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2011.01.05

『電波女と青春男(6)』

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電波女と青春男(6)』(入間人間/電撃文庫)

今作における電波女シリーズですが、どうやら成田良悟を思わせる多数の視点人物による交錯劇を志向しているようです。いわゆるフィクションにおける文化祭の異世界感と言うのはは定番の一つですが、この作品においても例外ではありません。同作者の他シリーズとのクロスオーバーを盛り込まれ、多数の登場人物が文化祭と言う”ハレ”の日を通じてのお祭り騒ぎに興じるハイテンションな話になっていますね。

ただ、こういう群像劇を行うにしては、あんまり作者がキャラに興味を持ってない感じが相変わらずでありますなあ。キャラクターが多く登場するわりには、そのキャラクターを魅力的に立てるつもりがまるで無いみたい。いやまあ入間先生自身はこれでキャラを立てているのかもしれないけど、正直、誰が誰なんだか良く分からないなー。基本、後ろ向きアッパーか後ろ向きダウナーしかいないしさ…。まあ、入間先生にキャラ立てを求めるのはとうに止めているので、別に問題ないと言えば問題ないです(じゃあ言うな)(いやそれでも言いたくなることがあるんだ)。ただ、群像劇的な書き方をされた時の読み難さは作品への愛が試されるレベルのような気がする。

あー、あと作品ついても少し書きます。どうやら今回はエリオの成長がテーマになっているようですね。今まで電波女として現実を拒否していたエリオが、ついに現実を受け入れることによって、社会に対してコミットしようと宣言をするところが今回の肝とでしょうね。幻想に生きていた(逃避していた)エリオが、ついに現実に生きる事を選んだ。作品の根幹を揺るがす重要な回であり、ターニングポイントになりかねないところでもあります。ついでに背景ではエリオットさんの本編登場や女々さんの活躍などがあり(女々さんの暗躍は恒例になりつつある)、いろいろと水面下でも物語も動いているところもあって、サービス回ではあるものの、物語は次の段階に向かう…かもしれない。青春女になろうとしても、そう簡単に現実の方が受け入れてくれるとは限らないし、またドロップアウトする可能性も充分にあるしなー。

と、なんでこんなひねくれた見方をしてしまうのかと言うと、要するにこれ「アウトサイダーとして社会から排斥されたがアウトサイダーとしての生き方を捨てることで社会のコミュニティに受け入れられる」と言う話なんですよね。えー分かりやすく言うと、引きこもりの社会復帰です。たぶん登校拒否とかもついています。作者がどこまで意識して書いているかは分かりませんけどね。ただ、引きこもりがある時、決意したからと言って社会復帰できるかと言うと、まあ難しい。大体、本人に引きこもらざるを得ない何かがあったから引きこもったのであって、社会復帰するのであれば、その”何か”を解決することが手順と言うものだと思うんですよ(まあ私見ですが)。ただ、このシリーズはそのあたりの問題を延々と棚上げし続けてして、結局、”エリオの問題”ってなんなんだか良く分からない。丹羽くんも、基本的に「現実はそんなに悪くないから幻想に引きこもらないで現実に出てこいよ」としか言わないので、これでエリオが青春女になろうとする、そしてなれるのかと言う事にさっぱり納得がいかないんですね。

と言うか、どうもこの作品は「アウトサイダーであること=悪」と言うような認識があるような気もしますね。このエリオが社会復帰しようとするのも、「社会復帰することが正しい」以上の理屈は感じられないし(ここは自分の曲解がある可能性は否定しません)。まあ社会側から見れば、その無謬性を揺るがすアウトサイダーは悪以外の何物でもないんですがね。ただ、社会がアウトサイダーは駄目だと言っているからって、それを鵜呑みにするのはどうよ、っつーか。

これは自分が、「現実を受け入れたから偉い」とはぜんぜん思わないためではあろうとは思います。いや、現実を受け入れた方が楽だとは思いますよ?現実、と言うか社会に適応出来るのではあればそれに越したことは無いです。社会と言うシステム(文明と言ってもいいかな)言うのは完璧ではないにしても、多くの人の幸福を追求しているわけだし、それに従った方が有利であることは間違いないです。ただまあ、それでもなんでアウトサイダーが生まれるのかと言えば、それに従えない何らかの要因があるわけで…。それを無視して無理矢理現実に適応させることが正しいとはぜんぜん思えないんだけど、なー…。

まあ入間先生的には、「アウトサイダー=悪、あるいはかわいそうな人」、そして「正しいこと=社会に適応すること」と言うのが大前提としてあるようで、それは今更指摘するところではないんでしょうけどね。ただ、個人的な意見としては「うっせバーカオレはお前らに仲良くしてくれなんて頼んでねーよ!」と言うところであることは明記しておきます。

エリオがアウトサイダーである理屈とそこから現実に適応していく過程を、もうちょっとはっきりさせてくれればここまでグダグダ言うつもりは無いんだけどなー。まあ入間先生の関心はそこにはないのでしょうね。別にいいんだけどさー。

