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2011.09.25

『そこに、顔が』

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そこに、顔が』(牧野修/角川ホラー文庫)

牧野修のホラーの興味深いところは、ホラーでありながら”恐怖”を説明しようとするところである。主人公たちに襲い掛かってくる恐怖とはなんなのか、恐怖とはいかなる形をしているのか、それをなるべく詳細に説明しようとする。そのうち説明の方が重要になって、物語をよそにうっちゃり、恐怖そのものを克明に説明するようになってしまう。本来、ホラーにおいて恐怖とは説明されえぬモノであり、理不尽かつ正体不明のもののはずである。ジェイソンは恐怖の象徴ではあるが、ジェイソン個人の生涯がつまびらかにされ、モンスターになった経緯が詳細に語られてしまっては、キャラクターとしての深みは増すであろうとも、それは恐怖そのものにはなりえないのだ。

しかし、牧野修は、そうしたタブーを平然と犯す。恐怖とはどこからやってきて、どのように成立したものなのかを、詳細に語るのだ。その語り口は饒舌と言ってもいい。なにからなにまで、言葉の続く限り、彼は”恐怖”について語る。恐怖とはどこからやってきて、何を行うものかなのか。主人公たちに襲う”恐怖”について、すべてを解きほぐしてしまう。

今回の物語は、どちらかと言えば、正統派なホラーではある。主人公たちを襲う恐怖は、終盤まで明らかにされない。正体不明の恐怖に翻弄される主人公たちの姿が明らかにされる。だが、そうした恐怖も、クライマックスですべて解きほぐされてしまうのだ。すべてが明らかにされてしまうがゆえに。これは、ホラーとしては、致命的と言っても良いところであろう。

だが、そこが、牧野修らしい、とも言える。牧野修にとって、物語そのものはさして重要ではない。重要なのは”恐怖”なのだから。”恐怖”がいかにして生まれ、いかにして世界に波及していくのか、それを執拗に描いてきた作家なのだから。彼の描く恐怖は、理不尽なホラーから始まり、語られてくうちに、肉付きを持ってゆく。ただし、その肉付きは、異形であり異質な論理大系によって、なされる。

饒舌に語られる、異形の論理。それによって構築される”恐怖”と言う名の異質な建造物。それらを組み上げてゆくのが、牧野修の、ホラー作家としての面目躍如と言えるだろう。彼の作品において、恐怖に翻弄される人々はただの脇役にすぎず、主役はいつだって”恐怖”そのものなのである。

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