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2011.10.06

『奥ノ細道・オブ・ザ・デッド』

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奥ノ細道・オブ・ザ・デッド』(森晶麿/スマッシュ文庫)

奥の細道でゾンビ!・・・というただそれだけの一発ネタだけの作品というには、もう少し、この作品の志しは高い。ただ、奥の細道にゾンビを出してみました、というだけではなく、多種多様、手を変え品を代え、さまざまな、過剰なまでのネタをぶち込んだ、ごった煮的な作品なのである。松尾芭蕉が忍者!なんてのは今では別に珍しくもないが、川合曾良が男の娘!とか、とにかく過剰。ひたすら過剰である。だが、そこが良い。とにかく思いついたネタを残らずぶち込もうという気概を感じるのだ。

僕が一番感心したのは俳句の取り扱いである。奥の細道を題材にした以上、俳句の問題に触れないわけにはいかないのは当然であろう。果たして、この作品ではどのように対処したのか。まあネタとしては単純である。芭蕉の有名な俳句が、すべて屍山血河の地獄道から生まれた血塗られた俳句であったということになったのである。彼らの旅路は、血と骨と腐臭にまみれており、彼らの俳句はすべてその中から生まれたものなのだ。俳句はすべてそのままで、その生まれた意味のみを変質させる。その”解釈”もかなり強引だったり、あるいはそのまんまじゃねえか!と思わずツッコミを入れたくなるようなものもあり、この当たりの無意味なくだらなさは、実に素晴らしいものがある。これはやったものの勝ちであろう。

また、作品中における死生観の軽さには奇妙な明るさがあって、心地良い……とか書くと頭がおかしいと思われそうだが、不思議な達観があるように思うのだ。この作品の登場人物たちの多くは、ゾンビ(屍僕)に対して無用な恐れを抱かない。もちろん驚異であるし、自分の命が危険にさらされれば慌てもするが、それでも恐怖に怯えることは少ない。まるで、すぐ目の前で人が食われていようとも、それでも手元にある酒を楽しまないわけにはいかない、とも言わんばかり。死に対して無用に恐れず、それでいて生に貪欲。これは芭蕉と曾良の関係にも表われていて、というか、こいつらゾンビそっちのけで耽美な世界を構築しており、なるほど世界が滅びる時は既成の価値観も崩壊するときなのだな、みたいなことを考えないでもないが、まあそれはいい。ええと、まあ、とにかく登場人物たちがパワフルだなあ、と。元気に殺し殺されていて、けっこうなことですね。

物語としては、最後までネタを切らさず、喜劇すれすれ、ときに喜劇そのものになるバカバカしさのまま、突っ走る。それでいて、どこかもの悲しいのは、まさに奥の細道の持つ俳句の力ゆえか。形あるものは消え去り、すべては滅びる。滅びの顕現が屍僕であるとすれば、彼らが満ちる世はこの世の摂理であろうか。芭蕉自身は、あるいはそれも良いと思っている節があり、それを否定も肯定もしないところに、不思議と爽やかさがある。グロテスクでチープで安っぽいけれども、滅びをテーマにしているところは、ある意味において切なくもあり、僕はそういうのが好きだ。そういう奥床しさがあるのは、好ましく思う。

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