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2011.09.29

『ソウルドロップ幻戯録 アウトギャップの無限試算』

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ソウルドロップ幻戯録 アウトギャップの無限試算』(上遠野浩平/洋伝社)

”選ばれた者”と言うものがある。天から愛され、天より与えられた贈り物を得た天才。あるいは、稀有なる慈悲の持ち主。あるいは、世界と人々を巻き込み、栄光と破滅に彩られた英雄。それらは、希少なる、世界にとってかけがえの存在のことである。彼らは、天に愛されているがゆえに、凡夫たちを置き去りにして遥か高みへと到達する。やすやすと、何事もないように。高みを目指して墜落していく”選ばれなかった者”を省みることもなく。それが”選ばれる”という事であり、選ばれないものにっては絶望以外のなにものでもなかっただろう。

足掻いて足掻いて、それでも届かないということを知る。それが”選ばれない”ということなのである。

この物語は、”選ばれなかった者”の物語である。ソウルドロップという存在に見込まれ、彼の存在そのものを特別視される伊佐。彼は”選ばれし者”である。ソウルドロップという存在に焦がれ、求めるものをよそに、彼は容易くソウルドロップの邂逅し、対峙する。それは対決と呼べるほどに対等なものではなく、伊佐もまた観察される存在でしかない。”選ばれる”からと言って、何かを為せるとは限らない。何かを為せるかは、伊佐自身の試練に他ならないのだ。

だが、そもそも”何かを為せるかどうか、その機会を与えられることのない”人間もいる。ソウルドロップに挑み、しかし、ソウルドロップの視界に入ることなく失墜する。天高く舞うイカロスは太陽によって失墜するように、彼もまた、目的とする存在に相手にされることもなく、惨めに敗北した。敗北したイカロスの名は、インフィニティ柿生、マジシャンである。

この物語は、彼のための物語だ。

柿生は、一言で言えば”偽物”だ。特筆する才能はなく、努力を惜しまぬひた向きさもなく、何か一つのことに全力を傾け続ける不器用な愚かささえない。あるのは、何事も要領よくこなし、調整がうまく、その場の空気を読めること。それは社会人としては十分なスキルではあるが、”物語の主人公”には決してなれない。彼は生まれながらにして”物語の脇役”であったのだ。

その事に疑問にさえ思っていなかった彼は、ある人物に出会ってしまったことで、”主人公”への渇望を抱くようになる。みなもと雫、歌手であり、神とも呼ばれた女性。彼女に出会ってしまったことで、彼女への反発から、彼女を超えたいと願ってしまったのである。

それが彼の地獄の始まりであった。彼は彼女を超えたいと願う。だが、彼女は世界を揺るがすほどの、「本物」であった。彼女の歌は、なにより彼女の魂は、黄金色に輝く稀有なものであった。それほどの輝きに憧れ、怒り、憎悪した彼は、「偽物」のままに、空を駆けようとひた走る。ソウルドロップに打ち勝つことで、既にいない彼女を超えようと、偽物のままに本物に勝とうと、願い、飛ぶ。

その結果は、すでに述べた通りだ。彼は失墜し、墜落し、敗北した。彼が打ち倒そうとしたソウルドロップの”敵”にさえなれないままに。その意味では、彼は敗北さえしていなかったのかもしれない。そもそも勝負にさえなっていなかったのだから。

だが、敗北し、空を見上げる柿生に、語りかける人物がいた。トリート先生こと、種木悠兎。彼こそは、もう一人の”選ばれし者”。天より与えられた贈り物を持ち、イカロスのような作り物ではなく、本物の翼をもった存在であった。おそらく、作中においてソウルドロップと唯一対峙しうる人間であるトリート先生は、そのソウルドロップに歯牙にもかけられなかった柿生に、”期待していた”と語る。

それは、柿生が”偽物”であるがゆえに。”偽物”であることを自覚したまま、それでも飛ぶことを決意する人間であるがゆえに。

空を飛べる存在が空を飛ぶのは当然である。それは当たり前のことであり、普通のことである。だが、翼を持たないままに空を飛ぼうとすることはなんと呼ぶべきか?愚行、確かにそれ以外のなにものでもあるまい。不可能なことに挑もうとすることは、無意味であり、無価値でもあろう。

