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2011.04.14

『コップクラフト(3)』

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コップクラフト(3)』(賀東招ニ/ガガガ文庫)

ティラナをロリ化(いや、ティーンエイジャーの外見ってだけで、別にロリキャラと言うわけではないが)の効果が如実に表われた感があります。1、2巻は、やはり旧版の焼き直しだけあって、ティラナがティーンエイジャーになっている必然性がまったくなかったんですが、3巻からは完全新作という事もあってか(いや知らんけど)、ティラナの少女性が作品の重要な側面を担うようになりました。端的に言えば、男と女、大人と子供、そしておっさんと少女の関係がクローズアップされてきました。

この関係性の変化によるもっとも大きな影響は、ティラナの感情移入の対象です。今回の”犯人”は、少なくとも外見上はティラナと同世代に当たります。またティラナ自身も、”こちら側”の文化に慣れていないこともあって、精神的にもティーンエイジャーに近いものがあります。すなわち、社会に対する距離感ですね。彼女にとって、社会と言うのはどこが他人事とも言うべき距離感があって、社会と個人が対立した時、ティラナが感情移入をしてしまうのは個人の方になってしまうのです。

これは彼女がセマーニ人であるゆえに地球の社会に対して無意識の隔意があるためでもあるでしょうか、彼女がティーンエイジャー(の外見と精神)を持っていることもあり、それがより一層強調されているように思えます。例えば、旧版の設定だった場合、おそらくティラナが学生としておとり捜査をするとは考え難く、たぶん教師として赴任することになったのではないでしょうか。話の本筋は変わらないにしても、”犯人”に対する感情移入は、たとえ深さは変わらないにしても、目線の高さは大きく異なることでしょう。

結果的に、新版において、ティラナの目線が”犯人”と同じところに降りていることもあって、彼女は深く傷つくことになりました。そこで重要になるのがケイの立場です。今回の彼はどちらかと言えば、”少女”であるティラナを支える”大人の男”の役回りですね。旧版の設定を継続しているせいか、このシリーズでは二人の関係は大人と子供と言うよりも対等の相棒としての側面が強いのですが、今回は大人と子供の関係が表に出ていますね。どうしようもない理不尽を前に傷つく少女と、同じ苦痛を潜り抜けてきた大人がかばう構図です。今まではケイよりもティラナの方が”強い”(物理的な意味ではなく)ように見えていただけに、この関係性はなかなかに新鮮でした。

しかし、関係性の物語として、これだけに留まりません。同時に、駄目なおっさんと少女の関係も浮かび上がっています。妹の死に囚われたケイは、現在もその事実に苦しみ続けており、いちいちグダグダしています。そんなケイはティラナに妹の面影を見出してしまい、無意識に依存をしてしまう。一方、ティラナは妹の代わりであるのではなく、ケイに一人前として認めて欲しいという欲求があり、二人は微妙にすれ違っている。ここですごい”美味しい”なあ、と思います。そのすれ違いがまだ表面化しておらず、本人たちも自分の内面に気がついていないからです。この無自覚の関係が、すごく楽しい。いつ、二人がその事実に気がつくのかと思うと、わくわくしますね。

このように、この物語は”相棒”の物語であり、”大人”と”子供”の物語であり、”おっさん”と”少女”の物語であり、”男”と”女”の物語でもあるのです(まあ、男女の物語にするとヤバい気もするけど、ティラナは地球年齢に換算しても20歳なので問題ない)。この3巻の時点で、それぞれの関係性の芽が出てきていて、その意味でも目が離せません。まあ、それでも根本は”相棒”の物語を敷いていると思いますが、ティラナをロリ化したことによって、別の物語が駆動し始めているという点は注目しておきたいな、と思うのでした。

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