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2010.04.13

『千里伝 五嶽真形図』

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千里伝 五嶽真形図』(仁木英之/講談社)を読んだ。

『僕僕先生』シリーズの作者による中華ファンタジー。一応実在の人物である弓の名手、高千里を主人公にした英雄物語らしいが、まああまり歴史的事実は重要視されていないようなのでファンタジーとして読んでとくに問題はなさそうだ。3人の主人公がそれぞれに数奇な運命を背負い旅立ち運命に向き合うという話ではあるが、全体的におとぎばなし的なゆるさがあって、悪くないのではないかなあ。旅の仲間が集い、彼らを導く魔法使いがいて、と言う話になると本当にファンタジーの王道と言う感じ。もっとも敵対する相手が悪ではなく、勢力争いに敗れた単なる異人種であるというあたりは現代的とも言えるけど。

ただ、ちょっと問題があるとすれば、現代性を意識しすぎて、ファンタジーとしての強度がちょいと落ちてしまっている感じがないでもないことかしら。えーと、ラノベっぽい、と言い換えられなくもないのだが、全体的にキャラクター小説的なところもあったりする(挿絵のあるところとかね)。その一方でわりと本格的な中華ファンタジーをやっていたりもして、なんか、こう、バランスが悪いなあと思うのでした。

たぶん致命的なのが現代性の発露としての”悪の不在”の問題ですよね。物語の構造としては完全に王道(それも西洋的な)ファンタジーであるのに、作品の構造的に悪が存在しない作品になっている。それは作者の誠実さの表れでもあるけど、同時に主人公が”悪の不在”を受け入れる過程にさっぱり納得がいかないという問題も出てきてしまっている。

主人公もまた読者の共感を拒否する自己中心的な人物であるのがまた難しいところで(でも個人的に感情移入なんてクソ食らえだと思っていて、感情移入するドラマが見たければ連ドラでも観てろと言いたいが)。主人公のこの造型は、逆説的に”悪の不在”を強調しており、主人公がなんだかんだとワガママを言ったり他者に対する時、ほとんどがただの偏見であったり狭量なだけであったりする。それが、最終的に”敵”さえも”悪”ではないのだ、と言うところに繋がっていくと言うことを指し示しているということは理解できるのだが…。問題は、主人公が旅の途中でその偏見や狭量を払拭できているような気がしないことなんですよね…。結局、主人公はクライマックスの直前まで仲間に対してさえ己の権力を振りかざしていたし、異民族であるバソンに対しては偏見むき出しである。ほとんど最後の最後までそうなのだ。作者としては会話の細かい機微の中に千里の心の変化を描写したつもりなのかもしれないけど、どうも自分には上手く読み取れなかった。

それゆえに、クライマックスで、”敵”さえも”悪”ではなく同じ人間に過ぎないのだ、と言う千里の悟りが、すごく弱く感じてしまう。え?それだけで思いなおしちゃうの?と思ってしまうのだ。どう考えても、お前、バソンに謝罪するのが先じゃね?とか思ってしまった時点で、千里の心の移り変わりについていけなくなってしまったのよねえ…。

まあよくよく思いなおしてみれば、途中で千里とバソンはわりあい仲良く喧嘩しているようでもあったし、伏線が皆無と言うわけでもないので、このあたりで作者を責めるのは筋違いかもしれない(自分が読み取れてなかったわけだから)。まあ、作者の軽妙な語り口が、するする読める文章が、逆に印象を弱めてしまったと言えなくもないのかなあ…(と、結局作者のせいにしたりする)。

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