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2010.05.04

『烈風の騎士姫(2)』

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烈風の騎士姫(2)』(ヤマグチノボル/MF文庫J)を読んだ。

超王道な騎士物語の古典、と言うか三銃士を現代ラノベナイズするとこうなるという見本ですね。古い酒を新しい袋に、という感じ。そしてそれはまったく悪いことではなく、むしろ古典的な物語を現代に蘇らせたという意味で、ヤマグチノボルの志は高い。古典作品は実は無類に面白い作品が山ほどあるのに、それを読まないでいるのは勿体無いことこの上ないと常々思っているので、ヤマグチノボルが古典的な物語の面白さに着目してくれたのはとても嬉しいことだ。世間一般においてはヤマグチノボルといえば美少女ラブコメ小説ばかり書いているという印象だが、きちんと物語の面白さと言うものに拘っている作家でもあるという認識を新たなものにした(まあ売れているからこそいろいろ実験的なことも出来るのだろうけど)(もちろんネタに困って古典からネタを持ってきただけと言う可能性もあるが、別にそれはそれでも良い)。

古典古典と連呼してしまったが、それに違わず物語は超王道。悪い言い方をするとベタである。自分の過失によって死んでしまった恋人が目の前に現れ苦悩するサンドリオン、自分の未熟さに歯噛みしながらも持ち前の勇敢さ(無謀さ)で陰謀に立ち向かうカリンの物語は実に王道であるし、ありがちと言えなくも無い。だけど、それは物語の面白さにはなんの瑕疵にはなっていないと自分は思う。サンドリオンの苦悩はファンタジー的な描写ではあるが、非常に普遍的な苦悩であって、人々の共感を得られるであろうし、カリンのように未熟さに苛立ち、無謀な行為で失敗をしてしまうことも多くの人が経験していることであろう。つまり、”王道”とは”ベタ”とは、言い換えれば”極めて普遍的な真実”であると言うことが出来る。誰もが通り過ぎる物語であり、誰もが経験する真実なのだ。誰もが経験するからこそ、それは王道と呼ばれ、ときに陳腐とさえ言われることもある。しかし、たとえいかに陳腐と言われようとも、その普遍性はだれにも否定することの出来ないものであることもまた、事実であろう。

これは自分の妄想としか言えないものであるが、ヤマグチノボルはあえてベタを志向しているように思う。ゼロの使い魔は世界が広がりすぎて半ば群像劇的な要素を持ち始めた大河ロマンの様相を呈してきているが、烈風の騎士姫においては、もっと小さく、個人的で、現代人とは異なるメンタリティを持つ異世界の、しかし共感の持てるキャラクター(ここが現代ナイズされている部分)が活躍する冒険物語を描こうとしているのではないか。最初にも書いたが、無類の面白さを誇るデュマの精神を現代に蘇らせようとしているのではないか、と思うのである。

この作品を読んで面白かったと思った人は、是非古典にも触れていただきたい。アレクサンドル・デュマは、とても面白いですよ。

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