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2011.03.25

『コロージョンの夏』

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コロージョンの夏』(新沢克海/講談社BOX)

この作品を一言で説明すると、詰め込まれている要素のなにもかもが極めて過剰な作品です。一つ一つの要素はいわゆる現代異能的なライトノベルの文脈ではあるんですが、その密度が異常。なんだってここまで思いついたことを片っ端から詰め込んでいるんだ・・・。

簡単に言うと、主人公の過去、ヒロインの過去、巻き込まれた事件、そこで出会う登場人物。通常ならばそれら一つ一つで一冊の本になってしまいそうなところが、それをすべて一個の物語に統合しているのです。そのおかげで内容を説明するとカオスと言うほかはありませんが、ただ、そうしたアイディアの氾濫を、ギリギリのところでエンターテインメントに収めているのはすごいことかもしれません。

要素そのものは既存のライトノベルの文脈であると書きましたが、しかし、その内実は論理と倫理で構成される伝奇小説であるというあたりに、奈須きのこの系譜でもあるとも思います。世界を捉えるのに、作中独自の価値観を構築するというスタンスは、読者によっては拒否反応があるなど、わりとリスキーな選択ではあると思いますが、少なくとも余所からの剽窃を行ってないと言うこと(本当に作者が自分で組み上げている)、そして、きちんと論理的であるという点は評価したいと思います(ここで自分は重視したいのは、論理が正しいかどうかではなく、論理的であるかどうか、少なくともそう感じられるかどうか、です)。実を言うと自分はそれほど感心はしていないんですが、このように考えることも可能かもしれない、と思わされました。

個人的に好きなのは、クライマックス(の手前ぐらい?)における、主人公と”犯人”の対話です。対話を行っていくうちに、主人公の現実感が少しずつ崩れていくところがなかなかエキサイティング。こういうのも論理バトルの流れであると思うんですよね。

他にも主人公の造型とか、色々好ましいところはあるんですが、そうした個々の要素よりも、さまざまな要素をまとめ上げた手腕こそを評価するべきだとも思います。設定や物語には非常に”若く””荒削り”なところがあるんですが、その荒削りな部分を制御している。熱情のままに書きつつも、冷静さも感じられる。そのあたりに作者のセンスを感じさせられました。

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2011.03.24

2月に読んだ本

なんでこんなに少ないんだっけ?読書メーターの登録をサボっていたかな。

2月の読書メーター
読んだ本の数:29冊
読んだページ数:6833ページ

神さまのいない日曜日IV      (富士見ファンタジア文庫)神さまのいない日曜日IV     (富士見ファンタジア文庫)
「願う事」とはなんですか?どうすれば「願いは叶う」のでしょうか?と言うことか。
読了日:02月23日 著者:入江 君人
蒼穹のカルマ7      (富士見ファンタジア文庫)蒼穹のカルマ7     (富士見ファンタジア文庫)
妹のカルマでさえアレなんだから、その兄など時間と空間と因果律ぐらい飛び越えていてもおかしくないな。
読了日:02月23日 著者:橘 公司
Pumpkin Scissors(14) (KCデラックス)Pumpkin Scissors(14) (KCデラックス)
言葉で争いを無くす事の難しさ。殺すは易く、説くのは難く、人を動かすのは至難。
読了日:02月23日 著者:岩永 亮太郎
ヨルムンガンド / 9 特装版ドラマCD付き!! (サンデーGXコミックス)ヨルムンガンド / 9 特装版ドラマCD付き!! (サンデーGXコミックス)
ココの革命は、世界を変えるのか、あるいは終わらせるのか。どっちでもありそうな。
読了日:02月23日 著者:高橋 慶太郎
絶対可憐チルドレン 25 (少年サンデーコミックス)絶対可憐チルドレン 25 (少年サンデーコミックス)
京介さんが実にダークヒーローとして完成されているが、対比される皆本がヒーローではない不思議。
読了日:02月23日 著者:椎名高志
魔法先生ネギま!(33) (少年マガジンコミックス)魔法先生ネギま!(33) (少年マガジンコミックス)
竜宮隊長はエロカッコいいですなあ。異能バトルとしてもわりとガチ。
読了日:02月23日 著者:赤松 健
結界師 33 (少年サンデーコミックス)結界師 33 (少年サンデーコミックス)
「初めて」自分自身に与えられた天命に沸き立つ心を抑えられない兄貴に共感。危なっかしい。
読了日:02月23日 著者:田辺 イエロウ
仮面のメイドガイ 13 (ドラゴンコミックスエイジ あ 1-1-13)仮面のメイドガイ 13 (ドラゴンコミックスエイジ あ 1-1-13)
ツララ子さんの圧倒的ヒロイン力…。初期とは顔付きまで違う。
読了日:02月16日 著者:赤衣 丸歩郎
あるいは現在進行形の黒歴史3 -わだつみの海妃が俺の嫁?- (GA文庫)あるいは現在進行形の黒歴史3 -わだつみの海妃が俺の嫁?- (GA文庫)
メープルと主人公のラインが決着点っぽいがたいしたオチじゃなさそう。悪い意味ではなく。
読了日:02月16日 著者:あわむら 赤光
ケルベロス 5 (少年チャンピオン・コミックス)ケルベロス 5 (少年チャンピオン・コミックス)
冬子先生の立ち位置が面白い感じ。
読了日:02月16日 著者:フクイ タクミ
キガタガキタ! 2―「恐怖新聞」より (少年チャンピオン・コミックス)キガタガキタ! 2―「恐怖新聞」より (少年チャンピオン・コミックス)
鬼形君はある意味狂ってるとしか思えないが、そこがあまりにもかっけえ・・・。
読了日:02月16日 著者:つのだ じろう
装甲悪鬼村正 魔界編(1) (ブレイドコミックス)装甲悪鬼村正 魔界編(1) (ブレイドコミックス)
つまり「魔界転生」がやりたかったんだな/今度も非常に高品質なコミカライズです。
読了日:02月16日 著者:銃爺,ニトロプラス
神様のメモ帳〈6〉 (電撃文庫)神様のメモ帳〈6〉 (電撃文庫)
主人公、学校で女子としか会話してねえ・・・。
読了日:02月15日 著者:杉井 光
アクセル・ワールド〈7〉災禍の鎧 (電撃文庫)アクセル・ワールド〈7〉災禍の鎧 (電撃文庫)
呪いの力を取り込んで”伝説の武具”解放ですぜ。ジャンプ漫画だなー。
読了日:02月15日 著者:川原 礫
狼と香辛料〈16〉太陽の金貨〈下〉 (電撃文庫)狼と香辛料〈16〉太陽の金貨〈下〉 (電撃文庫)
意地でも”英雄”の話にしないあたりに作者のプライドが垣間見える。
読了日:02月15日 著者:支倉 凍砂
幕末魔法士〈2〉大坂鬼譚 (電撃文庫)幕末魔法士〈2〉大坂鬼譚 (電撃文庫)
ライトノベル成分を良い塩梅に含んだ安心の時代劇クオリティ。
読了日:02月15日 著者:田名部 宗司
バビル2世ザ・リターナー 2 (ヤングチャンピオンコミックス)バビル2世ザ・リターナー 2 (ヤングチャンピオンコミックス)
あのバビル2世に現代兵器はどこまで通じるのか?と言うIFが面白い。
読了日:02月15日 著者:横山 光輝
水域(下) (アフタヌーンKC)水域(下) (アフタヌーンKC)
人の想いを汲んでくれる存在とは、正しく神と呼ぶべきなのだろう。
読了日:02月15日 著者:漆原 友紀
水域(上) (アフタヌーンKC)水域(上) (アフタヌーンKC)
祖母から母へ、そして娘に受け継がれていく「記憶」がある。
読了日:02月15日 著者:漆原 友紀
戦闘破壊学園ダンゲロス (講談社BOX)戦闘破壊学園ダンゲロス (講談社BOX)
とてもクレバーに頭の悪いことをしていて最高です。邪賢王ちゃんはかつて無い程に萌える。
読了日:02月07日 著者:架神 恭介,左
4 Girls (メディアワークス文庫)4 Girls (メディアワークス文庫)
流れるように上品でまろやかな味わいで作者らしい作品だと思います。
読了日:02月07日 著者:柴村 仁
メガクルイデア (幻狼ファンタジアノベルス)メガクルイデア (幻狼ファンタジアノベルス)
逃げて逃げて逃げ続けて、その先には何も無い。でもそれがなんだって言うんだ?
読了日:02月04日 著者:十文字 青
ココロコネクト ミチランダム (ファミ通文庫)ココロコネクト ミチランダム (ファミ通文庫)
ヒーローはむしろ稲葉姫子だったのか。
読了日:02月03日 著者:庵田 定夏
B.A.D. チョコレートデイズ(1) (ファミ通文庫)B.A.D. チョコレートデイズ(1) (ファミ通文庫)
あさと編は、やや蛇足のような、また描ききれなかった部分を補完したような気も。
読了日:02月03日 著者:綾里 けいし
ニーナとうさぎと魔法の戦車 2 (ニーナとうさぎと魔法の戦車シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)ニーナとうさぎと魔法の戦車 2 (ニーナとうさぎと魔法の戦車シリーズ) (集英社スーパーダッシュ文庫)
可哀想な女の子萌えってわりと奥深いんだな・・・。
読了日:02月03日 著者:兎月 竜之介
朝霧の巫女 7 (ヤングキングコミックス)朝霧の巫女 7 (ヤングキングコミックス)
宇河先生の異世界を描くパワーには本当にすごいな。筆が遅れるのもしょうがない。
読了日:02月02日 著者:宇河 弘樹
バカとテストと召喚獣9 (ファミ通文庫)バカとテストと召喚獣9 (ファミ通文庫)
過剰に暴力的なツッコミが許されるのはFクラスの中だけだったのか・・・。
読了日:02月02日 著者:井上 堅二
ほうそうぶ2 (集英社スーパーダッシュ文庫)ほうそうぶ2 (集英社スーパーダッシュ文庫)
ライトノベルの定型を常に側面から回り込もうとする姿勢が良いと思います。
読了日:02月02日 著者:宮沢 周
ブラッド・スパート (幻狼ファンタジアノベルス)ブラッド・スパート (幻狼ファンタジアノベルス)
いろいろな意味でいつもの六塚作品。軽妙でユーモアがあって恬淡としています。
読了日:02月02日 著者:六塚 光

