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2010.12.15

『粘膜人間』

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粘膜人間』(飴村行/角川ホラー文庫)

しかしまあ庵堂兄弟もそうだったけど、角川ホラー文庫と言うのは何でもありだなー、と改めて感じました。何しろ、角川ホラー文庫を久しぶりに読んでみたらなんだか単純にホラーとは言い難い、おかしな作品ばかりに突き当たってしまったので……。あるいはホラーと言うジャンル自体もまた拡散が始まっているのかかもしれないなあ。

と言うわけで(?)、この作品も順調にホラーではありません。じゃあ何かと言われると……なんだこれ?なんて言えばいいんだ?確かにグロテスクな描写は多々あるので、ホラーと言えばホラーなんだけど、別に恐い話じゃないしなー。どちらかと言えば、むしろファンタジック。狂った幻想と叙情が入り乱れる、ファンタジーとも言えます。

で、実は自分なりにはどういう作品なのかは理解しました。まあでも、たぶん間違っているんだろうな。でも書いちゃうと、これは”神話”だと思うんですよ。人間には理解出来ない神々の営みと勲しを描いていると言う点で。主人公の半神は、小学五年生にして身長195cm、体重を100キロを超える異形である雷太。この物語は、神話的英雄である雷太が、異界に迷い込み異形の怪物と戦うと言う物語であると思うのです。さらに言えば、平凡な彼の兄たち、利一と祐太は、彼の暴力に怯えるあまり彼の殺害を決意するわけですが、親兄弟から疎まれ憎まれるというのも神話の英雄ならば良くあることですね。それはむしろ雷太はただ存在するだけで、他者を破滅させるほどの存在であると言うことを意味しているわけです。まあ雷太自身も自分の暴力に悦に入っているので憎悪されるのも当然ではあるんですが、それも彼の”力”あってのこと。それゆえにからは現世から弾かれて、彼岸に迷い込むことになるのです。完全に行きて還りし物語とも言えますね。ただまあ、細部と言うか、イメージは相当に狂っていますが……。

あと、この作品が神話的であると感じるのは、異界がものすごく近くに存在していると感じられることです。裏山に分け入ればそこには異界があると言うレベルは、まだ日本人が神々と共にあった時代を思い起こさせます。野山に分け入ればそこには異界の神がいて、彼らは悪さを働いて、あるいは恵みを与えてくれたりするそんな世界です。実際にこの作品中には”河童”が出てくるんですが、彼らと普通に会話も出来てしまうという、異界感覚とでも言うんですか(いま勝手に考えました)、日常の連続の中に異界がするりと入り込んでいるような感覚を強く覚えました。このあたり凄まじい幻想性を感じましたね。この”河童”と言うのが、まさに気まぐれな異界の神そのものであり、知性的ではあるんですが、我々とは明らかに思考形態が異なる存在です。彼らを尊重し、付き合い方をわきまえていればそれほど危険はない存在ですが、利一と祐太は、彼らに雷太の殺害を依頼をしてしまうことから、異界と現世の垣根が崩れていくことになります。

そこから始まる雷太の物語は、完全に異界漂流譚と言えますね。異界に迷い込み記憶を失った彼は現世へ帰還するためにいくつかの試練を乗り越え、記憶を取り戻して現世へ帰還するまでを描いています。同時に、異界を現世に招いてしまったことから生じる恐怖もまた描かれていくことになります。異界の論理が現世を支配し、世界は少しづつ、あるいは一足飛びに狂っていくことになります。完全に砕け散り、異界と化した世界に帰還した雷太は、完全に発狂した世界で最後の戦いに望むことになる。この最後の戦いの描写は、なんとも荘厳であり、そしてどこまでも幻想的でさえあります。半神と見まごう異形である雷太と完全なる異形のハルマゲドン。まさに神話の世界の戦い。物語は何一つ確かな決着を見せずに終わりますが、永遠に続く神々の闘争をイメージさせるという点で自分にはまったく不満はありませんでした。

つまり、そこで”終わらないと言う神話は完結した”のだと、自分は思うのです。

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