だが、普通に出来ることを普通に行うことに、いったいなんの価値があろうか。出来ないことに挑み、それに敗れた人間を、謗ることが出来るのだろうか。

確かにイカロスは失墜した。だが、それでもイカロスは飛んだのだ。本物しかいない空を、偽物の翼で。たとえ最後は死で迎えられようとも、飛んだという事実には変わりはない。それは、不可能を覆したということではないのだろうか。誰にも出来ないことをやり遂げたということではないのだろうか。

これが”可能性”と呼ばれるものである。どんな難事にも取り組む愚行。そこにこそ、可能性と呼ばれるものは生まれる。トリート先生は、そんな”可能性”をこそ愛した。たとえいかなる高みに飛べる翼を持つものより、束の間の飛行の後に墜落した偽物の翼を持つものこそ、真の意味で”可能性”を持つものと考えているからだ。

柿生は墜落した。だが、彼のマジックは受け継がれる。稚拙で、ぎこちない彼の翼は、スイセン素子に受け継がれる。彼のマジックは、そうして後に引き継がれていく。それでも、いつまでも彼のマジックは空に届くことはないのかもしれない。だが、それが可能性というものだ。成し遂げることが出来るか出来ないか、良きものになるのか悪しきものになるのか、それは誰にも分からない。無垢な存在。

それだけが、いつか”翼を持つもの”たちにも到達できぬ、遥か彼方の領域に向かうことが出来る、唯一の存在なのだ。

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2011.09.25

『そこに、顔が』

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そこに、顔が』(牧野修/角川ホラー文庫)

牧野修のホラーの興味深いところは、ホラーでありながら”恐怖”を説明しようとするところである。主人公たちに襲い掛かってくる恐怖とはなんなのか、恐怖とはいかなる形をしているのか、それをなるべく詳細に説明しようとする。そのうち説明の方が重要になって、物語をよそにうっちゃり、恐怖そのものを克明に説明するようになってしまう。本来、ホラーにおいて恐怖とは説明されえぬモノであり、理不尽かつ正体不明のもののはずである。ジェイソンは恐怖の象徴ではあるが、ジェイソン個人の生涯がつまびらかにされ、モンスターになった経緯が詳細に語られてしまっては、キャラクターとしての深みは増すであろうとも、それは恐怖そのものにはなりえないのだ。

しかし、牧野修は、そうしたタブーを平然と犯す。恐怖とはどこからやってきて、どのように成立したものなのかを、詳細に語るのだ。その語り口は饒舌と言ってもいい。なにからなにまで、言葉の続く限り、彼は”恐怖”について語る。恐怖とはどこからやってきて、何を行うものかなのか。主人公たちに襲う”恐怖”について、すべてを解きほぐしてしまう。

今回の物語は、どちらかと言えば、正統派なホラーではある。主人公たちを襲う恐怖は、終盤まで明らかにされない。正体不明の恐怖に翻弄される主人公たちの姿が明らかにされる。だが、そうした恐怖も、クライマックスですべて解きほぐされてしまうのだ。すべてが明らかにされてしまうがゆえに。これは、ホラーとしては、致命的と言っても良いところであろう。

だが、そこが、牧野修らしい、とも言える。牧野修にとって、物語そのものはさして重要ではない。重要なのは”恐怖”なのだから。”恐怖”がいかにして生まれ、いかにして世界に波及していくのか、それを執拗に描いてきた作家なのだから。彼の描く恐怖は、理不尽なホラーから始まり、語られてくうちに、肉付きを持ってゆく。ただし、その肉付きは、異形であり異質な論理大系によって、なされる。

饒舌に語られる、異形の論理。それによって構築される”恐怖”と言う名の異質な建造物。それらを組み上げてゆくのが、牧野修の、ホラー作家としての面目躍如と言えるだろう。彼の作品において、恐怖に翻弄される人々はただの脇役にすぎず、主役はいつだって”恐怖”そのものなのである。

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2011.09.21

『約束の方舟』

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約束の方舟(上)(下)』(瀬尾つかさ/ハヤカワ文庫JA)

以前から、瀬尾つかさはハヤカワ文庫で書いたほうがいいんじゃないかなあ、と述べたこともあるので、実際にハヤカワ文庫から出ていると、いろいろと感慨がある。というのも、瀬尾つかさのライトノベルを読んでいて強烈に不満を覚えるのが、プロットを読ませられているかのような性急さ、素っ気なさなのである。