読書メーター

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2011.03.22

『シャギーロックヘヴン』

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シャギーロックヘヴン』(十文字青/幻狼ファンタジアノベルス)

薔薇のマリアと同一世界観となる今作ですが、作品の雰囲気は随分違います。薔薇のマリアはなんのかんのと言ってもキャラクター小説的な要素が強い作品ですが、今回の主役は無秩序都市、エルデンそのもの。すなわち、馳星周に代表される暗黒街小説に当たります。一切の法も秩序も規定されてないゆえに、そこを支配するのは金と欲望、そして力。人間を容赦なく食いつぶしていくエルデンと言う都市で生きる日々を描きます。そこにあるのは、弱く、卑怯で、醜い、自分を屑と罵り、人生を諦め、それでも求めることをやめられない人々。自分の”今”に対する絶望感と向き合いながら、それでも生きていく人々の姿です。

ここに登場する人たちは、お世辞にもカッコいいとは言えません。暗い影を背負った青年もいまでは40手前の中年となり、それでも女漁りがやめられない。かつての美少年も今では30を越えており、昔のようにはいられない。口先だけで渡ってきた男は、足を踏み外せばいつでも闇の中に滑り落ちるかもしれない。彼らはただひたすらに”昨日と同じ今日”を積み上げてきただけで、”明日”に向かうことが無く、ただ停滞し、腐り続けているのです。それは本当にみっともなく、希望もない。それでも死ぬことは嫌で、しかし先が見えない。

そんな彼らを軽侮することは容易いことです。彼らの現在は、さまざまな過去が影響しているにせよ、すべて彼ら自身で選んだこと。その結果として現在あるのであれば、すべては彼ら自身が背負うべき。であれば、彼らの現在は彼ら自身の自業自得と言えます。それは確かです。否定は出来ません。しかし、それでも彼らは生きてきました。自分が無様であることなど承知して。明日の事など考える余裕もなく。ただ細い糸の上で渡るように必死に。がむしゃらに。あるいは懸命に。そのようにして生きてきたこともまた間違いのないことです。

彼らにとって、エルデンは自らのようなはみ出し者を受け入れてくれる最後の地でした。同時に、彼らから容赦なくすべてを奪っていく恐るべき略奪者でもありました。彼らは、ひたすらに”今日”を生きるために全力を注がなくては、すべてを奪われてしまうということを知っており、”明日”などを求めませんでした。今日を求めることをやめれば、その瞬間に終わりだということを良く知っていたからです。明日を求めなくては希望も生まれないということを知りながらも、生きるためには明日を求めることが出来ない。それが彼らの生きる世界でした。

そのような彼らは、確かに人間の屑です。生きる価値も目的もない、掃き溜めに生きる者たちです。しかし、それでも彼らはひたすらに抗い続けてきました。己の価値を失っていきながら、それでも生きてきました。そう、彼らは懸命に戦っていたのです。己と言うすべてを賭けて。醜く這いずり回りながら。その行為は確かに愚かで醜いものですが、それを否定することは賢いことでしょうか?自分にはそうは思えません。もし、それを否定することが出来るものは、おそらく彼らと同様に戦い続けてきたものだけでしょう。

彼らは生きるためには明日を夢みてはいけないということを良く分かっていました。明日を夢見た瞬間、現在の重みに耐えられなくなる。希望を抱いてはいけないということも理解していました。希望を抱いた時から、希望に裏切られることに怯えなくてはならなくなる。一瞬を、刹那を生きることが、彼らに出来る唯一の手段でした。しかし、あるとき、彼らは明日を思ってしまいます。希望を求めてしまいます。それは愚かなことでした。本当に、本当に愚かなことでした。彼らが歩いているのは細い一本の糸の上であり、そこから外に踏み出した時は、暗闇に落ちるしかない。それは良く分かっていたはずなのに。

