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2010.05.08

『スノウピー(1) スノウピー、見つめる』

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スノウピー(1) スノウピー、見つめる』(山田有/富士見ファンタジア文庫)を読んだ。

とても可愛らしい作品で、自分はわりと好き。文章表現に面白いセンスがあって、冒頭から「ポッキーチョコレートのようにまっすぐ前に進むしかない」みたいな表現があって、面白いなあ、と。強い決意のわりにすぐ折れそうなふわふわした感覚。愛らしいとさえ言える文章です。この文章表現のセンスは、ライトノベルと言うよりも児童文学的であり、さらに言えば子供の頃に読んだジュブナイルファンタジーを思わせる。

そして物語もまたとてもとても愛おしいタイプの物語であった。人間関係に不器用で、人の心を推し量ることの苦手な少年がいる。彼は上手く誰かと交流することが出来ない。なぜなら、彼は生まれつき不思議な出来事に巻き込まれやすい体質の持ち主であり、生まれながらにして他の人間とは違う世界を見ながら生きている。それゆえ彼は生まれてこの方”自分にとって紛れも無い現実を他人に理解してもらえない”と言う経験ばかり積んできてしまったからだ。最初から人の心が理解出来ないから人とは違うものを見てしまったのか、あるいは人とは違うものを見ていたから人の心が理解出来なくなったのか。それは実は正しい問いではない。人の心などは最初から分からないものなのである。なので、必要なのは”成功体験”による”共同幻想”に他ならない。誰かと同じ現実を見ているということ、それは錯覚である。人は誰しも別の現実を生きている。ただ、それが同じものであるという”錯覚”をしているに過ぎない。それを支えているのは、幼いときからの”成功体験”、すなわち”肯定されること”である。過去、自分の現実を肯定されているからこそ、現在の現実もまた肯定されるという認識を得ることが出来るのだ。

ならば、生まれてから”自分の現実を否定され続けた”としたら?現実を共有するという”錯覚”を肯定されることがなかったとしたら?それこそが妖精の眼(グラムサイト)の持ち主の悲劇である。他者と同じ現実を見ることが出来るという、”自信”と”自覚”が育まれることはない。それゆえに誰かのやる事を同じように出来ない。誰かの感じるように物事を感じられないのだ。

そういう人間に充分ではないのは、つまるところ”自己を肯定する”と言う体験であり、そしてこの主人公に足りないのもまたそれなのである。主人公は自分の空気の読めなさっぷりにほとほと愛想が尽き果てており、もはや諦めの境地に達しているものの、それでも失敗が堪えないというわけではない。むしろ失敗するたびに、自己の否定感を深めていく。ただし、これは間違えてはならないところだが、そこには己の実存に対する大袈裟な葛藤とか、苦しみとかがあるわけではない。ただ、「ああ、またか」と思うだけだ。「また伝わらなかったのか」と思うだけなのだ。つまりこれは苦しみではなく、”絶望”の問題なのである。それはまさに軽薄な絶望(穿った見方をすれば絶望とはすべからく軽薄であり素っ気無いものであると言える)。

なので結論を言うと、この作品は”絶望”についての物語であり、”絶望”を乗り越える物語なのである。自己肯定感を欠いている主人公が、己の自己否定の呪縛から一歩前に踏み出すのだ。そんな主人公を導くのが、主人公よりもさらに他者との関係から外れている”スノウピー”。スノウピーは、そもそもが他者と交流することのない、”孤”の存在であるらしい。そんな彼女は主人公にとっては初めて自分の現実を肯定してくれる存在なのであるが、同時に他者でもある。他者との関係には摩擦があり軋轢が存在するが、その摩擦の存在こそが交流の証。主人公はこれまでぶつかり合うことさえ出来なかったのだから。

しかし、ここで終わらせなかった点を自分は評価したいと思う。すなわち異界の住人であるスノウピーによって主人公の自己肯定が満たされてしまうのは、いささか危ういものを孕んでいると思うのだ。スノウピーによって肯定感を満たしてしまうのは、他者との現実を共有しているという”錯覚”から抜け出すものではなく、むしろ”錯覚”を助長する。ただ、他の現実と共有できなかったから自分にとって都合の良い現実を選んだに過ぎない。そこで重要になるのが可香谷さんである。彼女は主人公とは延々とすれ違い、最後まで二人の関係は噛み合うことはなかった。そのことによって事態を悪化させることもあった。お互いの現実を共有するということに対して”肯定”を得ることが出来なかった。それでも、スノウピーの存在がテコになり、”お互いが現実を共有することはなくとも、それでも一緒にいることは出来る”と言うことを、”物語”を通じて見出した結末は、見事な落としどころだったように思うのである。

それは異世界を描きながらも夢想を語らず、正しく冷酷な真実を受け入れながらも希望を紡いでいくという点で、まさしく正しき意味で”ファンタジー”そのものと言えよう。

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