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コメント

途中の巻までしか読んでない(読めない)者の視点ですが、その時点では「アウトサイダーにはそれなりの理由がある」として書いてたような気がします。どこかの哲学者ではありませんが、そういう叫びなのかと。
お婆ちゃんの友達に関するセリフや叔母さんのエリオに向ける視線や言葉の端々からそれは感じられたように思っていたので。なのでというか、むしろ自分はエリオにはエリオの事情があるという事を前提に、通り一遍ではない復帰の方法を模索する作品なのかなと思っていました。
主人公がヒロインを安易に「癒す」事ができない(していない)のは、そういうのも狙ってるのかなと。ハーレムっぽい展開は仕方ないとはいえ、だから蛇足だと感じることもありました(苦笑)。
ライトノベルである以上は判り易く、現代の倫理と常識に照らし合わせて社会存在の方に理屈を合わせるのが楽というか「大多数の読者に合う」と思うのですが、最新刊が紹介された内容だとすると、ちょっと方向性変わってきたのかなあと。
みーまーがこの閉塞感を取り上げて書いてた作品だと思っているので、あちらの最終巻がどんなオチを付けるかで結構自分内作者への評価が決まってきそうな気がしています。
あちらはヒロインが「そうならざるを得ない状況」を明示しているので、自助努力でどうにかなるようなものではないということをちゃんと書けると思いますし。

>キャラ
記号化を徹底することでテーマを描ける「元ネタ」な西尾先生とは逆のタイプですよね。
みーまーでも途中からラノベ的な描写はしたくないんだろうなーと。これが中間小説みたいな味を出してていいとは思うのですが、ラノベ的なウリを前に出していくこっちのシリーズだとこれが読み辛さに繋がっているようにも感じます。
というか、これが通して読めなくなった理由の一つなんですが(苦笑)。

投稿: 名無し | 2011.01.06 14:45

書いてからで申し訳ありません。
考えてみたら、ここ二巻ほど買っていなかったので、エリオの方に心境の変化があってもおかしくないんですよね(汗)。

一巻完結の話でヒロインに「外に出て来い、皆お前を支えるしそれが正しくてカッコいい事だから!」とかは論外でも、徐々に自分の中と対話して社会に触れ合っていく変化が描かれているなら、ライトノベルという続巻前提の媒体ではありかもしれません。
ただ、それはそれでどちらにしろ吉兆さんの感想と同じような印象を持ってしまうだろうな、とは思います。

お目汚し、失礼しました。
今年も参考にさせて頂きます。

投稿: | 2011.01.06 14:53

>「アウトサイダーにはそれなりの理由がある」として書いてたような気がします。

まあ確かにそうなんですけど、その理由については入間先生はあまり興味がなさそうです(あるいは自明すぎて説明するまでもないと思っているのかもしれません)。

ただ、そこから復帰(と言う言葉は、まるでアウトサイダーが悪だと言う感じになるので使いたくないんですが)するのであればそれを納得できるだけの材料が欲しい、と言う感じですね。

どうも自分にはそのあたりがいまいち読み取れません。

投稿: 吉兆 | 2011.01.09 23:25

アニメ化が決定したから……というのではなく、元々こっちは入間人間がラノベとしてのラノベを書こうとしているシリーズだと思っているのですが、そのせいか直球で扱う題材に切り込んで来ない印象があって、特にここ最近の巻は手が伸びていませんでした。
続巻を重ねるごとに背景となるストーリーの層が膨れ上がるので、それをした上で何かを見せようとしているのかなとは思っていますが、サイドストーリー(自分にとって)の部分が膨れ上がっていくばかりだったのが辛くて(苦笑)。

>理由
途中までしか読んでいない身では語るに落ちてしまうのですが、読んだ範囲でもそれは感じました。
理由が重要なのではなく、それがどう関係に変化を及ぼしていくのかの方を書いているように感じますし。

ただなんというか、主人公がヒロインを引っ張り上げて「やる」という構成ではあるのかもしれませんが、それでも、それはけして容易ではないし、痛みは伴うし、もしかしたら失敗するかもしれない、という経過を書いているのは、ラノベでは案外と珍しいんじゃないかなと思ってました。
この辺りを書くとラノベらしいテンプレな解決や展開から外れがちになると思っているのですが、みーまーとこれはそれが味なんだろうなと。

ご都合でも定型批判でも、納得できる理由があれば、というのは同感でして(それが好みでなくても)、なんというか、想像してた展開とは離れてきたかなと(苦笑)。
最初、マジョリティに協調することでの苦しさや、逆に、そこで損なわれる価値などを書いている作品は少し思い付かないのですが(ギャグではデトロイトメタルシティなんかが描いてましたが)、そういうところにも手を伸ばすのかと思ったりしていたので。というか、単に自分はそういう作品が読みたかったんだと思います(苦笑)。

みーまー最終巻がもう発売していたのを最新の記事で初めて知ったので、こちらと一緒に購入してきます。
お返事有難うございました。

投稿: 名無し | 2011.01.10 00:51

この記事読んだ感想は「うざっ!」でしたww後はこういう意見もあるのかと関心もしました。

投稿: | 2011.01.11 17:17

「うざっ」と思ってもらえたのなら書いた甲斐がありました(笑)。

投稿: 吉兆 | 2011.01.12 09:17

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