けれども、彼らは、それでも明日を思いました。希望を抱きました。ただ刹那を生きるのではなく、その先を夢見ました。毎日を過ごした、クソッタレな仲間のために。そして自分自身のために。愚かだと理解していても、それでも彼らは抗いました。今日を生きる戦いから、未来を掴むための戦いを始めました。

しかし、彼らが戦う先は闇そのものです。無秩序都市エルデン。そこには底なし沼のように、深く深く闇があります。それは個人が立ち向かえるものではなく、立ち向かってはいけないものです。そして、彼ら自身の過去。それは彼ら自身の為した行為が積み重なって、く降りかかってきます。それは彼らがもっとも恐れるものであり、決して逃れえぬものです。戦うには、あまりにも大きなものでした。

彼らには勝利の可能性はあるのでしょうか?結論としては皆無です。今日を勝てたとしても明日負けるかもしれない。明日は勝てたとしても、明後日は負けるかもしれない。この戦いは、いつか敗北する時に向かう戦いです。必ず敗北することが定められた戦いです。それでは彼らは不幸だったのか?客観的に見て、彼らには何一つ残りませんでした。何も得る事が出来ず、何も為す事もありません。何かを生み出すことも出来ません。彼らには苦難しか与えられることはありませんでした。苦難以外の道を歩むことが出来ませんでした。

それでも、彼らは幸福ではなかったでしょうか?仲間のために行動したとき、苦難の時に仲間が助けてくれたとき、彼らは幸福ではなかったのではないでしょうか?過去も未来も現在も、彼らに優しくなかったけれども、そこには何かがあったのではないでしょうか?

それを決められるのは、彼らだけです。彼らだけが、クソッタレで、ムカつく、ヘドロのような世界に、天国を見出すことが出来る。それしか出来ない。

しかし、それだけは出来るはずなのです。

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買ったもの

1.『怪物王女(14)』 光永康則 小学館
2.『デート・ア・ライブ 十香デッドエンド』 橘公司 富士見ファンタジア文庫
3.『GEANZ(6)』 深見真 富士見ファンタジア文庫
4.『鋼殻のレギオス(17) サマー・ナイト・レイヴ』 雨木シュウスケ 富士見ファンタジア文庫
5.『わたしと男子と思春期妄想の彼女たち(1) リア中ですが何か?』 やのゆい ファミ通文庫

買った。

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2011.03.20

『B.A.D. (4) 繭墨はさしだされた手を握らない』

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B.A.D. (4) 繭墨はさしだされた手を握らない』(綾里けいし/ファミ通文庫)

第一部完と言うべき巻ですが、”狐”に関する色々な出来事についてきちんと決着がついています。小田桐とあさと、繭墨とあさと、小田桐と繭墨。それぞれにとっての関係について、少なくとも現時点における回答をきちんと出していますね。ただ、あまりにもきちんと回答を出しすぎていて解釈の余地があまりないと言うのは個人的には気にかかるところではあります。

特に、小田桐とあさとの関係の意味を、そこまではっきりと描いてしまっていいものか・・・?と、いささか抵抗感を感じてしまいました。まあライトノベルとしての分かりやすさを優先したんだろうけど、わりとこれまでは距離を置いていた人間の感情部分を明確に描いてしまったところは評価が難しいところ。これについては色々な意見があるだろうけど、個人的にはこのように直裁に描いてしまうのは無粋のように思います。あさとが小田桐に対して抱いていたのは、本当に悪意だけだったのか?と言うのは、まあ確かに読者にとっても気にかかるところではあるけれど、それについて明確に(明確に過ぎる)答えを出してしまうのは、美しいとは思えない。明快であるのは悪い事じゃないけど、明快であるのが正しいとも限らないしね。特に、「明快であるのかはっきりしない事を明快に語ってしまう」のは単純すぎるように思います。特に人間の感情にまつわる話を明快に語る事については強い抵抗が自分の中にはあのです。なぜなら、人間とは矛盾の生き物であるという認識が自分の中にはあるから。

もうちょっと具体的に言うと、果たして人は楽しい時には楽しいと言う感情しかないのか?悲しい時には悲しいという感情しかないのか?怒った時には怒りしかないのか?と言う問題です。少なくとも自分は、すごく楽しい時でも心の一部分では「あーめんどくせー」とかだるい気持ちになったり、ものすごく腹が立ってムカついた時に「それはそれとして腹減ったなあ」とか感じることがあるんですが、これって別におかしなことではないですね(たぶん)。人間は悲しみながら楽しさを感じることもある生き物であり、純粋な感情だけになる人間と言うのは、まあ皆無ではないと思いますが、そんなに多くないのではないかと思うのです。まあ他人の心の中なんぞ知らないので、これも妄想に過ぎないと言えばそうなんですが、少なくともこれが自分の中のリアル。

なので、あまり登場人物の感情をシンプルに説明されてしまうとたじろいでしまう。説明不能な事柄を説明されてしまったような居心地の悪さを感じてしまうのですね。あさとの内面については、今までかなり慎重に取り扱われていたように思うので、その落とし所が”ここ”と言うのは、うーん。ここまで自分自身の望みとして”怪物”として振舞ってきたあさとが、ちょっとかわいそうな気もする。それまで生きてきた事すべてを否定してしまったんじゃないか。ただ”求めていた”だけと解釈されてしまうのは、ちょっとあんまりじゃない?勿論、”求めていた”と言うのも間違いないだろうけど、”悪意”だってあったんじゃないの?そっちは否定されちゃうの?みたいな、そんな感じのしっくりの来なさがありました。上手く説明できないんですが、ちょっとそのあたりが、えー、って感じ。

我ながら、ものすごく理不尽なケチのつけ方をしているような気がしてきました。自分で書いていてもわけが分からない。ひどい。なんだか書けば書くほど自分の考えている事とも異なってきたような気がするんですが、やはり言葉で説明してしまうと感覚的なことと言うのはズレて来てしまいますね。などと強引に誤魔化しにかかりますが、これ以上買いても泥沼になりそうなので終わります。

追記。自分の違和感を説明しすぎて感想をなにも書いてなかったけど、分かりやすさそのものは否定しません。ライトノベルとしては別に間違っていないと思います。同時にこの作品は伝奇小説でもあったわけで、自分は伝奇小説としての側面を強く求めすぎたというところもあって、それが自分の中でカテゴリエラーを起してしまったようにも思います。

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2011.03.18

『カンピオーネ!(8)受難の魔王たち』

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カンピオーネ!(8) 受難の魔王たち』(丈月城/スーパーダッシュ文庫)

今回のカンピオーネはいわば番外編と言うか日常編と言うか、カンピオーネとはいかに奇人変人であるかを描いている回であると言えましょう。こいつらは、ただ普通に暮らしているだけでトラブルを撒き散らしていく台風のような輩揃いなのだ。そう、彼らはトラブルに巻き込まれるのではない。彼ら自身がトラブルを引き起こす。右に行けば嵐を呼び、左に行けば洪水を呼ぶ。だったら昼寝をしてたら、その場に地割れが起るような、まさに人型災害。

