« 『“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕』 | トップページ | 買ったもの »

2010.10.13

『タイタンの妖女』

41nvxcrpbl__ss500_

タイタンの妖女』(カート・ヴォネガット・ジュニア/ハヤカワ文庫SF)を今頃になって読んだ。

大分前に新装版が出ていたのを購入して、ようやく読了した。気宇壮大かつバカバカしい展開に、これがワイドスクリーンバロックというものなのかしら、と思った(言ってみただけです)。とにかく全編を漂う牧歌的ともいえるバカバカしいユーモアのおかげで非常に読みやすく、リーダビリティさはさすが。

主人公のマラカイ・コンスタントは、ラムフォードによってなんだかとてつもない冒険に巻き込まれてしまうことになるのだけど、その冒険のほとんどの状況において積極的な意思を示すことが出来ないという悲惨な状況が続いていく。この主人公の意思決定権の無さについては、本当に酷いレベルなのだが、実はその主人公の状況こそが物語のテーマに繋がっているという展開はかっこよかった。ただ自由意志がほとんど介在しないといっても、地球から火星、土星の衛星タイタンまで続くコンスタントの冒険は波乱万丈と言うか奇想天外で、その過程で巻き起こる戦争やらなにやらが実に牧歌的かつ残酷なユーモアを持って描かれるので、実にスリリングである。なにがスリリングかって、主人公の出くわす試練や困難にはほとんどが茶番に過ぎないというあたりも、ブラックな、あまりにブラックなユーモア感覚と切実な恐怖が感じられる。つまり、人間には、あるいは人類には意志があるのか?あるとしたらその意味は?その答えは作中の最後に語られることになるのだが、この答えもまたあまりにも無常感に満ちたもの。残酷で無残なのだけど、どこか明るさをもまとった不思議なラスト。誰も救われてないのだけど(それこそラムフォードさえ!と言うか、未来と過去をすべて知っているゆえに悲劇を避けられないことを知っているラムフォードはある意味もっとも救われてない)、しかし、人間には自由意志などなにも”なく”とも、それでもそこに”幸福を見出すことは出来る”と言う、絶望と希望が交錯する不思議なエンディングには不思議な余韻がある。ヘンテコで荒唐無稽で奇想天外な茶番劇の後には、確かに人間の幸福があった、のかもしれない。めでたしめでたし、で済ませるには苦いけれども。

|

« 『“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕』 | トップページ | 買ったもの »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29313/49686855

この記事へのトラックバック一覧です: 『タイタンの妖女』:

« 『“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕』 | トップページ | 買ったもの »