ライトノベルにおける瀬尾作品は、明らかに言葉が足りない。語られていることよりも、はるかに大きな背景を感じさせながら、その背景に言及することが非常に少ない。それでいて、物語に余裕があるかというとそうではなく、圧倒的な背景を細切れに語りながら、それでも物語は性急に、言葉足らずに、語られてゆく。『クジラのソラ』は、まさにその類いの物語であり、圧倒的な背景を匂わせながらも、物語はキャラクターの関係を中心に焦点を当てている。ただ、そうした言葉の圧縮によって、際限のないスケールのインフレの過剰さが表われているところがあり、必ずしもこの方法論が悪いとも言い切れないのではあるが。そこはきちんと評価しておくべきであろう(デビュー作の『琥珀の心臓』はまさにそのような物語だった)。

とはいえ、その後ろにある”背景”を、きちんと描写してもらいたい、と思っていたのも事実。それに、ページ数の制限に捕らわれることなく、自由に物語って欲しいとも。なぜなら、言葉足らずに感じられていたのは、作者が”語りたい物語”に対して、語れる物語に制限がありすぎたためだと思うからだ。

そして、そうした不満は、この『約束の方舟』を読んで初めて解消された。初めて、”瀬尾つかさ”という作家を読んだのではないか、そのようにさえ思う。今まで、駆け足に説明されていた舞台背景を、じっくりと描く、ただそれだけのことが面白い。第一部など、主人公の動機の物語であると同時に、なぜこの世界がこの世界になったか、そしてこの世界はどのようにして成り立っているのか、を説明することに終始している。ほぼ背景の説明のみでありながら、非常に面白い。舞台背景が魅力的であることは勿論、その語り口がとてもリラックスしている印象を受ける。ライトノベルレーベルであれば、背景よりもキャラクターの描写が優先されるところなのだが、それがない。それだけで、とても”開放感”を感じるのであった(これは、今までの瀬尾つかさ作品において、僕がそれだけ閉塞感を覚えていた、ということでもある)。

さて、本編についての話である。物語そのものは、ある意味において、瀬尾つかさ作品らしいものだ。強い女の子と、それを見守る男の子の物語。女の子は世界を切り裂く力を持ち、男の子は彼女の決断を思慮深く受け止める。いつもの物語だ。だけど、今回は男の子の視点が強くあるように感じる。瀬尾作品において、常に”取り残される側”である男の子側の物語の側面が、多くを占めているのだ。それに伴い、物語における過度のインフレ感と異様なうねりも押えられているように思う。物語は、非常にゆるゆるとした印象を受けるのだ。停滞しているわけではない。ただ、前に向かうにせよ、その向かい方が、地に足をつけたものであると感じるのである。なぜなら少年は”天才”ではないし、人並み以上に聡く、思慮深いが、当たり前の人間でしかないからだ。そこには人間を超える飛躍もない。飛躍するのは、瀬尾作品においては、いつだって少女なのである。

少年は、飛躍する少女においていかれる。空を飛ぶ少女を、地上から眩しげに見上げるのが、少年の役割。少女は、決して手の届かない。彼女は、空へ空へ、遠くへ、どこよりも遠くへ、向かうのである。少年に出来ることは、少女が空から落ちてしまわないように、翼を作り、風を起こし、そして少女を見送るのだ。つまり、今回は”見送る側”の物語だと言える。今まで(最近はそうでもないが)、少女が主人公の物語を描いてきた作者が、果てしない無限の彼方を突破する少女を描いていた作者が、今度はおいていかれる少年の物語を描いた。それが、この、「約束の方舟」の物語となる。

おいていかれる少年は、何を為せるのか。答えは”なんでも出来る”だ。進むことだけが、価値ではない。時に立ち止まり、想いをめぐらせることも、重要な意味を持つ。迷い、過つことさえも同様だ。超人ではない我々は、そのようにしてしか前に進めない。超人たる少女は人間であることさえも忘れ、それでも前に向かってゆく。しかし、人間でしかない少年は、多くの人々と手を携えながら、彼女の向かう彼方へ、膨大なる時間をかけて歩んでゆく。向かう方向が同じならば、きっとそれは、共に向かうことと同じこと。そうであると良い、と思う。

追記。主人公が真の意味で賢明な人物であるのは、彼は”誰かに利用されることを受け入れられる”というところだ。誰かの目的のために利用されることは、並の人間ならば反射的に拒否しそうなところだが、彼は、それが正しい目的のためと判断すれば、堂々と利用される。そこがえらい。

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2011.09.17

『脱兎リベンジ』

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脱兎リベンジ』(秀章/ガガガ文庫)

