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2010.02.24

『神さまのいない日曜日』

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神さまのいない日曜日』(入江君人/富士見ファンタジア文庫)を読んだ。

自分は美しいものが好きです。美しいものを見ると泣きたくなります。これはあるところで見た言葉ですけど、それは悲しいから泣くのではなくて、美しいものを見たと思うから泣きたくなると言う言葉があって、自分もまさにそれで泣くのです。なにかがかわいそうだから泣くのではないのです。

で、この作品の話になるんですが、どうやら作者もまた”美しいもの”を愛している人なんだろうな、と思ったのでした。別に感動的な話を書きたいわけではなく、お涙頂戴のを描きたいわけではない。読者を泣かせようとはしていません。アイは決して感情移入できるキャラクターではありません。その行動原理は直感的であり、理性的なものではありません。彼女の言動が読者に理解出来るようになるのは、物語の中盤以降になってからです。また、同様に主人公的な役割を担うハンプニーもまた感情移入の対象となりえません。物語の視点が常にアイに固定されていることもありますが、彼の内語は、本当に最後の最後まで明らかにされず、彼の行動はときに支離滅裂で、理不尽でさえあります。彼の行動原理のブレは実は無く、明らかになるのは物語の最後の方になります。

つまり、作者が描きたいことは、キャラクターそのものではないということです。これは自分の妄想です。あまり論理的な結論ではありませんが、出来ればご容赦をいただきたい。ただ自分が感じたことを書きます。

では何を描きたいのか。アイとハンプニーの、あまりにも短い刹那の関係性であると自分は思ったのでした。”すべての死者が死なない世界”において紡がれる、二人の物語。それは、その異常な世界観だからこそ紡ぐことが許された、奇跡的な出来事であると感じます。世界がこのように異常でなければ、このように二人が出会うことがなかった。そして最後のような救いを得ることはなかった。最後のような別れを味わうことなどなかった。世界は残酷であり無慈悲であり理不尽であり狂っているのだが、そのようになっていなければ二人はこのようにあることは出来なかった。

それを自分は美しい、と感じます。その二人のあり方が美しいと思います。世界は滅亡しており、死者は蘇り、世界はゆっくりと狂っている。醜く、おぞましい世界。だが、おぞましいからこそ、そこに美しいものが生まれる。吐き気がするほどの絶望の上に、人は美を見ることが出来る。作者が描きたかったものは、おそらくそのようなものではなかったないか、と思うのでした。

しかし、あたかも前言を翻すようですが、正直なところ、自分はこの作品はそれほど満足はしていません。一つの作品として考えるとどこか物足りない。絶望が足りない。狂気が足りない。希望が足りない。どこか甘い。そう思います。いろいろラノベ的な不純物も多く、もっと美しく出来たはずだという想いもあります。しかし、美しいものを描こうとした作者の意思は認めざるを得ないし、その意思の下に描かれたラストシーンは、確かに美しかったと思います。何の意味もなく、価値もなく、ただ”終わった”だけの最後は、確かに”きれいなもの”であった。

その一点のみでも、自分はこの作品を肯定したいと思います。

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