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2010.12.14

『パラケルススの娘(10)』

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パラケルススの娘(10)』(五代ゆう/MF文庫J)

パラケルススの娘シリーズの完結編。開始当初は、それまで(物語的にも本の厚み的にも)スケールの大きな作品ばかり描いていた作者だけに、ライトノベルの長編シリーズ(書き下ろし一冊完結型)を書けるのかどうか不安に思うところがあったけど、無事、そして綺麗に完結してくれたことに喜びを禁じえない。良かった、良かった。

シリーズ全体を振り返ってみると、前半は、やはり作者もラノベの尺の問題に苦しめられていたような気がしないでもない。作者の手が勝手にスケールを膨張させていくのを、ギリギリのところで食い止めているような危うさを感じました(まあ、自分が作者のそういうところこそ好きなので、そういう展開を期待していたためだと言われればそれまでですが)。今思えば、序盤の数巻はプロローグ的な位置付けだったので、イメージの氾濫を抑え目にしていたのかな。確かに登場人物も出揃った「緋袴の巫女」あたりから、作者の端麗なイメージが乱舞するようになった気もするし。その意味ではきちんと計算されていたのかもしれませんね。

物語的な事を言うと、主人公の二人の取り扱いが興味深くありました。一応、主人公は遼太郎になると思いますが、一方でクリスティーナもまた主人公に当たりますよね。この物語は日本においては”能無し”として蔑まれていた遼太郎が、クリスティーナの下で自分を見つめなおしていくという導入になります。クリスティーナが庇護者となり、さまざまな事件に巻き込まれる遼太郎を守り、導くという形で始まりますが、物語が進むにつれて、遼太郎は庇護される対象ではなくなって行きます。大体、6巻あたりで遼太郎の成長は完成されていて、すでに精神面ではクリスティーナを凌駕するところまで到達してしまうんですね。逆に、登場当初はヒーロー的存在と思われたクリスティーナは、その脆さが明らかになります。否、実のところクリスティーナの未熟さ(と言うか未成熟さ)は物語の当初から存在していて、遼太郎に自分の愚かさの象徴としてみなしていた節もありましたが、遼太郎がクリスティーナのなし得なかったことを(無論、クリスティーナ自身の援助があってのことであれ)成し遂げる姿を見て、ある意味で嫉妬していた節もあります。二人の関係は完全に対等になっているわけです。

この時点で、遼太郎とクリスティーナは一般的なヒーローとヒロインの関係とは決定的に異なっていますね。遼太郎は、実は非常に正しい意味での”ライトノベルヒーロー”に当たりますが、クリスティーナは、いわば”ただ一人のためだけにヒーローでありたかった”人に当たります。さらに言えば、守ることに”失敗した”人でもあります。それゆえに、目の前の人間すべてを助けたいと願う遼太郎に対して、苛立ち、嫉妬します。そのくせ、彼の絶対的な挫折は見るに忍びなく(おそらく彼女自身を重ねてしまう)、つい手を貸してしまう。そして、”すべてを守ってしまう”遼太郎に敗北感(と言うほど深いものではなく、羨望に近いかな?)を抱き続けることになる。遼太郎は遼太郎で、”能無し”である自分とはまったく異なる、”真に力に溢れた魔術師”としてのクリスティーナに憧れを抱きつつ、しかし、力を持ちながら”正しきこと”のために力を振るわないクリスティーナに苛立ちを覚えます。しかし、実際の魔術師との対峙にはクリスティーナの力を借りなくてはならず、無力感を噛み締めることにもなるのです。

つまりこの二人は「ライバル」なんですね。お互いを嫌いながら、しかし、決定的に無視できない。心情的に対立しつつ、心のどこかで自分にはないものを羨んでもいる。そんな二人が、さまざまな事件を通じてお互いに”デレていく”と話とも読めます。最初は反発するだけだった二人が、さまざまな事件を通じて、実は相手に自分がもっていないものを見つける話になるわけです。ただ、デレると言っても、最終的にお互いの信条のすり合わせはほとんどなくて、それぞれに自分の正義を完全に構築しているところが「ライバル」たる由縁ですね(遼太郎については、クリスティーナの反発から自分の正義を構築していった感じもあるな…)。

あー、今思ったけど、二人の関係はライバルだけど、”相棒”でもあるのかもしれない。最初は保護者と被保護者の関係だったけど、遼太郎の成長と(この成長度合いはマジ半端ない)クリスティーナの傷(未熟と言い換えてもいいかもしれない)がつりあった結果、この最終巻でついに完全に対等になるわけです。お互いに考え方は違えども、と言うよりも反発するからこそ、二人の間には確かな信頼が生まれている。それは”依存”とはまったく異なるシビアなもので、お互いに譲れないものがあり、それは時として相容れないこともあるが、だからこそ”譲れないものがあると言うことは信じている”と言うか。「自分は自分の信じる道を行くから、お前もまっすぐに自分の道を行けよ!」とお互いを叱咤する関係となります。この二人は、ヒーローとしての道はまったく異なりますが、それゆえにお互いの道にかける信念は信頼している。この関係性はすげーカッコいいなあ、と思いました。

追記。つうか、クリスティーナが”男”だったら話は最初から分かりやすかったんだけどね…。まあこれはいいか。

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