ない7 DVD付き特装版 (MF文庫J)
幾度もの引き戻しを受けてついに動くっ…わけないに千点。
読了日:10月01日 著者:平坂 読
セレスティアルクローズ(3) (シリウスコミックス)セレスティアルクローズ(3) (シリウスコミックス)
なぜか日本に北欧神話の神社(?)があるというミスマッチ感が良い。
読了日:10月01日 著者:塩野 干支郎次

2011年10月の読書メーターまとめ詳細
読書メーター

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2011.11.01

電車にて

電車の中で『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)を読んでいた。小説入門と書いておきながらテクニックについてほとんどろくなアドバイスをしないというロックな本だが、これがすこぶる面白く、小説というものは~ではないとという否定を積み重ねることによって、小説というものの輪郭を浮かび上がらせようという試みがされている。そのなかで”相田みつを”について触れられているところがあり、相田みつをとはなぜ相田みつをであるだけで面白いのか、というようなことが、ほんの僅か触れられている。その箇所を読んでいるとき、背後から「相田みつをって~」という会話が聞こえてきた。その単語だけが飛び込んできた感じだった。ちょっと後ろを見てみたが、誰が言葉を発したのかもわからなかった。

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