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2011.10.15

『カンピオーネ!(10) 槍の戦神』

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カンピオーネ!(10) 槍の戦神』(丈月城/スーパーダッシュ文庫)

ついにランスロットとの対決となる今回の話だけど、実質的に、ラスボスが我らの護堂さんになっている感じもある。彼はランスロットの策略に嵌り、黒王子アレクとの対決を余儀なくされるわけだが、いままでの良識的な側面(ただの優柔不断とも言う)が取っ払われ、純粋に欲望を追求するようになると、凄まじく大迷惑な護堂さんの本性が明らかになるのであった。

まあ、これは読者ならばある程度自明であったともいえる。基本的に、彼が決断が遅くなるのは、まだまだ”普通の生活”というものに未練があるからである。その時行うべき”正しい判断”は理解出来るのだが、その判断を行うためには色々なものを犠牲にしなくてはならない。それは例えば常識であったり、社会的評判(外面の類い)であったり、どちらかというと、男の子的なプライドが中心のようである。彼も、周囲の評価はどうであれ、男の子的プライドの持ち主であるのだ。

だが、そうしたプライドを取っ払われ、己の為すべきことに邁進することになる護堂さんは、まさに魔王と呼ばれるべき存在となる。別に彼自身の人格が変わったわけではない。ただ、自分で自分を縛る鎖を断ち切っただけである。しかし、それだけで、彼はとてつもなく迷惑な存在に成り代わるのであった。

迷いのない護堂さんは即断即決、己の欲望にストレート、いかなる障害も倫理も越えて手に入れようとする危険人物となる。欲しいものはすべて手に入れる強欲さ、強い敵と戦うことに無上の喜びを覚える。あれ?これってヴォバン侯爵と変わらなくね?と一瞬思うわけだが、確かに自分にそっくり、って侯爵をおっしゃってましたね。迷いがなく、良識も失うと、護堂はヴォバン侯爵になってしまうと。

まあ、でも、これが護堂さんの本質であるかと言われれば、まあそうなんだろうけど、しかし、それがすべてではない。というのは、人間は理性を持つ生物なのだから。人間の”本質”などというのは、人間を形作る上での一部でしかない。理性が常識、己を縛る鎖をすべてひっくるめて人間である。その意味では、本質のままに行動する覚醒護堂は、やはりイビツな存在なのであろう。

彼の成長していけば、おそらくは本質に近い人格になっていくとは思うが(人間、本質を偽り続けるのは恐ろしくストレスとなる。生涯、偽り続けられるものではない)、それでも、彼は己の本質から離れた常識とか良識といった、つまらない論理に囚われることを止めないのではないか、とも思う。己の本質、衝動を上手く付き合っていくことこそ、理性の生き物である”人間らしさ”であると思えるからだ。

それに、護堂さんが本質をむき出しにすると、世界がやばそうだしね。世界のために、ほどほどに優柔不断なところは忘れないで欲しいものである。

追記。その意味では、今回の敵役にあたる黒王子アレクは、まさに理性の権化と言える。己の本質を徹底的に糊塗し、見栄を張り、偽悪的に振舞う。まさに文明人の鑑といえよう。文明人たるもの、己の獣性と付き合う方法を洗練させていきたいものである。まあ、逆に言うと、器が小さいとも言う。アレクさん、マジで器がちっちぇーっす。そんなところが好ましいけどね。

追記2。ランスロットの”正体”は、うん、まあ、さすがだったね……。やりやがった、と思ったよ。

おしまい。

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