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2011.10.30

『“夕顔” ヒカルが地球にいたころ……(2)』

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“夕顔” ヒカルが地球にいたころ……(2) 』(野村美月/ファミ通文庫)

少女の美しさには、どこか儚い印象が付随する。それは、少女という形態が、あくまでも過渡期であることと無関係ではない。少女とは、子供が大人になる過程の、またたきのような瞬間のこと、らしい。僕はよくわからない。ただ、”過程”であることの苦しさと哀しさは、わかる。それは10代の頃の自分にも、付きまとっていたものだからだ。

だが、そうした苦しみも悲しみも、大人になれば消え去る。あるいは形を変える。大人になった自分は、かつてあったような苦しみや悲しみを感じることはない。それは心のどこかで感じていても、決して同じものではないのだ。かつてあった苦しみは、かつてあったことでしかない。その苦しみは、現在の自分とは地続きなものであるが、連続したものではなく、どこかで断絶がある。なにかがあった、しかし、なにかがあったか、忘れてしまった。そうした感覚だけがある。

この物語は、そうして消え去ってしまった少女の物語である。その物語の中で、是光はついに初めての恋をする。儚げで、雨の音の中に自分を漂わせ、いまにも消えてしまいそうな、そうした少女に恋をするのだ。だけど彼の恋は、それこそ泡沫の夢のようなものであった。なぜなら、彼が恋した少女は、あくまでも、”不幸の檻の中に囚われ、うちのめされていた儚さ”の少女だったからである。彼は、苦痛に囚われ、傷つき、苦しむ少女に恋をしたのだった。なぜなら、傷つき、苦しみ少女は”美しい”からである。傷ついているからこそ、彼は彼女を救いたいと思うのだ。

だが、傷ついた少女に恋をして、だからこそ彼女を救ってやりたいと思い、しかし、救った少女は彼が恋をした少女なのかどうか。その矛盾に、彼は苦しむ。救いたい、だけど、彼女には今のままにいて欲しい。それはエゴだ。だが、彼自身がもっともそのエゴを憎み、恐れるのだった。

結局、彼が少女を救ったことで、少女は笑顔を取り戻した。彼女は苦しみを乗り越え、己自身を乗り越えた。それは結果である。そして過程は忘れられる。すでに彼女は、自分が苦しんだことは、過去の出来事となっているのだ。そこには断絶がある。むろん、彼女が苦しんだことは事実だ。それが今の彼女に大きな影響を与えている。そこで得られたものは、彼女にとって大きな糧となっただろう。しかし、それは終わったことだ。彼女は、自分が苦しんでいた時のことを、思い出すことは出来るだろう。しかし、その時の自分になることは出来ない。それはすでに乗り越えたことなのだ。

あの時の少女はもういない。傷つき、苦しみ、それゆえに美しかった少女は。だが、それで良いのだ。傷ついた少女はなによりも美しい。だが、それは過程であるゆえのこと。いつかは救われなくてはならない。それを是光は望んだのだから。あの時の少女は、それこそ一晩の夢のように、儚く消える。それがもっとも幸いなことなのだ。

追記。それに、生まれ変わった少女に、是光がもう一度、恋をすることだって、あるのかもしれないのだからね。

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