『いつか、勇者だった少年』
『いつか、勇者だった少年』(秋口ぎくる/朝日ノベルズ)を読んだ。
自分がここ数年読んだ作品の中で、トップクラスに不愉快な作品でした。つまらなかったとか、上手い下手の話をしているのではなく、とにかく”不愉快”であり”不快”であり”生理的嫌悪”を呼び覚まされました。これは皮肉でもなんでもなく、これほどまでに自分のリアルな感情を刺激したという意味では、数年に1冊出るかどうかの怪作と言える。いっそ、傑作といってしまってもいいかもしれないですねー。繰り返すけれども、これは皮肉ではありません。ここまで、”幻想を愛し、現実を憎み、妄想の中の全能感に酔いしれ、ナルシズムに耽溺することのおぞましさ”を描きぬいている作品は、僕はここ数年レベルで読んだことがなく、ある意味において傑作といわざるを得ない。
この作品にはあらゆるフィクションやファンタジーと、それを愛好する人々に対する悪意に満ちています。あくまでも私見ですが、フィクションと言うものの本来あるべき姿は、現実に対する杖であり、現実を生きるためにこそ必要とされるものだと僕は思います。現実ではどうにもならないものを、ファンタジーという形で受け入れることで、現実を生きる支えとする。しかし、それがファンタジーの持つ正の側面であるとするならば、勿論、負の側面もありえることになります。それは現実に対する拒否としてのファンタジー。逃亡のためのフィクション。ファンタジーに耽溺することは、ある意味においては、現実と言う自分の思いのままにならない理不尽な世界から顔を背ける行為に等しいのです。勿論、これもまたある一面に過ぎません。しかし、そのようにファンタジーを”悪用”しているケースと言うのは、間違いなく存在している。それもごく当たり前に。例えばゲームや漫画を読んでそこに自分自身を投影し、自分の分身の活躍に酔いしれることなんて普通にあるでしょう?そこには”嫌なことから目を背け、己のエゴを満たすためのだけのファンタジーであるわけです。これは自戒ですね。それを否定するつもりはまったく無いですけど(僕もまた、現実で上手くいかないとき、ファンタジーを初めとするフィクションに逃避して、自己に閉じこもってしまうことがあります)、これはファンタジーの持つ暗黒面であり、物語を愛する人間ならば、決して否定することの出来ない問題であると言えます。適度ならば逃げ場として機能しますが、度が過ぎれば己の中のファンタジーにのみ耽溺し、外部を拒否し、己のナルシズムの中だけで享楽にふける。その時、ファンタジーは紛れも無い”麻薬”として機能することになるのです。
この作品は、まさにファンタジーのダークフォースを描いた作品と言えるのでしょうね。正確には、ファンタジーの暗黒面に堕ちた少年が主人公となる。彼は非日常を愛し、日常を嫌悪している。過去、異世界に召喚されたと言う非日常的な体験をしており、その後、使命を果たして現実に帰還した後も、あくまでも非日常の世界こそが自分の生きる世界であると信じている。だが、それだけならば、別におかしなことではないと思います。ここではないどこかへの憧れ。それはこの世に生きることが困難な人々が、だれもが救いを求めてすがるものですからね。そうした人々の苦しみの受け皿として、ファンタジーは確かに機能してきたと言えます。現実だけでも、ファンタジーだけでも、世界はバランスは取れない。現実を生きるためにファンタジーを必要とし、ファンタジーが存在するためには現実が存在していなくてはならない。そのバランスが重要なことなのだと思います。
だが、彼は違う。この主人公は違う。なぜなら、彼は異世界に対する憧れは実は無い。現実において、なにか苦しみを感じているとか、違和感を覚えるとか、そういうものはなにもない。生きることに苦しんでいるわけでもない。ここではないどこかへ行きたいとも思っていない。ただ、”異世界ならばもっとスリルのある、楽しい人生が送れるだろう”と思っているだけなのです。言うなれば、ただ面白いゲームをプレイするときのような期待感しか、彼は異世界に持っていない。自分を気持ちよくしてくれる非日常。それこそが彼が求めているもの。それゆえに、彼は自分を不快にする存在を許さない。なぜなら、非日常、すなわちファンタジーは、”自分を楽しませるために存在する”と考えている、否、認識しているからだ。
