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2010.10.07

『ヴァルプルギスの後悔〈Fire3.〉』

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ヴァルプルギスの後悔〈Fire3.〉』(上遠野浩平/電撃文庫)を読んだ。

今回、改めて思ったのですが、このシリーズは”強者”のための物語なのですね。と言ってもいきなりで意味不明だと思うのでもうちょっと補足しますけど、上遠野浩平は、ブギーポップシリーズにて、ひたすら弱者のための物語を描いてきた、と言うのが自分の認識なのです(異論は認めます)。ブギーポップにおいては、物語の中心になるものは、多くが弱者、あるいは敗北者でありました。世界において、虐げられ、打ち捨てられ、遺棄された。そんな存在が、”己を否定した世界を弾劾し復讐しようとする”ものこそが、ブギーポップにおける”世界の敵”であると自分は考えています。

”世界の敵”とは、すなわち敗北者。『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木先生は言いました。「本当に恐ろしいのは、弱さを攻撃に変えた者なのだ」と。弱いからこそ、復讐を企てる。虐げられたからこそ、周囲を攻撃する。あらゆる登場人物たちの中で最も惨めで弱い存在こそが、ブギーポップにおける”世界の敵”なのです。そして、物語は、その弱者を中心に、さまざまな人々が抱える闇と共鳴しあいながら紡がれていくことになります。ブギーポップと言う作品が(自分を含めて)多くの人間に支持されたのも、おそらくこのあたりが無関係ではないでしょう。人間は誰しもが弱さを抱えており、”弱さに対する共感”はこの世で最も普遍的な感情であると自分は思います。読者は”世界の敵”の中に、自分の抱える弱さを見て、共感を覚えるのだと思います。

翻ってこのシリーズには、ブギーポップは登場しません。チラッと顔見せぐらいはしたような気もしますが、基本的に物語には関わってきません。なぜかと言えば、この物語には”世界の敵”すなわち”弱者がいない”からです(この解釈はあくまでも物語的な解釈です。作品上の理由とは異なっているとは思います)。”己の弱さを攻撃に変えて周囲を傷つける”人間はいないのです。それでは中心にいるのは何者か?それは勿論、強者です。正確に言えば”霧間凪”です。

霧間凪は、圧倒的に強い。社会を、世界を、運命さえにも怯まず、雄々しく、立ち向かう。そこには、弱者の持つ自己憐憫、自己陶酔は欠片もなく、ただひたすらに自分の信念を貫く強さがある。魔女たちもまた強者であり、その力のみで言えば、運命さえも操る魔女たちに敵うものなどあるはずもない。しかし、凪は敵するものが運命であろうとも、一瞬たりとも怯まず、例え動くことが出来ない状況に追い詰められていても、諦めることを知らない。本来ならば魔女たちに敵することさえも出来ないはずの凪が堂々と立ち向かっていることを考えれば、ある意味において魔女にも勝る強者であると言えるでしょう。

強者は、己の意思を通すのに、他者を攻撃する必要はありません。なぜなら、強者は己の意思を通すのに、己の意思以外のものは何一つ他者から借りる必要がないからです。力も、他者を傷つける刃さえも。ただ、己の意思と力でもって、世界と対峙する。それが霧間凪のスタンス。能力者でもなんでもない、この巻に至ってはずっと寝たきりで、綾に首を絞められても抵抗することさえも出来ない、それでも変えることのない凪のスタンス。

そこには、弱さに対する共感はありません。人間は、弱さを持たない人間はいませんが、強くはあれない人間はいるからです。そこには誰もが共感できる、今までの上遠野浩平作品とは、明らかに異質です。しかし。だが、しかし。共感は出来なくても、そこには憧れがある。強くあることへの憧れがある。人は誰もが強くはあれない。ただし、強くありたいと願うことは出来る。強さに近づこうと努力することは出来るのだ、と自分は思うのです。

弱さに共感するのではなく、強さを願うこと。それもまた、人間の普遍的な感情の一つと言ってもよいのでしょう。”強さ”の物語であるこのシリーズが、果たして”弱さ”の物語であるブギーポップとどのようなリンクをしていくことになるのか。期待します。

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