青春とは焦ってドロドロとして渦巻いていてうごめいていて熱を持って浮かされていて、一生涯に一度しかないものだ。色々な感情が渦を巻き、器用に生きる者は適当に壁を回避し、不器用に生きる者は壁にぶつかる。その壁はあくまでも狭い世界のものに過ぎない。外にいる者にとっては、壁にぶつかるものが呆然としている姿は、とても滑稽に映るはずだ。おそらく、本人さえ、後になってみれば、バカバカしいと思うような出来事であったかもしれない。だが、そこで受けた痛みは本物であり、そこで味わう絶望もまた、本物であるのだ。

主人公は、自分の大切なものを抱え、肥大化するプライドを抱えて、生きている。だけど、彼の小さなプライドを気にかける人間はいなく、彼もまた、己のプライドを押し隠すように生きていた。そうすることが、彼にとって、壁をやりすごす唯一の方法だった。愚かではある。愚かとしか言いようがない。だが、彼にとっては生きるか死ぬかの問題である。これは比喩であるが、ある意味において比喩ではない。彼の心を殺すかどうかと言う問題であった。

彼は、その意味では死につつあった。死ぬことだけが、”痛み”から逃れる術であった。それだけしか、彼は痛みに耐える方法を知らなかったのだ。だが、しかし、ついに彼は、彼のプライドを拾い上げてくれる人間に出会った。出会うことが出来た。あるいは出会ってしまったと言っても良い。彼の、どこにも向かうことが出来なかった心が、方向性を与えられたのだった。彼の心は、言うなれば、使い道のない爆弾である。抱え込んでいれば己を殺すことしか出来ないそれを、彼女は、外に、外界に向けることを教えたのだった。

果たしてそれは、正しいことだったのか。自分を殺す代わりに、他を殺すだけのことでしかなかったのではないか。だが、僕が思うに”そんなことはどうでもよい”のだ。なぜなら、爆弾とは爆発してこそ爆弾の意味がある。爆発して、色々なものを破壊して、ぶっ殺しまくるのが爆弾である。爆発せず、破壊もせず、殺しもしない爆弾など、爆弾ではない。それは大多数にとっては喜ばしいことかもしれないが、爆弾にとっては不幸でしかない。確かに、爆弾が爆発することを肯定するかどうか、それは難しいことだ。多くの人が不幸になることを、それでもなお肯定出来るかどうか。人倫に照らし合わせれば、それは否であろう。しかし、人倫に照らし合わせることが、爆弾にとって正しいことなのだろうか?爆弾の倫理はどこにあるのか?……おそらくは、それは青春を肯定することと同じくらい難しいことだ。なぜなら、青春とは、狭い世界に生まれる一瞬の泡沫であり、それゆえに、それは大きな世界の倫理とは無縁のものだからだ。人の目を気にして、己を殺し、爆弾を押さえ込む。それは確かに賞賛されるべきことかもしれないが、同時に不幸なことでもある。人は、時に、己の爆弾を爆発させても良いはずだ。爆弾が爆発することを、誰が咎められよう。

狭いからこそ、倫理から外れる。論理からも、常識からも、そうした計算と打算から、すべてを解き放たれて、ただただ”爆発するためだけに爆発する”。それが出来ることこそ、青春と呼ばれるものであろう。僕は、それが許されても良いと思うのだ。誰しも爆弾として生まれたくはない、だが、爆弾として生まれてしまった以上、爆発するべきなのだと、そう思うのだ。

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2011.09.13

『トカゲの王(1)』

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トカゲの王(1)』(入間人間/電撃文庫)

非常に面白く読めてしまった。入間人間の伝奇アクションなどというのだから、どうせ伝奇でもアクションでもないんだろうと思いきや、それはいろいろな意味で裏切られたのだが、その裏切られ方は、なかなかに好感の持てる裏切られ方だったのだ。

まず、伝奇もアクションもでないだろう、という自分の予想は外れていた。予想以上に、まともな伝奇アクション的な世界背景がある。特殊能力者が増えつつある世界で、そうした能力者は闇の世界で抗争を繰り広げている。そうした異能の持ち主は、当たり前の世界で当たり前の生活を送ることは出来ず、その能力を活かせる(あるいは、活かすしかない)世界で生き延びてゆく。まずもって、この点は伝奇アクションの王道であろう。

だが、そうした世界の中で描かれるのは、伝奇でもアクションでもなかった。伝奇アクションの世界設定を構築しながら、そこで描かれるのは、(ある意味、いつも通りの)奇人変人、あるいは頭のネジが一本外れている人々が、ひたすら己の思考を垂れ流すだけの世界である。非常に自己主張の強い自意識過剰な人間がそれぞれに己の自我を主張するという、ある意味において、いつも通りの入間作品である。

