2011年5月21日のつぶやき
僕が子供が嫌いなのは、子供の無自覚さが、己の無自覚さを糾弾するからだ。僕がTVを嫌いなのは、TVの無責任さが、己の無責任さを自覚させるからだ。僕が批評家が嫌いなのは、批評家の傲慢さが、己の傲慢さを理解させるからだ。嫌いなものと言うのは、自分自身の嫌いな部分の反映が多いように思う。
posted at 11:43:53
どうも自分は世の中に嫌いなものが多すぎるので、おそらく、それだけ自分の嫌いな部分も多すぎるのだろう。従って、自分の嫌いな部分を許すことが出来れば、世の中の嫌いなものも少なくなっていくはずだ。これでも、十代の頃よりは、たしかに嫌いなものは少なくなっている。
posted at 11:49:15
世の中の嫌いなものの多くは、自分自身の嫌なところの反映であると気がつくこと。それだけで、おどろくほど多くのことが許せるようになる。自分が直せてないのに、世の中にばかり変化を求めるのは、さすがに虫が良すぎるというものだ。
posted at 11:53:46
これで、自分も直すから世の中も変われ、と考えられる人は、政治家か革命家の素質があるだろう。世の中が変わったら自分も変えるという人はテロリストになる他あるまい。そして、自分が直せないから世の中も変わらないでもいいや、という人はニートの素質がある。僕は最後だ。
posted at 11:57:20
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コメント
「世の中」を語る前に「人間」を語るべきではないでしょうか。
投稿: | 2011.05.26 13:22
「世の中」を”通じて”「人間」を語ったつもりです。社会的動物としての人間は、社会(世の中の一部ですかね)と不可分でしょう。
投稿: 吉兆 | 2011.05.26 20:32