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2011.02.21

『不堕落なルイシュ(2)』

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不堕落なルイシュ(2)』(森田季節/MF文庫J)

って終わりかよ!と、呆気にとられてしましたました。世界を敵に回した主人公が、いかようにして、ヒロインを犠牲にしようとする”空気”に抗っていくのかを期待していたのだが、ついに最後まで妹に頼りっぱなしだったよ!?と言うか、”空気”に抗っているのは明らかにルイシュであって、主人公はひょっとしてただの狂言回しの役割だったのか・・・?そもそも、主人公は万能人間であることはすでに前提としてあって、あとは如何なる”中身”と言うか、意思を吹き込むかが問われると思ったのだけど、どうも森田先生はビルドゥンクスにまるで興味が無いみたいだ。どういうことかと言うと、そもそも主人公が強くなる必要なんてまったくなくて、世界に抗うのであれば、その意思を持つ人間を信頼して委ねることもまた取り得る手段であるとも取れると言うこと。そりゃまあ確かに英雄になる必要なんて無いんだけど、だからといって、妹に力の意義や覚悟を投げっぱなしにして、主人公はそれを回避してしまうのはどんなものなのか、思わずにはいられない。

ただ、そのように”英雄”として世界を支配してしまった男が”父親”であることを考えれば、そもそも世界は英雄を必要としてしていないのだ、と言う意図もあるのかもしれない。主人公の父親が世界になした事と言うのは、まあ実はあんまり語られてはいないんだけど、それでもこのような世界を生み出してしまったことの元凶の一人であることは間違いない(すべてではないと思うけど)。つまり、英雄とは幻想であって、幻想であることを忘れた時、英雄は多くの人々に災いを為すものになってしまう、と言うこと。そのことを決して忘れるな、幻想を幻想と知りつつ、それを支えて生きよ、と言うものなのかもしれない。そう考えるとえらくシビアな結末であるようにも思えます。

幻想と言えば、そもそも主人公は世界(”セカイ”かもしれない)を敵に回して守るべき個人的なモノを得ることで、与えられたルールに抗う事ができたわけだけど、守るべき個人的なモノというのが、そもそも世界に属するものだった、と言うのはなかなか皮肉が効いたオチだったね。正直、そこまで守るべき個人と、立ち向かうべき世界の対比が出来ていたようには思えないんだけど(あるいは作者の興味がそこには無いのかもしれないが・・・)、この点は実にセカイ系に対する皮肉として機能していて、あまりにもセカイ系的な作り方をしている物語が、実はセカイ系を否定しているところは良いところだと思います。アンチセカイ系の描き方と言うのは、世界の個人の間に置く社会を詳細にかつ複雑に描くことから始まると思っていたけど、個人の問題がそもそも世界と対立”しない”(対立しているように見えるのは本人の勘違い)と言う描き方もあるんだ、と言うのはコロンブスの卵のような驚きを感じました。そんなやり方もあるんだなーみたいな。

その意味では、なかなかにエッジが効いている作品であったように思います。まあ、今までの作品に比べると、ちょっと視点の着地点が当たり前かな、と言う気もするけど。かなり道徳的に正しい話だもんね。

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