ただ、そうした自意識過剰なキャラクターと、異能バトルを組み合わせは、不思議なことにとても面白く感じる。異能バトルの設定を使いながら、異能バトルのセオリーをまったく無視しつつ、しかし、入間先生なりに消化しようとした結果、なんとも形容しがたい不思議なしろものになっている感じがある。入間人間はそれほど器用な作家ではないと思うので、本人はわりと真面目に書いているんじゃないだろうか。作者なりに異能バトルをやろうとして、それなりに真面目に書いたのに、結果的に、おかしなものが出来上がった、という感じがするのだった。

なんとも不思議な作品なのだが、その不思議なところに魅力を感じるのも確か。個人的には、ちょっと慎重に扱いたい作品だ。瑕疵のない傑作とはまったく思わないが、いろいろと面白いところもあり、しかし、それがきちんとした計算の下に生まれたものかどうか(偶発的なものかどうか)が分からない。まだその真価をきちんと言語化できるところまでは理解出来ていないので、もうしばらくこの作品の進む方向を見てゆきたいと思う。

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2011.09.09

『神様のメモ帳(7)』

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神様のメモ帳(7)』(杉井光/電撃文庫)

愚かであるということは、おそらく、頑なであるということに通じる。そして、頑なであるということは、一途である、ということでもあるのだ。今回の物語は、どこまでも愚かな男たちが、あらゆる意味で愚かしさを見せる物語と言える。だが、その愚かさは、大きな覚悟を持った愚かさであり、愚かであることを引き受けた男たちであるとも、言えるのかもしれない。

まあ、良く考えてみれば、神様のメモ帳に登場する男たちは、基本的に、上記の意味で愚かではある。己のこだわりの中で、多くのものを取りこぼし、失ってしまう。それでもなお、自分にとって譲れないものを持ち、それを貫くために、愚かさを抱えているのだった。だが、今回の”愚か”であることは、今までと、やや趣きを異にする。今までは、彼らの愚かさは、それでもなお、どこかに甘く、センチメンタルの香りがあった。愚かである自分に、悪く言えば、酔いしれているところがあった。だが、今回の”愚か”は、紛れもない愚かさである。”罪”と言い換えても良い。罪のある、”愚かしさ”なのである。

一人の男が、すべてを捨てて逃げ出した。それは罪であったろう、それでも彼は、己の中に大切なものを持ち、それを大切に抱えて生きていた。だが、彼は、それを失おうとしていた。それゆえに、彼は、己のすべてを捨てて、誰よりも愚かな選択をした。それだけが、彼の大切なものを守る方法だったから。

一人の青年は、己の罪に向き合わなくてはならなかった。それは彼の愚かさから発したものだった。かれはそれまで、自分の愚かさを誇りに思っていた。愚かであることが、彼の自信の源となっていた。だが、それは幻想にすぎなかった。彼の愚かさは、一面においては”罪”でしかなかった。彼はそれを知ってしまった。

愚かである、ということは罪である。だが、罪を犯さない人間などいるだろうか。愚かではない人間などいるのだろうか。愚かとは、一途であると言うことでもある。だが、一途であるということは、正しいことなのだろうか、称揚されることなのだろうか。それらはすべて一面である。愚かさは、一方では不器用な正しさであり、一途な想いであり、ひねくれたプライドでもあった。もう一方では、人を傷つけるものであり、大切なものを打ち捨てることでもあった。

それらを、一面のみを語ることは不可能であろう。良いところも悪いところもあった。愚かしさゆえに、彼らはそれを為さざるを得ず、そしてその報いを受けた。その報いが、正しいものだったのかどうか、それさえも、多くの側面がある。しかし、それは償うことも、取り戻すことも出来ないものである。すべてを背負って、償うしかない。それが、愚かであることを、受け入れるということでもある。

だがそれは、”賢い”ことよりも、はるかに誠実な生き方であったことであろう、と思うのである。

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8月に読んだ本

調子わるー。

 