従って、彼らには平凡な日常とは縁がありません。より正確に言うならば、彼らが平凡な日常であると考えているものが、本当に平凡な日常であったためしがない。そのくせ、それにまったく無自覚なのです。それゆえに、彼らの”日常”に巻き込まれた人たちにとっては、非常に大変なことになってしまう、と言うわけです。

今回は、そのような奇妙奇天烈ヒューマノイドタイフーンな魔王たちと関わってしまったばかりにその周囲の人たちが大変な目に合ってしまう話。カンピオーネにとっては日常茶飯事ながらも、巻き込まれた人にとっては人生を変える出来事なのでした。

前も思ったけど、カンピオーネの方々は、どいつもこいつもまさに英雄と呼ばざるをえない異能かつ異質な人物ばかりなので、その行状を追っていくだけで非常に面白い内容になってしまいます。ハーレム構築を確固なものとした我らが護堂さんは、本人が一応平和主義を標榜しているだけに、他のカンピオーネに比べて(迷惑度では)大人しいものの、日常を逸脱しているという意味ではいい勝負と言えるでしょう。一応、女の子をまた一人、毒牙にかけてしまったからね・・・(と書くと護堂が一番の鬼畜に思えてくる。間違ってはいないような)。まあ一応は日常編の名に相応しいもの、のような気もしますね。

他にドニが神殺しを行った直後のエピソードがあり、ここで、いい加減に不穏な雰囲気を漂わせ続けて来たドニの根っ子の部分が明らかになりました。が、ある程度は予測できていたものを確認するに留まります。彼が護堂に執着する理由の一端も見えたけど、まあそれはそんなに重要ではなさそうです。なので、ハチャメチャな行動をとるドニに振り回され続けるエリカとリリアナと言うヒロインコンビの姿を楽しむの悪くはないかも知れません。と言うか、エリカとリリアナは仲が良いねえ。お互いを認め合っている関係ってのは、ほんわかしますねえ。あと、ドニはなんと言うか、ザ・英雄と言う感じで良いね。己の欲求のままに振る舞い、その行動が世界の運命を揺り動かす。あらゆる思考と行動が常人ではありえないスケールに達してるという意味で、まさに英雄だよね(良くも悪くも)。

で、未だキャラが明らかにされなかった黒王子ことアレクがメインとなることで、ようやく彼のパーソナリティーが明かされました。今までのところ、妙に細々とした性格っぽくて、なんかカンピオーネとしては面白味がねえなあ、なんて思っていたアレクだったけど、うんまあ、面白味の無い性格はそのとおりだけど、迷惑度では少しも負けてないんだな、とか。やっていることはあんまり変わらん、みたいな。ただ、わがままだけど見栄っ張りと言う性格上、自侭に振舞っても、どこかで渋々ながらも引いてしまう詰めの甘さには、どことなく可愛げと言うものもないではないかもしれない。自分の資質と志向が一致してないという意味では、護堂とタイプが似ているのかもしれないね。

とかなんとか。奇人変人列伝として、たいそう面白い話でした。次はヴォパン侯爵とか出ないかなあ。

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2011.03.17

『放課後ランダムダンジョン』

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放課後ランダムダンジョン 』(瀬尾つかさ/一迅社文庫)

花粉症が悪化して、もはや目がかゆいではなく痛いレベルになって悶絶している吉兆です。ブログの更新をサボっていたのは地震とかは関係なく、それが原因となります。あとゲーム(ひどい)。

瀬尾先生で一迅社文庫と言うからてっきり円環シリーズ(正式名称は忘れた)の話なのかと思ったらそうでもないみたいです。どっかで繋がっている可能性は否定出来ないけど(ゲートブレイク現象まわりの設定のどっかに組み込めそう)、少なくとも作中での言及はなし。けどまあ、言ってしまえばいつも通りの瀬尾先生ですね。一言で言えば「設定多すぎ!」につきます。

さまざまな魔法大系があって、それぞれに異なる特徴を運用してランダム作成型ダンジョンに挑むという物語なんですが、そもそもその設定が(作品の分量に不釣合いなほどに)濃い。一冊完結の話でどこまで世界設定に淫するつもりなのか。もちろん設定ありきで作られた物語のようなので、その判断自体は間違いとはいえないものの、明らかに物語を収める気がまったくないと言うあたりはもはや潔いといわざるを得ません。でもまとめる気ないだろ!

まあ瀬尾先生は基本的に大きな状況に翻弄される人間が最終的に運命を超克する物語を描く人なので、そこに至るまでにスケールがインフレしていくのは致し方ないところではあるんですがね。問題は、そこまで描くのであれば、一冊では本来はとてもまとまらない規模だということ。たぶん、瀬尾先生は自分が書いているのがハヤカワ文庫かなんかだと勘違いしているんじゃないでしょうかね。ハヤカワなら一冊でまとまるとしても、こっちでは三冊あってもまとまらないよ。

瀬尾先生はもうちょっと手加減しないとライトノベルでは厳しいんじゃないかな、と思ったのでした。自分は面白いと思うんだけど、この面白さは「物語が~」とか「キャラが~」とか「設定が~」とかじゃないんだよね。この密度の圧縮から生じるスピード感が好きなんです。

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2011.03.14

買ったもの

1.『保健室の死神(7)』 藍本松 集英社
2.『シンバシノミコ(2)』 光永康則 秋田書店
3.『山風短(2) 剣鬼喇嘛仏』 原作:山田風太郎 漫画;せがわまさき 講談社
4.『メグとセロン VI 第四上級学校な日』 時雨沢恵一 電撃文庫
5.『新訳 とある魔術の禁書目録』 鎌池和馬 電撃文庫

買った。

なんか書くべきことがあったような気もするけど、とにかく花粉症が凄まじくひどく、目が開かないので忘れました。

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2011.03.11

『僕は友達が少ない(5)』

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僕は友達が少ない(5)』(平坂読/MF文庫J)

まただよ…また平坂先生がやっちゃったよ・・・。最近流行りの男の娘と見せかけて、その結果がご覧のありさまです。最近はそういうのが引かれるどころが一大ジャンルになっているというところから、読者の気の逸れたところでこの一撃。さすが平坂先生、読者の意表をつくことに全力を注ぐ作家だ。

ただ、昔に比べると、意表をつくにしても、ちゃんと読者が許容できる範囲内に納めているところに、エンターテイナーとしての成長を感じますね。読者の予想を裏切りながら、期待を裏切らない。昔は読者への嫌がらせにしか思えないような、ただひたすら読者の意表をつくことばかりに意欲を注いでいたものですが・・・。まあ、エンターテイナーとしてはともかく、ロッカーとしては体制に擦り寄った感じもする。平坂先生!今のアンタは本当のロックじゃねえ!ファッションパンクだ!

