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2010.04.07

『電波女と青春男(4)』

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電波女と青春男(4)』(入間人間/電撃文庫)を読んだ。

まあなんと言うか入間人間らしい作品だなあ、と。何しろ(最後のエピソードの除いて)基本的にこれ挫折の話なんですよね。本編にたどり着く前の主要メンバー四人が、過去、いかなる挫折を経たかと言う話を延々とやっている。なんとなく語り口が爽やかと言うか、まるでいい話を書いているように見えるので騙されかねないけど、基本的に全員最初に目的としていたことを誰一人達成できていないもの。普通であることを拒否しようとしていたリュウシさんは現実に帰還してしまったし、異端であることにコンプレックスを抱いていた前川さんは、それを吹っ切ることは出来ません。エリオは…どうなのかな?そもそもエリオ編はいまいち何が言いたいのか分からんのだが、まあ宇宙に憧れていた彼女の行く末は結局本編に至ってしまうわけだし、真は結局恋をすることが出来たはずの相手と、恋をできないうちから別れを経験してしまった。もっとも、達成できていないから不幸だとか言うつもりは無くて、むしろこれらは前向きな意味で、それまでずるずると引きずってしまっていた心残りを断ち切る物語であるとも言える。言えるのだが、やっぱりこれは挫折の話なんですよ。人生に対して”諦める”、言うなれば”何者かになれない自分を受け入れる”と言うことですね。これを上手い具合に経験しておかないと、いわゆるDQNと言う奴になってしまうので、僕は若いうちに挫折を味わっておくべき派の人間として実に正しい物語だと思いました(まあ他人事だから簡単に言えるけど自分のことならそんなに冷静にはなれねーけどな)。もっともねー。この手の諦めと言うのは、自分の人生を見切ってしまうことにも繋がるので、そこんところの力加減が難しいよね。自分が何者にもなれないということを自覚した上で、さてどうするのか。そのあたりは本編でやっている話なわけで、ああ作者は実に青春物語について自覚的であるなあ、と思いました。

あ、最後のエロ本の話は大変面白かったです。エロ本に対するあくなき情熱を発揮する真くんは男らしいなあ。

以下雑記。

まあ入間人間作品においてはいつものことではあるんですが、相変わらずの文章の韜晦ぶりには実にイライラさせられました。なんつーのか、読み手としては自明であり当たり前なことを、延々と遠まわしに迂遠に回りくどく語るので、「んなことはわかってんだよ!だからなんなんだよ!」と言う思いが沸いてくることを抑えられないのです。まあこのように迂遠な言い方をすることによって、まっすぐに物事を語れない(語りたくない)層に届いているという可能性もあるので、一概には否定できないのだけど。いま思えば、上遠野浩平なんて、ものすごく迂遠なやり方で物語を紡いでいたよね。つーか、今もだけど。文体でのいじり方は少ないものの、語っていることはものすごく平凡な問題を、ものすごく大仰な舞台装置で語っている。まあセカイ系とはそういうものだという言い方も出来るけど、そのように語ってくれたことで、少なくとも自分には”届いた”。当たり前で、平凡なことを、大仰に語ってくれたことで、その当たり前のことを受け入れることが出来たのだ。そう考えると、おそらく入間人間の文体が必要とされるところがあるのだろうと想像できるので、やはりこれでいいのかもしれない、と思うのだった。このようにしか世界に届かない場所もあるんだ。まあそれだけの話で、別にオチはない。

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コメント

四巻これ、短編集(?)だったんですね。
こちらはまだ未購入でした。

最近はみーまーの文体にも慣れて、違和感を感じなくなってしまったのですが(笑)、韜晦を常に含んだ文章(文体)のことでしょうか。
「嘘だけど」は可読性を崩しがちなのとやや西尾維新の影響が強すぎるなという点では気になるのですが、あれはああいうものなのかなあと。これが西尾維新の戯言シリーズだと自分の本音と世界との断絶を「戯言だけどね」で切り捨てていましたが、村上春樹の「やれやれ」の系譜として、ああいうのは機能しているのかなと思っていました。

このシリーズの場合、みーまーよりはオーソドックスな文章を書こうとしているようにも見受けられたのですが、一つのセンテンスの中に主人公や登場人物の視点を通して語られる「余所見」的な文章が、韜晦に繋がる傾向にあるような感じなのでしょうか(手元になくて確認できないのですが、二巻だと主人公が売られていく菓子の会話を想像する場面などがあって、あれなどが顕著だったかなと思いましたが)。
実は上遠野浩平作品は講談社のミステリとナイトウォッチ三部作くらいしか読んだことがなくて、ああ、ブギーポップはそうしたアプローチだったのかなと思いまして。ナイトウォッチを読んだ限り、なんとなく想像できてしまう面もありますが。

このシリーズに限らず詰め込みがちな文体ですが、一々登場人物に世界との齟齬を語らせるのが、「上遠野的」な要素なのかなと。
今度、ブギーポップシリーズも集めてみようと思います。

投稿: | 2010.04.08 15:36

この巻だとリュウシさんパートはストレスで死ぬかと思いました。ものすごく単純なことを迂遠に表現し続けるので、困るんですよね。まあ真面目に向き合えないシャイな部分を表現しているのだと思いますが、まあ面倒くさい子だなあ、と。

今、ふと気がつきましたが、入間人間が自作クロスオーバーしまくっているのは上遠野浩平の影響のような気がしてきました。上遠野浩平もまた自作をクロスオーバーしまくっているので(と言うより、上遠野浩平の書く作品はすべて同一世界と言う設定)。

投稿: 吉兆 | 2010.04.09 01:09

>ストレス
もしかして、リュウシさんパートというと宇宙人(?)のいる場所に乗り込むような話でしたでしょうか。男の子と知り合って。電撃HPかなにかをふと読んだ時に見た短編かなと思いました。だとしたら、詳細は憶えてはいませんが、確かに言いたいことがあっちこっちにぶれるので、読み辛いことこの上なかった気はします(苦笑)
手元になくて今は確認できませんが、あれにしろ、視点人物が物語を進める上で重要な描写より、脇に目線を振りまくるので、それが韜晦の度合いを加速させているような感じも受けました(その書き方自体が韜晦的な文体にしているような気がしますけど)。

これを買うより先に、今回はブギーポップを集めてきました(笑)。というか、こちらは買い漏らしです(苦笑)。
ブギーは評判のいい作品から読んでみましたが、所謂現在の異能者モノとは違って、あくまで描いてるのは青春物語であることが特異ですね。バトルそのものにはそれほど比重を置いている感もありませんし。

クロスオーバーについては、なんとなくですが伊坂幸太郎を意識しているのかと思っていました。このシリーズ、みーまーの一部には伊坂幸太郎の構成を意図したような作品があるのと、伊坂幸太郎も作品間クロスオーバーを人物主体で行う傾向があったので。

禁書のまとめもですが、これからも楽しみにしております。
お返事ありがとうございました。

投稿: | 2010.04.10 11:53

>視点がぶれるあたり

だいたいそんなあたりです。まああれはあれで面白いと思う人がいるかもしれないんですけどね。

投稿: 吉兆 | 2010.04.12 23:43

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