すなわち、本質的に、彼にとっては非日常であることは重要ではない。彼はただ、”自分が楽しむことの出来る世界”が欲しいだけ。「自分にとって万事都合が良く」、「自分を全肯定してくれ」、「己のエゴを受け止めてくれる」世界。それをただ望んでおり、そしてその世界を望むことに何一つ罪悪感を感じることも、後ろめたさを感じることも無い。そのおぞましさ、醜さに対して、この主人公はあまりにも無自覚です。この無邪気さ、楽観的な態度、それこそを、自分は憎悪する。この主人公は、己の行動がどれほど醜く、おぞましいことなのか、それすら理解していないのです。そんな主人公が、己の快楽のためだけにファンタジーを求めて行動する。この展開は、ファンタジーを愛する一人の人間として、まことに憎悪すべきものとしか言えない。このようなファンタジーを扱う人間が存在することに対して、自分は苛立ちをこの主人公に向けざるを得ないのです。
秋口ぎぐる氏の作品には、常に、この傾向がある。すなわち、現実逃避としての、現実拒否の手段としてのファンタジー。その点について作者の作品を読むたびに苛立ちを感じないでもない。おそらく、作者とは”ファンタジーの在り方”について、絶対に相容れないということを、読むたびに実感するのですね。ならば読まなければいいだろうという意見もあると思いますけど、逆に、ここまで自分の意見と正反対の物語を描いていると、次に何を書くのか、気にしないではいられないのです。恐い物見たさ、と言うのもあると思いますが…。
この作品については、本当に心の底からおぞましいと思う作品だと思います。そして、その点はおそらく作者も意識して描いているのだと思います。ファンタジーの無力さ、身勝手さを意識的に描いており、作者の意図をきちんと反映させた優れた作品であるのだと思います。個人的には怒りさえ覚える作品ですが、その意味では非常に完成された作品であるということは認めないわけにはいかないと思います。
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コメント
はじめまして、ふと立ち寄り日記を垣間見せていただいたのでコメントを残しておきます。
正直言って自分の嫌いなジャンルを読めるとかすごいですね。
自分は生理的に受け付けないと思ったら買ってしまっても途中でやめてしまうので。
投稿: わふー(和風)好き | 2010.03.28 21:57
一番読むのがつらいのは、面白いともつまらないとも思えない作品なんですよ。この作品は、強烈に拒否感を感じましたけど、その拒否感に引っ張られるように読めました。好きも嫌いも紙一重と言う感じです。
投稿: 吉兆 | 2010.03.29 00:14
こんにちは。いつも読ませていただいています。
今回この記事を読んで逆に興味がわいたので、積読状態だった「いつか、勇者だった少年」を読みました。
自分のブログでそのレビュー(?)を書いたのですが、その際にこちらの文章をずいぶんと使わせていただいたのでご連絡させてもらいます。
もし気が向いて読まれたりしたさいに不快におもわれるところなどがあれば、対処していきたいので、気軽にお声をおかけください。
ずいぶんと硬い文章ですみません(笑)
ではこれからも楽しんで読ませていただきます。
追記
それにしてもこの作者はどこの層を対象にこの小説を書いたんでしょうね?個人的にはもう少し続きが読んでみたいと思っているので、すこしは売れてくれるといいな、と思っているのですが。
投稿: てれびん | 2010.03.29 04:29
こんにちは。いつもありがとうございます。
引用については、どうぞどうぞ、好きなように使ってください。自分の偏った意見ですが、叩いて伸ばしてもらえればむしろありがたい限りです。
>それにしてもこの作者はどこの層を対象にこの小説を書いたんでしょうね?
おそらく、この作品に対して共感する層といのがいるんでしょう。ただそういう人がこの本を読のかどうか…。
かなり突き抜けた作品なので、作者がどこまで行けるのか観たいような気持ちは確かにありますね。同じくらいに観たくない気持ちもありますが。
投稿: 吉兆 | 2010.03.29 21:16