しかしファッションパンクの方が売れるのが世の常。悲しいけど、これが現実なのよね。そして商業作家としては、売れることこそが絶対の真理である。そのためには読者の喜ぶものを与えることは戦術として正しいものね。それに、売れるためになりふり構わず読者に媚を売りまくりな平坂先生もけっこう好きよ。

まあそんなことはどうでもいんだけど(前置き長すぎだろ)、最近、ラストで衝撃的な事実を突きつけつつ、それらが続巻であまり重要な意味を持たず、そのままだらだらとした日常を継続していくという、いわばクライマックス直前からの”引き戻し”を繰り返していたわけだけど、なんとなーく、そろそろヤバイんじゃないかと思わなくも無い。ヤバイってのは、そうした”引き戻し”は、言い換えれば問題を先送りにしているわけで、延々と問題を先送りにしている現状は、いずれ問題がまとめて襲い掛かってくるのではないか、と思うと無意味にハラハラしてしまう。

一応、幸村の話題も出したし、問題が降りかかってくる前兆じゃねえのかなあ・・・。あれ?でも、理科ってなにか問題が出てきたっけ?・・・ああ、ビジュアル変化させたっけ。でもこの子、キャラクターとしてはものすごく強いわりに、物語的背景を背負ってない(あるいは少ない)ので、今のままでは蚊帳の外になってしまうような…。まあ蚊帳の外のまま、変態的な行動をしているだけでも面白いんだけどね。

でも、基本的には、夜空の過去と、星奈との許婚関係に収束していきそうな感じはある。悪いけど、理科と幸村はヒロインとしては序列低いから、ヒロイン抗争を挽回するのは難しいっぽいなー。どっちも人気は高そうだけど、ヒロインの序列と人気は基本的に別物だからねえ。

とか考えていると、きっと平坂先生の事だからあさっての方向から嫌らしい変化球を投げてくるに違いないので、焦らず対応していきたい所存。騙されるためには予想をしなくてはならぬとシグルイでも言っていたので、オレはこれからも外れ続きの予想をどんどんやって生きたいと思います。まる。

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自分の慌てぶりを録画したい

今日の地震が起きた時は「また地震かよー」と言った感じで気にも留めなかったのだが、それがいつまで経っても終わらないことにアレ?と思った時には大変なことに。本棚の上のものがバサバサ落ちてきた時はこりゃヤバイと思った。ちょっと洒落にならなかったね。

その後も余震が続いていたけど、地震と言うのはやっぱり肝を冷やす。自分では冷静なつもりだったけど、なぜかコップを持って移動していた時は、何やってんだ自分は、と思わなくもなかった。どうも、振動と言うのはそれだけで肺腑を揺り動かすので、意味も無く不安な気持ちになってしまうようだ。精神とは肉体の奴隷にすぎんと言ったのはニーチェだが最初に知ったのは銃夢だった。いや、それはどうでもいいが、さらにそんな事を言っている場合でもなかった。

退路の確保(ドアの開放)と火の元のチェックを行った後、外に出るべきか非常に悩んだけど、あれはどっちが正解なのか、未だに良く分からない。まあ、まわりに崩れ落ちたりするものが無いところに移動するのが一番安全なんだろうけど(埋もれてしまうのが最悪)、移動中も安全が保証できないもんな。

と言うことで、オレはあえて上方回より移動しないことに決めたぞジョジョー!上の方にいたほうが、建物が潰れても生き延びる可能性はあるもんな。津波だって安心!でも、やっぱり地震がひと段落したら外に出るべきかもしれない。

まあ、非常時のパニックと言うのは本当に恐ろしいな、と思ったのでした。

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2011.03.10

『難民探偵』

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難民探偵』(西尾維新/講談社)

西尾維新らしい設定で西尾維新らしいキャラクターで西尾維新らしい話を書いてしまった作品でした。エンターテインメントとかを事象の地平に投げ捨ててしまった感のある、ただただ西尾維新センスが迸っています。どういうことかと言うと、事件が発生してミステリとして盛り上がりそうなところは必ずスルーし、キャラクターを立たせて魅力的に見せられそうなシーンの描写は省いたりして、とにかく作品が”面白くならない”ように物語を組み立てています。

まあ、西尾先生がどういう意図でやっているのかは想像するしか出来ないんだけど、そこをあえて邪推するならば、たぶん西尾先生は、最近、エンタメを書きすぎたと思っているんじゃないかしら。化物語シリーズとか、普通にまっとうに面白い成長小説を書いてしまって、しかもそれが受けてしまったので、本人の中でバランスを取っている(別の言い方をするとリハビリをしている)感じがします。

と言うのは、これは自分のごく個人的な西尾維新観になるので客観性はまるでないけれど、西尾先生は、とにかく当たり前に、無批判に読者が受け入れている”常道”や”王道”、あるいは”お約束”と言うものに対して、常に疑義を突きつけてくる作家だと思っているからなんですね。わかりやすい例えで言うと、「複数対複数で集団戦をやっているはずなのになぜかタイマンになってて、他のキャラは解説しているだけ」とか「バトルで負けた主人公が唐突に特訓パートに入った」とか、まあそんなのが少年漫画的なお約束ですかね(他にもあると思うけど、ちょっとすぐには思いつかない。まあいいや)。で、西尾先生は、そういう誰もが当たり前だと思っていてスルーするところを、「集団戦で強いやつが一人いるなら真っ先に潰せばいいじゃん」とか「特訓パートに入っている主人公に悪役が追い討ちをかければいいじゃん」とか、そういうことをやってくるわけです。つまり、当たり前に存在している「空気」と言うものに対して、常に反逆している作家なんだと自分は思っているんですね。

で、化物語シリーズも、なんだか大ヒットしているみたいですけど、あれも本質的には同じもので。主人公は半吸血鬼とか伝奇アクション設定を持ちながらロクにバトルしねーわ、バトルしてもボロ負けするわで、とにかく酷かったね。ひたぎさんも今は一週回って萌えキャラとして認知されているけど、自分は化物語を初めて読んだ時は、このヒロインはすげーわ、って思ったもん。最初にガチで主人公に追い込みをかけるヒロインなんて、そんなのヒロインじゃねえ(笑)・・・と言うお約束をとにかくぶっちぎって造型されていました。いわゆる一般的な”萌えキャラ”がやらないことを一通り全部やっている感じですよね、ひたぎさん。まあそこが好きなんだけど。ひたぎさん。

だからまあ、化物語がヒットしたのはアニメ効果もあるけど、大筋のところはただの”偶然”でしょう。たまたま当時の西尾先生が常道の裏をついた作品を書いたら、たまたま時代の流れに乗って、たまたま既存の萌えキャラに飽いた読者の心にヒットしたと。まあ知らんけど。

でもねー、一度ヒットしちゃうと、と言うか一度物語を構築しちゃうと、どうしても”流れ”ってものが生まれてしまうんですよね。物語の圧力とでも言うべきもので、”こうあるべき”と言う物語の要請があるわけです。キャラクターも厚みを増してしまうし、書き手の制御も受け付けなくなっていく(キャラクターに反する行動は取り難くなっていく)。まあ、そのあたりを強引に舵を取って、固まりかかっていた羽川さんのキャラクターを解体した「猫物語」はやっぱりすごかったね、と言う話になるんだけど、この話をしだすと長くなるのでやらない。

