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2010.03.05

『B.A.D. (1) 繭墨は今日もチョコレートを食べる』

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B.A.D. (1) 繭墨は今日もチョコレートを食べる』(綾里けいし/ファミ通文庫)を読んだ。

奈須きのこの登場以降、多くのフォロワーが生まれてきたわけだけど、その多くは奈須きのこの独特な言語センスや偏執的な世界観設定に偏っていたように思うのだが、ついにその”伝奇的部分”を継承する作品が登場したのかもしれない、と感じた。とりわけ、伝奇的な部分の、理屈部分に極めて奈須きのこの、もっと言えば『空の境界』の色がある。冒頭の飛び降りのエピソードなどは(飛び降りと言うネタの被り具合をさておいても)、およそ一般的な常識では理解出来ない犯人と、そして被害者の動機が事件の真相を構築しており、事件が解決したあとも、その動機に共感はさっぱり出来ないものの、そこには何がしかの”理”は感じさせられるあたりに強くそれを感じる。この、設定ではなく、奈須きのこの”思想”部分をここまで忠実に受け継いでいるラノベは現状では記憶になかったので、すごく楽しかったのだった。

作品についてもう少し。先ほど、事件には必ず”理”が通っていると書いた。ただし、その”理”は異形の”理”であって、普通に考えるとどう考えても理が通っていないのだが、しかし、作中においては、作者特有の語り(騙り)によって、”理”が通っているような気にさせられてしまう。このあたり、まさに伝奇の面目躍如とでも言うところであり、実に本格派である。

異形とでも言う他のない事件を経て、物語は小田桐と繭墨の物語につながっていく。現実と夢が混じり合い、美と醜が入り乱れ、桜の花弁の散る場所に、彼女は立っている。死を弄び、不幸を笑う、残酷でおぞましき少女を前にして、鬼を孕んだ男は、その傍らに立ちたいと願う。繭墨あざかは、世間一般の感覚からすれば”邪悪”とさえ言える少女だが、善悪を超えたところで、彼女は”優しい”。彼女はなにものにも従わず、なにものも従えない。ただ、人々の生のすべてを肯定し、受け入れている。生も死も、幸福も不幸も、慈悲も残酷も、それらすべてを悦びを持って受け入れている。そんな彼女を、鬼を受け入れた男は、美しいと思うのだ。愛と執着の果てにすべてを失い、世界を壊された男は、地獄を受け入れてなお、彼女の傍らに立ち続ける。彼女はそんな鬼とともにある、地獄から逃れて新たな地獄に身を置くことを選んだ男を肯定し、祝福する。無残な生さえも、人間らしさであるとして。それは果てしないほどの残酷さか、あるいは優しさか。

これは、そんな”優しい”物語なのである。

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