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2011.07.19

『僕は友達が少ない(6)』

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僕は友達が少ない(6)』(平坂読/MF文庫J)

順調に全員の関係性が進展しているような、そうでもないような……。一応、これまでの残念系日常ドラマから、ラブコメへの変化が見受けられます。これはまあ順当というか、”残念”だけで日常をまわすのは、いくらなんでも無理だと思うので、正しい展開なんじゃないかなあ。だって、同じことの繰り返しでは読者に飽きられるし、違うことを始めれば物語は動いてしまうからね。その意味で、現在のように、許婚問題や、幼馴染設定によって、物語を動かすぞ、動かすぞと読者に提示しつつ、まったりとしたきゃっきゃうふふ生活を見せる平坂先生のあざといことこのうえなし、と思うのだった。でも、そういうの良いよね。

すでに小鷹ハーレムと化しつつある隣人部の活動だが、とは言いつつも、今回も、関係が進展するのかしないのか、という境界線で頑張っているところが、”残念”なところでしょう。小鷹と夜空の幼馴染関係が隣人部に明らかになり、彼らの関係に激震が走る……かに思われたが、まったくそんなことはなかった。というか、普通に考えて、かつて友達だったら、いまも友達でよいはずなのだが、それをあえて「元友達」などという珍妙なフレーズを使ったところなど、まさに隣人部の真骨頂であった。

なぜかと言えば、隣人部とは「友達がいないもの同士の集まり」という束縛があるので、下手に友達が出来てしまうと、隣人部の一員ではなくなってしまうという二律背反があるからです。つまり、”友達が出来ること”で”友達がいないというつながり”が切れてしまう。この点が、まったくもって滑稽味があるというか、不思議な苦笑が漏れてくるところですね。彼らは友達が欲しくて隣人部に集った(まあ建前上は……)はずなのに、友達が出来ることで、彼らの関係が壊れてしまうことを恐れているわけで、お前らは友達が欲しいのか欲しくないのか、そもそも、隣人部の中で生まれた関係は友達と何が違うのか、とか。一目瞭然にオカシイ論理でありながら、隣人部の面々は、必死になってその点から目を背けようとしているように思えます。

これは、いかにもご都合主義にも思えるけど、こういうのも、わりとありそうな話だ。新しい関係を恐れる気持ち、つまりはモラトリアムを永続させたいという気持ち。モラトリアムは、”どこにも行かず何にもならない”という事を受け入れた過渡期であるけど、その不安定な時期は、不思議と心地よいものがある。隣人部の面々が、新しい関係を否定的になるのは、まあ、そういうところなんでしょうね。ただ、”変わりたくない”という気持ちに、不思議と否定的なものがないのが、この作品の面白いところではある。

彼らの変わらない関係を、隣人部の面々が一致団結して、守る、というのがこの物語の基本ラインになるので、彼らの敵になるのは、いつだって周囲からやってくる”変わろうとする力”なのだ。社会性に関係のある存在が、すべて敵になる。だから、今後は両親や親兄弟、学校とか、そういったものが敵になっていくのだろう。ただ、それで、隣人部の内部だけで閉じてしまわないか、というが心配と言えば心配だけど、まあ今さら心配することでもないよなーと思う。とっくに閉じてしまっているもんな。

ただ、理科だけは、わりと外部との接続がある感じなので、しばらくは、彼女が窓口になる形になるのかしらん。今回の声優の話なんか、まさにそれだよね。

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コメント

この作品は、ライトノベルからアニメ化されたようですね。

10月からアニメが始まるので、とっても楽しみです♪

投稿: アニメ好き | 2011.09.22 13:40

そうですね。

投稿: 吉兆 | 2011.09.22 21:24

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