ともあれ、西尾先生としては、物語の圧力に縛られない環境で、思う存分に王道を裏をつく作品を作ってみたい時期であったのではないかな、と思うわけです。つまり、探偵は活躍せず、彼の推理は見事に外れ、助手はほとんど事件には興味を見せず、探偵の友人は愚痴を延々と吐き続ける。事件はまったく劇的ではなく、解決もグダグダに終わる。すべてがエンタメの裏側をついているんですね。いや、西尾先生的には、「探偵が推理に失敗してグダグダになる話も面白いんじゃね?」ぐらいに思っていた可能性は無いとは言い切れませんが、まあでも普通に読んでエンタメの方程式をひっくり返しているように思います。

その意味では、化物語シリーズの同工異曲にして、裏面として、この作品を位置づけることも出来るかもしれませんね。

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2011.03.08

『あるいは現在進行形の黒歴史(2) -紅バラの剣姫が俺の嫁?』『あるいは現在進行形の黒歴史(3) -わだつみの海妃が俺の嫁?』

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『あるいは現在進行形の黒歴史(2) -紅バラの剣姫が俺の嫁?』『あるいは現在進行形の黒歴史(3) -わだつみの海妃が俺の嫁?』(あわむら赤光/GA文庫)

宿題をさくさく終わらせる感じで二冊同時感想。手抜きではない。

基本的に前回の敵キャラが次巻のヒロインになるというローテーション制を取っている作品なので、2巻においてはロザリンドがヒロインでアイシャリアが敵キャラ、3巻においてはアイシャリアがヒロインでキキが敵キャラとなっています。これは、まず敵としてキャラ立てを行った後に、ヒロインとして主人公とラブコメをさせる手法を露骨に行っているわけで、非常に洗練された手法とは言えますね。ワンパターンと言えばワンパターンですけど、ヒロインをいかに描写するかと言う部分に特化していく方法論としてはアリだと思います。それできちんとヒロインを魅力的に描けるかどうかは作者の手腕だしね。

2巻は紅バラの剣姫ことロザリンドがメインの回、なのはずなんですが、メイン回のわりに扱いは悪いです。まあ、典型的中二病気質で(中身が)残念ヒロインとしてはそれなりにキャラが立っているんですが、早々たる(残念な)メンツの中ではキャラクターとしては弱いので(言っちゃったよ)、驚異のスーパー残念ヒロイン力を誇る楓子の前では苦しい状況でありました。まあキャラが弱いという以前に、彼女は自分の内面を他人にさらけ出せない内気なタイプなので、いきなりメインヒロインとしてラブコメしろ!と言われても無理な話だよね。どちらかと言うと彼女がヒロインとして主人公との関係を描かれるというよりも、彼女自身の屈託が問題の中心にあって、それに取り組む構成になっているように思います。ただ、それが本来は物語の中心になるべきだと思うのだが(主人公が問題解決に協力する形がセオリー)、なんと言うか、とにかくアイシャリア(と楓子)パートがあまりにも頭が悪すぎたせいに割を食ってしまいましたね。さすが序列一位ヒロインさんは強いなあ(基本的にこの作品はヒロインが大量に出てくるのだけど、物語的には楓子(妹)が最上位に置かれているんですね。ヒロインたちときゃっきゃうふふな展開でも、かならず主人公は楓子のところに帰ってくる)。

ただ、ロザリンドはかつての自分が”脇役”であったことを嫌い、今度こそ”主人公”なろうとしているわけだけど、そんな風にカッコを付けているだけでは”主人公”にはなれないと言う意味では、ロザリンドの扱いの悪さも、理屈としては合っているような気もします。キャラクターとして不遇である方が輝くタイプと言われればそれまでだけど、そういう自分のキャラクターを認められるかどうかと言うのも重要なことだと思うんだよね。過去の自分を否定して、現在だけあれば良いってのはやっぱり長続きしないし、したとしても本人がつらいだけだもの。なので、この巻でロザリンドの扱いが(メインのはずなのに)悪いというのは、ある意味、キャラクターの理屈に叶った展開であると思うのでした。

で、3巻の方ではアイシャリアがメインになるわけですが、アイシャリアのキャラクターはロザリンドとはぜんぜん違いましたね(そりゃそうだ)。ロザリンドと対比するとわりと面白いかなとも思うんですが、アイシャリアは現在でも過去においても、自分自身にはほとんど不満がなかったタイプですね。天然気質みたいな感じ。なので、主人公に対するアプローチも実にナチュラルで、ロザリンドのような空回り感がない。なんと言うか、すごく”強い”キャラクターのように思います。前回はロザリンド編をぐっちゃぐっちゃにしてしまった楓子でさえ、アイシャリアに押され気味だったような気がします。この強さの理由は、おそらくアイシャリアは精神的に成熟しており、大人の女性なので、そもそも主人公に”救われる必要がない”と言うところかもしれません。彼女は自分の問題は自分で解決できる力もあり余裕もあるので、主人公が彼女を救うことで惚れられるという展開が実は”無い”んですよね。それでいながら主人公に好意を寄せるとどういうことになるかと言うと、ヒロイン側に主人公に対する”負い目”と言うものがまったく無いため、主人公は拒否が出来なくなるわけです。”救われている”から生じる負い目から自由なので、アイシャリアは自分の心のままに振舞うことが出来てしまう。これが彼女の”強さ”に繋がっている、のかもしれない。

まあ、そもそもが他のヒロイン連中が不甲斐なさ過ぎるということもあるかもしれません。ロザリンドは前述の通り”弱い”(キャラクター的に、あるいは人間的に)ので相手にならないし、マリスはそもそもヒロイン闘争(なんすかそれ?)と言うものをあまり理解していないみたいで、結局、外野で騒いでいるだけでした。3巻はメインだからいいけど、こんなにキャラを強くしちゃって、次巻はどうするんだろう?と思わないでもないですが、まあ、そのあたりは幼女の力でなんとかするつもりなのかもしれませんが・・・さて。

さて、このように、非常に明瞭な構造を持って作られている作品ですが、気になるのは落とし所ですね。ヒロインを単純に追加していくだけだと、5人しかいない現状では全員がメインを張ったら終わってしまう。どんなに頑張っても5巻で終わってしまいます。そうならないために、おそらく4巻で何かを仕掛けてくると思うのですが、どんなものでしょうか。特に主人公と最後の天使であるメープルの間にラインが引かれているので、ここが作品の落とし所になるのではないかと思っているのですが、あるいは単なる転換点に過ぎない可能性もあります。なんかもう読者の方も忘れかけていますが、マリスを除く天使は幽霊ですからね。もしかしたら、メープルと主人公に生前、関わりがあったのかもしれないし、あるいは別の要因を持ち込むトリガーになるのかもしれない。ま、ぶっちゃけた話、売り上げ次第なんだろうけどね。4巻で終わらせることも出来るし、続けることも出来ないでもないって言うか。いやらしい話ですねえ(言ったのはオレだけど)。

