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2010.10.10

『“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕』

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“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕』(高木敦史/角川スニーカー文庫)を読んだ。

どことなく米澤穂信を彷彿とさせる作風でした。一番近いのは小市民シリーズなんだけど、これはまあキャラクターの関係性が近いのでそう思っただけでしょうね。自分が米澤作品に近いなと思ったのは、登場人物たちの身の丈に合った出来事しか起こらないところ。主人公たちは、事件当時は小学生だったのだけど、小学生には小学生の世界があって、価値観があるんですよね。で、主人公たちにとある悲劇が降りかかるわけだけど、そこに小学生の世界から逸脱したものは出てこない。小学生ならば普通に出くわす可能性のあるものしか出てこない。その組み合わせが、神の如き偶然、あるいは必然、もしくは故意によって悲劇となったに過ぎないのです。つまり、彼らに降りかかった悲劇は紛れもなく惨事でありながら、同時にどこにでもありうる出来事でもあった。平凡な子供たちに降りかかる可能性があった出来事だった。そういうところが米澤作品に近しい感覚を感じました。

これは、おそらくミステリの範疇に入る作品だと思うんですが、その謎そのものが相当にややこしいものになっています。トリック自体はそれほど複雑ではないんですが、トリックが成立する条件と、その条件を解明するまでの心理的陥穽がものすごく分かり難く、読みながら何度も「えーと、今の主人公の心理はどうなっているんだっけ……」と悩みました。えっと、彼女は主人公が彼女を疑っていると思っている、と主人公が想像している……?で、その想像に対して対応しなければならない……?これはトリックでもなんでもないので書きますが、主人公は全身麻痺に陥っているので、コミュニケーションがまったく取れないんですね。事件を疑う”菜々子さん”の推理、疑いに対して、主人公自身もアプローチしていくのだけど、そこには決定的な断絶があるのです。その断絶をいかように埋めるか、と言うところがおそらくこの作品のポイントの一つなのでしょうね。

断絶の埋め方そのものはファンタジーでしたけど(映画かよ、って感じ)、ただ、そこに至るまでに主人公の”納得”があったからそれはそれで良い気もしました。そしてその後にもひっくり返される推理。ここの推理が繰り返されるところも、突飛で意外性だけを演出するどんでん返しのためのどんでん返しではなく、あくまでも”小学生の身の丈にあった”材料で構築されているところは良かったですね。最後まで作者の視点にはブレがありませんでした。

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