8月の読書メーター
読んだ本の数:44冊
読んだページ数:11195ページ
ナイス数:68ナイス

“夕顔” ヒカルが地球にいたころ……(2) (ファミ通文庫)“夕顔” ヒカルが地球にいたころ……(2) (ファミ通文庫)
少女というものは不幸であるほどに可愛い。そんな可愛さはいらない。
読了日:08月31日 著者:野村 美月
百合×薔薇 2 失敗ハーレム (百合×薔薇シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)百合×薔薇 2 失敗ハーレム (百合×薔薇シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)
しらゆき実姉様がびっくりするぐらい真っ黒で良い。ラスボスだな。
読了日:08月31日 著者:伊藤 ヒロ
はるかかなたの年代記 3 夜魔が踊る (はるかかなたの年代記シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)はるかかなたの年代記 3 夜魔が踊る (はるかかなたの年代記シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)
ライトノベルの要請というのは時として度し難い。
読了日:08月31日 著者:白川 敏行
わたしと男子と思春期妄想の彼女たち 3 ラブメイドですが何か? (ファミ通文庫)わたしと男子と思春期妄想の彼女たち 3 ラブメイドですが何か? (ファミ通文庫)
あすみは正しく”侠客”だ。考えなしに状況をひっかきまわす事を含めて。
読了日:08月31日 著者:やのゆい
銃姫 -Phantom Pain-(1) (シリウスコミックス)銃姫 -Phantom Pain-(1) (シリウスコミックス)
すぐに魔法がなくなったわけじゃないんだなあ。
読了日:08月30日 著者:椋本 夏夜
エクゾスカル零 1 (チャンピオンREDコミックス)エクゾスカル零 1 (チャンピオンREDコミックス)
今の覚悟は銃も使えば刀も使うんですね。凡人っぽくて、すごく好きよ。
読了日:08月30日 著者:山口 貴由
デート・ア・ライブ2  四糸乃パペット (富士見ファンタジア文庫)デート・ア・ライブ2 四糸乃パペット (富士見ファンタジア文庫)
このままだと同じパターンに陥りそうだが。別のバリエーションがあるのかな。
読了日:08月30日 著者:橘 公司
鋼殻のレギオス18  クライング・オータム (富士見ファンタジア文庫)鋼殻のレギオス18 クライング・オータム (富士見ファンタジア文庫)
みんな独り言が激しいですね。
読了日:08月30日 著者:雨木 シュウスケ
パーフェクトフレンド (メディアワークス文庫 の 1-5)パーフェクトフレンド (メディアワークス文庫 の 1-5)
実にまったくもって小賢しいが、そのままの道を進んで欲しいね。
読了日:08月30日 著者:野崎 まど
全滅なう(仮) (一迅社文庫)全滅なう(仮) (一迅社文庫)
十文字青作品の主人公の多くは不幸を不幸と感じられない不幸に陥っている。
読了日:08月30日 著者:十文字 青
六花の勇者 (集英社スーパーダッシュ文庫)六花の勇者 (集英社スーパーダッシュ文庫)
僕は超人の話ではなく、凡人が極限に至る話が好きなのである。
読了日:08月30日 著者:山形 石雄
カンピオーネ! 10 槍の戦神 (カンピオーネ! シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)カンピオーネ! 10 槍の戦神 (カンピオーネ! シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)
迷いのない護堂さんは迷惑千万なので、優柔不断くらいがちょうどいい。
読了日:08月30日 著者:丈月 城
田辺イエロウ短編集 フェイク! (少年サンデーコミックス)田辺イエロウ短編集 フェイク! (少年サンデーコミックス)
設定からもキャラクターからも作れる作者は、あるいは無敵か。
読了日:08月26日 著者:田辺 イエロウ
スピカ 〜羽海野チカ初期短編集〜 (花とゆめCOMICSスペシャル)スピカ 〜羽海野チカ初期短編集〜 (花とゆめCOMICSスペシャル)
人の善性に対する信頼がある。
読了日:08月26日 著者:羽海野チカ
絶園のテンペスト(4) (ガンガンコミックス)絶園のテンペスト(4) (ガンガンコミックス)
本来の主人公は真広のはずが、吉野によって物語が歪んでいるわけね。
読了日:08月26日 著者:城平 京,左 有秀,彩崎 廉
魔弾の王と戦姫〈ヴァナディース〉2 (MF文庫J)魔弾の王と戦姫〈ヴァナディース〉2 (MF文庫J)
高慢さとは、己に対する厳しさに通じるもの。欠点をあげつらい長所を黙殺してはならん。
読了日:08月26日 著者:川口士
フルメタル・パニック! アナザー1 (富士見ファンタジア文庫)フルメタル・パニック! アナザー1 (富士見ファンタジア文庫)
スピンアウトとは言うが、実質、シェアードワールドに近いような気もする。
読了日:08月24日 著者:大黒 尚人
フルメタル・パニック!  マジで危ない九死に一生? (富士見ファンタジア文庫)フルメタル・パニック! マジで危ない九死に一生? (富士見ファンタジア文庫)
まだ未収録短編があったのか、という驚き。
読了日:08月24日 著者:賀東 招二
NEEDLESS 13 (ヤングジャンプコミックス)NEEDLESS 13 (ヤングジャンプコミックス)
二ードレス1.5に出てきた”アダム”につながる情報だったような気もする。
読了日:08月24日 著者:今井 神
奥ノ細道・オブ・ザ・デッド (スマッシュ文庫)奥ノ細道・オブ・ザ・デッド (スマッシュ文庫)
バカバカしくもグロテスクで安っぽく、それ故に見事な美しさがある。
