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2011.02.04

『小さな魔女と空飛ぶ狐』

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小さな魔女と空飛ぶ狐』(南井大介/電撃文庫)

「暴力の本質とは好奇心である」と述べたドクター・フェイスマン(by.冲方丁『マルドゥックスクランブル』)の言を待つまでもなく、本来、好奇心とは暴力的なものである。自分の知らない何かを見たい、知りたいという衝動は、すなわち”対象への干渉”に他ならず、”干渉”を行うということは、当然対象に何がしかの影響を及ぼさずにはいられない。その影響の良し悪しは問題ではない。”好奇心”を抱いたことにより、その対象となったものに永続的な影響を与えてしまうことそのものを、フェイスマンは”暴力”と呼んだのだ。そして、好奇心とは暴力的であることを理解した上で、それでもなお人は歩みを進めなくてはならない。なぜなら、好奇心を失った時、人は生きる事をもやめてしまう事と同義なのだから。好奇心を暴力的であると自覚する事が、真の意味で生きるために必要なものなのだ。

突然ですけど、自分のこのエピソードが好きなんです。フェイスマンはマッドサイエンティストそのもので、あらゆる意味で”良識”とは縁のない人物ですが、彼は好奇心の残酷さを充分に認識し、その上で好奇心は人間に必要なものであると理解している。すごく倫理的ですよね。人間は残酷であり、残酷さの中からでも”正しいもの”は生まれてくるのだ、と言う祈りが込められていると感じます。

なんでこんなことを突然書き出したかと言うと、この『小さな魔女と空飛ぶ狐』こそ、まさにその”好奇心”をめぐる物語だと思うからです。人間は”知りたい”と言う純粋な感情で、いくらでも世界に残酷を振りまくことが出来る。しかし、その残酷さの中から、とても大切なものを生み出すことが出来る。少なくとも、そのように信じたい人々の祈りが根底にあるように思うのです。

ヒロインのアンナリーサは11才で最高学府を卒業した天才的な科学者であり、事実、次から次へと新しい発明を行って、大量破壊兵器を生み出していきます。効率的に、そして最小限の被害で戦争を終わらせようとする大義名分と、己の自由を勝ち取るためと言う目的はありますが、本質的にはアンナリーサは科学者であり、とにかく新しい発明をすることに喜びを見出すというマッドな性質を持ち、この物語はそんな彼女が敵国の天才科学者アジャンクールとの熾烈な兵器抗争によって繰り返される姿を、現場との軋轢などの描写を含め、時にコミカルに、時にハードに描いています。その描写はあまりにも倫理的には大量殺戮の兵器を作っていると言う事実に対してアンナリーサは無自覚なように見えますが、実際には科学者とはあらゆる犠牲を払ってでも人類の未来に貢献することが義務であり、そのためには悪魔になることさえも厭わないという考えを持っている事が本人の口から語られるています。ただ”それが意味すること”を正確には理解していませんでした。そう、それでも人は死んでいるのだということを。そして自分自身と、自分の大切な人が死に直面した時、初めて自分の行ってきたことの意味を理解することになります。死は、本当に恐ろしいものだということを。そして、自分は死を多くの人に撒き散らしてきたのだということを。先ほど、「暴力の本質とは好奇心である」と書きました。アンナリーサは、自分の好奇心によって、どれだけ多くの人々に決定的な影響を与えるのかと言うことを、初めて理解したのです。

ただ、それは彼女のそれまでの行動が誤っていたということは意味しません。繰り返しますが、そもそも好奇心とは暴力的なものだからです。何かを知りたい、未知を解き明かしたい、あることをやりたい。好奇心にはいろいろな形があって、それは対象を否応なしに傷つけるもの。これは遺憾ともしがたいことです。ただ、彼女の不幸は”天才”であったこと。”天才”であったがゆえに、彼女の好奇心はとてつもない範囲に影響をもたらしてしまったと言うこと。そして、彼女はそれを無視するには”普通”でありすぎてしまった。これがすべての不幸でした。彼女は自分の好奇心のもたらすものを恐れるようになり、自閉していくことになります。

さて、彼女一人ではそのままでは敵国の科学者アジャンクールのように正気を失う他なかったかもしれません(その意味では、正しくアンナリーサとアジャンクールは表裏一体の存在です)。しかし、彼女にはある人間がそばにいました。主人公であり、空軍のパイロットであるクラウゼ・シュナウファーです。彼は人殺しの業に長けながら、そのことに何の意味も見出せず、興味も持たないままに空を飛んでいました。それは自分が人殺しであると言うことへの嫌悪とともに、殺す相手に感情移入をしないための防壁でもありました。そんな彼がアンナリーサと出会い、彼女の無自覚さに苛立ちを覚えるのは当然であり、対立することもありました。彼にとって見ればアンナリーサは自分のしていることを何一つ分かっちゃいない箱入り娘のように見えたことでしょう。ただ、同時に自分の衝動に赴くままに行動するアンナリーサに対して、熱を失った自分の愚かさと言うものにも実感したのかもしれません。クラウゼはアンナリーサの活動を支えるようになります。アンナリーサもまた、自分のもたらしたものに恐怖した時、ようやくクラウゼの実感を理解するようになります。

お互いの存在を理解する。理解したいと思う。それもまた”好奇心”のなせる業。”知りたい”と思った時点で、相手に対する干渉となる。相手に対する影響を及ぼす。クラウゼがアンナリーゼを助けたいと思い、アンナリーゼがクラウゼを知りたいを思った時、その時点でお互いに対して、知らず知らずの内に影響を及ぼし変化を促していくことになります。それこそが好奇心と言うもののもう一つの姿であって、好奇心と言う暴力を、正しいものとして扱うことが出来ると言うこと。引いては人間の可能性を信じることに繋がるにではないか、と自分には思えるのです。

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