まあ、次は満を持しての幼女ヒロインなので、作者としても気合が入っているみたいです(たぶん)。メープルがどんな形で介入してくるのか、そのあたりが注目ですね。なんとなくものすごくどうでもいいオチが待っていそうな気もします(良い意味で)。

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買ったもの

1.『To LOVEるダークネス(1)』 脚本:長谷見沙希 漫画:矢吹健太郎 集英社
2.『めだかボックス(9)』 原作:西尾維新 漫画:暁月あきら 集英社
3.『そんな未来はウソである(1)』 桜場コハル 講談社
4.『みなみけ(8)』 桜場コハル 講談社
5.『機巧童子ULTIMO(6)』 武井宏之 集英社

買った。

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2011.03.07

『丘ルトロジック 沈丁花桜のカンタータ』『丘ルトロジック(2)江西陀梔のアウラ』

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『丘ルトロジック 沈丁花桜のカンタータ』』『丘ルトロジック(2)江西陀梔のアウラ』 (耳目口司/角川スニーカー文庫)

例によって1巻の感想を書く前に2巻が出てしまったので、内容についてはまとめて書きます。もう全部この方式で良いような気がしてきた。

ところで自分は”外れた者”たちの話が好きである。自分ではどうしようもない”サガ”によって、平凡から外れることを余儀なくされたものたちが、わいわいがやがやと好き勝手に生きている話を読んでいると、とてもホッとした気持ちになれる。”外れる”ことは、一般的に言って忌避されることであり、もちろん、当たり前に外れないで生きている方が、どちらかと言えば無意味な軋轢を生まない分、良いに決まっている。外れないで生きるというのはそれはそれで大変だとは思うけれど、”外れた”人間は、本来所属している共同体の中で、そもそも存在価値さえも認められないフリークス(化け物)としてしか扱われないのです。

この話は、本人の主義主張、あるいは事故、あるいは趣味、あるいは強迫観念などにより、”当たり前”ではいられなくなってしまった人たちの物語です。本人が望んで外れた者も、そうではない者もいるが、理性のタガの一分が外れて己の本質的な衝動に支配されている者たちが、この物語には数多く出てくるのですね。そうした、言わば人間の良識には従えなくなってしまったフリークス(化け物)たちが、丘研(オカルト研究会)にあつまり、町で起こるさまざまな事件に関わっていくことになります。

世間の常識から外れた者たちが関わる事件は、相応しくも一風変わっています。それはまさにオカルトの領域の話であったり、実は科学的な結末がついたりします。超常現象は普通に出てくるのに、それでもそれは大きな意味を持ちません。ひどく淡々と物語の中で受け入れられています。それは、オカルト的存在であろうとも、それは”外れた”者である以上、主人公たちとなんら相違ない存在だからかもしれません。それは存在のあり方として、”当たり前”から弾き出されてしまったものたちの持つ仲間意識と呼ぶべきものでしょうか。彼らにとって、本当のお化けだろうがなんだろうが、それ以上に自分たちの同類であると言う事実の方が優先されてしまうのであり、それがこの物語の、オカルトだろうが超常現象だろうがインチキだろうが、どれでも等価として扱っている奇妙な空間が生まれているのだと思います。

1巻は、まさにたまたま出くわしたフリークス共が、自分たちを排除した”常識”に対して戦いの雄叫びを上げるという話になっていて、大変にさわやかな話になっているように思います。たびたび出て来る”常識に対する怨念”めいたものが出てくるのは、やりすぎると単なる私小説になってしまうところを、ギリギリでバランスを取ったかと思います。それ以上に、自分たちの本性を隠さないで全力で世界を打ち壊しにいけることの喜びと言うか、祭りの感覚がとても楽しく、面白く読めました。

ただ、1巻でこんなクライマックスをやってしまって、2巻は一体どうするのかといささか心配はしてしました。少々不安に思いつつ2巻を読んだんですが、そっちの方向にいっちゃったかー、と言う感じ。物語の基本ラインは1巻と同様ながら、今回はそれぞれのフリークスたちが持つ”事情”の方に物語の中心が移っています。これは、登場人物たちのキャラクターを深めようと言う意図のもとに行われていると思うんですが、正直、キャラクターの”事情”の見せ方の基本が”説教”と言うのはちょっと何とかして欲しいなあ、と思います。キャラクターがその内面を明らかにしていく展開は良いんですが、その解決の仕方が、基本的に外部であるはずの主人公たちが”相手の認識を否定”して終わるんですよね。禁書目録で言うところの「その幻想をぶち殺す!」と言う奴です。ただ、これは実は諸刃の剣で、否定する側に正しい根拠がなければ、その否定はただの傲慢でしかない(まあ、如何なる理屈があろうと傲慢であることは変わらないんですが、せめて”正しい根拠”がなかったら、否定された側が救われないじゃないですか)。こういう己の正しさをお互いに押し付けあう認識戦も悪いとは言わないんですが、これ、どっちにしても”外れた者”同士が認識戦をしているだけなので、結局、どっちもどっちにしか思えないんですよね。認識戦に勝利した側が正しいとは限らないのは分かっているんですが、どうもその否定の仕方に納得しがたいものがあります。

うーん、結局アレかなー。外れた者たちが常識に立ち向かう話なのかと思ったら、結局、外れた者同士で対立しているだけなので、あんまり興味が沸かなかったってことなのかなー。お前ら、戦う相手がどう考えても違うんじゃねーの?みたいな。あと、何を論点にしているのかイマイチわからんのは、たぶん、主人公たちの価値観にあまり共感していないせいだろうな。主人公たちの偏りまくった価値観自体は良いとも悪いともおもわないんだけどね。正しいとか正しくないとかの問題じゃないと思うんだよね。たぶん。

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2011.03.04

『私と悪魔の100の問答 Questions & Answers of Me & Devil in 100』

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私と悪魔の100の問答 Questions & Answers of Me & Devil in 100』(上遠野浩平/講談社)

タイトルからして、主人公と”悪魔”との対話が延々と行われていくのだけど、その対話の内容のほとんどは愚にもつかない内容だ。って断言しちゃうと不愉快な思いをする人もいるけど、そのほとんどは”答えようのない質問”で構成されている。人によって答えも変わるだろうし、そもそもが正解と呼べるものもない。あるいは答えたところで何の益もなさそうな質問ばかり。ただ、そうした内容はともあれ、ひたすらに問いかけ、質問を続けていくこと。問いの上にさらに問いを積み上げていくことには意味がある、はず。そんなようなお話です。