読了日:08月19日 著者:森 晶麿
羽月莉音の帝国 8 (ガガガ文庫)羽月莉音の帝国 8 (ガガガ文庫)
巳継が権力を振るい弱者を虐げる外道に。でも、僕が好きなタイプの外道だ。
読了日:08月19日 著者:至道 流星
超人ロック風の抱擁 (1) (ヤングキングコミックス)超人ロック風の抱擁 (1) (ヤングキングコミックス)
最後は、きっと”別れ”が語られるんだろうなあ……。
読了日:08月19日 著者:聖 悠紀
結界師 35 限定版 一挙両得の小冊子付き (小学館プラス・アンコミックスシリーズ)結界師 35 限定版 一挙両得の小冊子付き (小学館プラス・アンコミックスシリーズ)
近年、類を見ないタイプの少年漫画だった。どこかでもっと語りたい。
読了日:08月19日 著者:田辺 イエロウ
魔法先生ネギま!(35)  (少年マガジンコミックス)魔法先生ネギま!(35) (少年マガジンコミックス)
異世界が日常に落ちてくるとはね。
読了日:08月19日 著者:赤松 健
銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)銀の匙 Silver Spoon 1 (少年サンデーコミックス)
ある意味、異世界交流的な。
読了日:08月19日 著者:荒川 弘
とある魔術の禁書目録(インデックス)SPとある魔術の禁書目録(インデックス)SP
小説家の資質で重要なものは、無茶無理矛盾を押し通す度胸というのが良くわかる。
読了日:08月17日 著者:鎌池 和馬
戦国妖狐(7) (ブレイドコミックス)戦国妖狐(7) (ブレイドコミックス)
少年の成長譚としては正統にして異端。最強から平凡への旅だ。
読了日:08月17日 著者:水上悟志
ブレイク ブレイド 10 限定版 (フレックスコミックス)ブレイク ブレイド 10 限定版 (フレックスコミックス)
ライガットが”自分らしさの全てを殺して”得た勝利。凄惨であるなあ。
読了日:08月17日 著者:吉永 裕ノ介
あるいは現在進行形の黒歴史5 -(堕)天使たちの夏休み- (GA文庫)あるいは現在進行形の黒歴史5 -(堕)天使たちの夏休み- (GA文庫)
楓子のうざ可愛さはその筋の人には至高であろう。
読了日:08月17日 著者:あわむら 赤光
戦塵外史 六 双帝興亡記 (GA文庫)戦塵外史 六 双帝興亡記 (GA文庫)
美少女皇帝アイーシアたんがラブラブで萌え萌えでのたうち回りました。
読了日:08月17日 著者:花田 一三六
新約 とある魔術の禁書目録(インデックス)〈2〉 (電撃文庫)新約 とある魔術の禁書目録(インデックス)〈2〉 (電撃文庫)
一冊まるごと説明回。まさに売れているからこそ許される暴挙である。
読了日:08月16日 著者:鎌池 和馬
変愛サイケデリック 2 (電撃文庫 ま)変愛サイケデリック 2 (電撃文庫 ま)
狭い世界ゆえの偏見と排斥というのが良く出ている。
読了日:08月16日 著者:間宮 夏生
幕末魔法士〈3〉The eastern beast (電撃文庫)幕末魔法士〈3〉The eastern beast (電撃文庫)
重要なことがさらっと流されたな……。
読了日:08月16日 著者:田名部 宗司
ゴールデンタイム〈3〉仮面舞踏会 (電撃文庫)ゴールデンタイム〈3〉仮面舞踏会 (電撃文庫)
関係が消える、作る、変わる、しかし戻ることはないのよね。
読了日:08月16日 著者:竹宮 ゆゆこ
ソードアート・オンライン〈8〉アーリー・アンド・レイト (電撃文庫)ソードアート・オンライン〈8〉アーリー・アンド・レイト (電撃文庫)
ゲーマーとしての自分を肯定的に観るという点で、これはゲーム小説なのね。
読了日:08月16日 著者:川原 礫
進撃の巨人(5) (講談社コミックス)進撃の巨人(5) (講談社コミックス)
希望が灯ったとおもったらまた絶望的な展開に……。
読了日:08月16日 著者:諫山 創
あなたが泣くまで踏むのをやめない! (電撃文庫 み 8-8)あなたが泣くまで踏むのをやめない! (電撃文庫 み 8-8)
最初は何事かと思ったが、あまりにも楽しそうな本文になんの心配もいらなかった。
読了日:08月13日 著者:御影 瑛路
山風短(3)青春探偵団 (KCデラックス)山風短(3)青春探偵団 (KCデラックス)
よく短編で6人もキャラが立てられるよなあ……。
読了日:08月13日 著者:せがわ まさき
めだかボックス 11 (ジャンプコミックス)めだかボックス 11 (ジャンプコミックス)
球磨川君はいーちゃんの互換キャラなので、彼にデレた財部ちゃんが心配だ…。
読了日:08月13日 著者:暁月 あきら
ONE PIECE 63 (ジャンプコミックス)ONE PIECE 63 (ジャンプコミックス)
ルフィのアウトローっぷりはピカレスクロマンの名に相応しい。
読了日:08月13日 著者:尾田 栄一郎
アウトギャップの無限試算 (ソウルドロップ)アウトギャップの無限試算 (ソウルドロップ)
飴屋が一顧だにしない平凡で意味のない存在が、別の人間には意味がある。
読了日:08月13日 著者:上遠野浩平
めんそーれ! キソ会長 (徳間文庫)めんそーれ! キソ会長 (徳間文庫)
柴村先生の”少年”は過剰なドリームが入ってなくて心地良い。
読了日:08月06日 著者:柴村 仁
薔薇のマリア  16 さよならはいわない (角川スニーカー文庫)薔薇のマリア 16 さよならはいわない (角川スニーカー文庫)
キャラが多すぎて物語が崩壊しかかっているが、キャラの多さで物語を支えてもいる。
読了日:08月02日 著者:十文字 青
僕はやっぱり気づかない (HJ文庫)僕はやっぱり気づかない (HJ文庫)
モブキャラから見たラノベ世界を描写すると、こんなに不自然なんですよ、という。
読了日:08月02日 著者:望公太

