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2011.10.26

『パーフェクトフレンド』

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パーフェクトフレンド』(野崎まど/メディアワークス文庫)

野崎まどは、常に読者の予測を裏切ろうとする作家であり、その意味では、極めてひねくれ者な側面を持っているように思う。読者の予測を裏切るためならば、平然のジャンルの横断を行うところなどがそうなのだが、個人的に、このあたりの根性のひねくれ具合は、なかなかに好ましく思えるのだ。なぜなら、この姿勢を貫く限り同じ場所(手法)に留まることは出来ず、新しい道を常に探し続けなくてはならないからである。

何事もそうだが、人間は慣れる。一度は騙されたとしても、同じやり方で二度目は騙されにくい。従って、読者の予想を常に裏切ろうとするのであれば、常に新しい手法を取り込まなくてはならない。それは前回積み上げたものを利用できないということであり、常に最初から構築しなくてはならないということでもある。それはとても大変なことだと思うし、努力もセンスも必要なことだと思うのだ。

その試みが毎回上手くいっているとは、個人的には思えないのだが、それでも常に新しい事をやろうという意欲のようなものは感じられる。その姿勢は厳しいものだとは思うけれども、そうした姿勢の中からしか新しいものは生まれないとも思う。西尾維新も同じような、ただひたすらにひねくれた展開だけを追い求めて行った結果、なにやらすごいところまで行ったのだし(西尾維新は毀誉褒貶が激しい作家だが、ライトノベルやミステリの分野に与えた影響を無視することは難しいはず)。

今回の『パーフェクトフレンド』は、野崎まどらしい、ジャンルのクロスオーバーとなっている。友達というものが理解出来ない天才少女と、彼女にプライドをへし折られた秀才少女の出会いと友情の物語。あくまでもロジカルに理解しようとする天才少女に対して、それに悩みながらも答えを返そうとする秀才少女のやりとりがコミカルに描かれているのだが、しかし、そうした物語の基調の中で、超自然的なエブリデイマジックに物語が彩られていくのだ。それまで主人公的存在であった秀才少女は物語の舞台から降り、代わって天才少女の内面に深く潜ることになる。

このジャンルの切り替えによるショックを与えられるのはいつも通りなのだが、そこから”喪失”が”回復”するという物語に還元しているところがいささか異なる。そのため、すごく正統派な”行きて帰りし物語”となっており、ファンタジーとしての精度の高さを感じるのだった。そして最後に表われる事実が、”フィクションとしてのファンタジー”を”現実に再現する”という不可能を可能にせしめるピースとして結実するあたりに、この混乱した(むろん意図的なのだが)物語を、上手くまとめたな、と感心したのだった。

確かにやっていることは、さまざなまジャンルの物語をモザイク的に組み合わせているに過ぎない、と言えなくもないのだが、それぞれの個別の物語がリンクしてくる場合、モザイク模様がどのような絵を描くことになるのか、興味深くもある。おそらく、このやり方ではいつか苦しくなるかもしれないが、是非ともこの道を突き進んで欲しいと思う。

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