主人公、と言っても良いのかは分からないが、視点は女子高生の紅葉の視点で語られます。親の事業失敗の補填のため、悪魔こと<ハズレくん>と対話を行うことになるわけですが、正直、ごく平凡な彼女にとって、<ハズレくん>の問いかける質問のほとんどは意味不明のものでしかないんですね。あまりにも抽象的に過ぎるその言葉には、彼女は最初は、”わけが分からない”と言う態度しか取れない。なにしろ相手の語ることは意味が分からず、こちらからかけた言葉には相手は答えない。ある意味において、対話者としては最悪な相手です。相手は自分の視点からしか物事を語らず、彼女の視点まで降りてきてくれることはないのです。

そんな対話者に対して、彼女は苛立ちを募らせていくことになります。まあ当然ですよね。そもそも彼女は現実において母親の事業が失敗したことから、マスコミの好奇心の的になっており、非常に苛立っています。なぜ、自分を放っておいてくれないのか、なぜ他者を貶めようとするのか。それが彼女には分からない。分からないことが彼女を苦しめています。その答えを探しているけれども、どこにも答えは見つからない。

つらくて苦しいけれども、なにより”わからない”と言うことに立ちすくむ彼女に、<ハズレくん>は更なる疑問を投げかけます。それは単なる質問のための質問だったり、答えの無い言葉だったり、疑問を増やすだけの内容だったり、はっきり言ってどうでも良いとさえ思う無意味な言葉。何か意味がありそうだけど、でもたいした意味はなさそうな気がしてきます。それどころか、<ハズレくん>は彼女に”答え”を与えることなく”分からないころを増やす”ことさえしているのです。現実の不条理さとあいまって、むかむかしてきた紅葉は湧き上がる怒りのままに(あるいは困惑して)<ハズレくん>に対して”言葉を発していくことになるわけですが、この物語はほぼ全編がそうした対話とも呼べぬ、お互いに言葉を一方的に投げかける内容とも言えるでしょう。

しかし、質問を重ねて疑問を増やしていくことで、そうした疑問に対して、紅葉は、ただ世界のわからなさを受容するのではなく、歯向かうことを覚えていきます。意味の分からない、あるいは答えの出しようも無い質問に対して、とにかく反抗して自分なりの言葉を突きつけていく。その反抗自体が意味不明だったり、回答自体も稚拙であったとしても、ただ受け入れるではなく、理も、利もなくても、立ち向かうことを知ることになります。まあそれにしたって別に意味があるかないかといえば、ないんですがね。戦ったところで本当の事が分かるわけでもないし、勝てるわけでもない。そもそも戦う相手だって見えないんです。そもそも勝負にすらなっていない。

ただ、そのように言葉を投げかけていくにつれて、ごくたまに、言葉が噛み合う瞬間がある。お互いに、噛み合うとは思ってもいなかったような無意味な言葉が、言葉を発した本人の意図するところとは違うところで相手に受け止められることがある。その瞬間、無意味な言葉の羅列は意味を持つものとなり、新しい意味が生まれていく。別に、それによって状況が変わるとかそういうことはないけれども、それはつまり、”価値の創造”であると言えます。それまで無意味と思われていたことが、誰も思いがけないところで突然意味を持つ。それが何かを生み出すということであり、何も分からない世界に対しての反抗そのものでもある、と思えるのです。

結局、二人の対話は最後まで噛み合ってはいませんでした。紅葉は相手を理解したとはとても言えないし(彼女の理解はとても浅い位置に留まっている)、<ハズレくん>はそもそも彼女を理解するつもりもありませんでした。しかし、お互いに前提を履き違えているはずの会話が、最後には、ある意味において”通じ合った”瞬間がある。誤解も不理解もある見当違いのはずの言葉が、なぜか相手の本質を射抜いてしまう時もある。おそらくはそれも”対話”と言うものがもつコミュニケーションの持つ意味の一つであるのでしょう。

理解とは幻想であるかもしれない。けれど、その幻想を抱いた事実には、何の瑕疵も無いはずなのです。

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2011.03.02

『毒吐姫と星の石』

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毒吐姫と星の石』(紅玉いづき/電撃文庫)

作者のデビュー作の続編にあたる作品ですが、物語は独立性が高いのでこの話だけでも大丈夫。物語は、悪態をつきながら生きてきたエルザが突然王女として剣の国レッドアークに嫁ぐことから始まります。・・・と書くと、なんかものすごい少女ドリームな話に思えることに気がつきました。貧民から王女になって王子と結婚するとか、どんな願望充足?とか思いますな。まあ、この作品はそういうベタなところから始まって、最終的には、・・・あれ?ベタに終わるな・・・。読み終えて、感想を書いてから初めて気がつく驚愕の事実(ほんとか?)。

しかし、物語はこれ以上はないというぐらいにベタながら、毒吐姫ことエルザには、異能めいたものが一切ないあたりがクレバーですね。毒吐姫とは言うものの本当に悪態をついているだけ。彼女の”毒”は別段に特殊な力と言うわけではなく、言ってみればただ外部に対する闘争の手段でしかないんですね。ただ、単なる闘争の手段と言うのがまさに重要なところなのだろうとも思います。なんの力も持たない彼女にとって、戦うためのあらゆる手段を最初から奪われています。そんな彼女が”抗う”ためには、それこそ言葉ぐらいしかなかった。彼女の”毒”は闘争への意思であり、生存を諦めないバイタリティでもあります。

ただ、それまでは”抗う”と言うため(だけ)に生きてきたに過ぎませんでした。何か目的があるとか、意味を見出すとか、そうした方向性を一切持たず、ただ目に映るものすべてを攻撃していたエルザが、レッドアークの王子クローディアスと出会うことでなんのために抗うのかと言う方向性、すなわち生きる意味を獲得していく話に繋がります。また、その方向性を与えるのがクローディアスであるというあたりは個人的にすごく良いと思います。彼は前作において、前作の主人公から”意味”を与えられた人物です。なんの役割も持てなかったと言う意味では今回のエルザと同じような立ち位置でしたね。まあ、エルザは与えられた役割を拒否して抗い続けていくというタイプなので、似ていながらも実は真逆の方向性ではあるんですが、違うからこそ与えられるものがある。すべてに噛み付く狂犬のようなエルザに、クローディアスは戦うことの意味を教えます。同時に、すべてを受け止めるクローディアスに、風穴をあける役割を、エルザは果たしていたようにも思います。そうして組み合った二人の関係から前作の物語を正しく継承していく。それによって、物語は”終わり”ではなく、その後も受け継がれていくのです。

その意味では、前作の物語がすでに歌になっているというのも、なかなかに興味深いところですね。彼らの物語は闇に葬られるのではなく、これからも語り継がれていくし、それによって受け継がれていくものもある。クローディアスとエルザの二人もまた、次の、どこかの誰かに受け継がれていく。そのようにして、世界に”正しいこと”が伝わっていけば良い。それが物語の役割であるし、個人的な祈りでもあると思うのです。

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買ったもの

1.『人造救世主   ギニー・ピッグス』 小林泰三 角川ホラー文庫
2.『円環少女 (13) 荒れ野の楽園』 長谷敏司 角川スニーカー文庫
3.『ひきこもりの彼女は神なのです。』 すえばしけん GA文庫
4.『チアチア』 光永康則 白泉社

買い漏らしがあったので。

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