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2011.09.03

『狼と香辛料(17)Epilogue』

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狼と香辛料(17)Epilogue』(支倉凍砂/電撃文庫)

エピローグと銘うたれているだけあって、まさに全編が”終わり”の予感に満ちた作品となっている。ここで言う終わりというのは、あくまでも”物語”としての終わりであって、彼らの人生とは異なるものだ。物語は、人から人へつながり、語り継がれる。狼と香辛料(商人)の物語も、おそらくは他の多くの物語と同様、人々の間に語り継がれることになるのだろう。彼らが関わった商人や村人たち、彼らが救った人々、敵対した人々、利用しあった人々、助けてもらった人々。ロレンスとホロの旅は、彼ら二人だけで為したものではなく、商売という、人と人のつながりを運ぶ旅であったのだし、彼ら自身の物語もまた、多くの人のつながりに運ばれていくに違いない。

”終わり”とは、”物語”としての終わりである、と書いた。すなわち、二人の”旅の物語”である。ゆえに、彼らの旅の終焉が、物語の終わりになる。だが、一つの物語の終わりは、別の物語の始まりでもある。二人で旅をする物語は終わったが、二人で供に生きる物語はこれからも続く。その物語が、果たして今までよりも穏やかなものになるのか、それはだれにも分からない。つまるところ、終わりとは始まりでもあるのだ。

彼らはこれからも生きてゆくし、そして死ぬ。だが、彼らが死んだとしても、物語は終りではない。彼らを知る多くの人々が語り継いだ、”彼らの物語”が残るうちは、彼らの生は消え去ることはない。多くの人々の口の登るであろう、狼と香辛料の物語。その物語は、なにげない街の片隅で、ある幼子が口ずさむ歌の中で、ばらばらに、調子はずれに、語り継がれるのかもしれない。そして、それこそが永遠である、ということなのだ。

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