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2009.11.12

『ごくペン!』読了

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ごくペン!』(三原みつき/MF文庫J)読了。

極道で筆。なんですかその組み合わせは?と最初は怪訝に思ったけど、読んでいるうちにきちんと組み合わせの意味が分かるようになってきたことが良かったように思います。まああくまでも作中における定義として、極道(と言うか任侠)と言うのは、社会(この場合は学校)のカーストから弾き出されたアウトローであり弱者の行き着く場所であるとされている。ヤンキーが群雄割拠している毒マムシ学園においては力の弱いことこそが”悪”であるとする価値観なんですよね。まあこの学園の設定上は喧嘩の弱いもの=弱者=悪と言う図式になっているわけだけど、これを少数派=悪という図式に当てはめてみれば、普通に世の中に溢れている図式ですよね。で、個人的には世の中、少数派を虐げる社会に生きるのはしんどいので、そのあたりはきちんと権利が認められるような社会がいいなあとは思っているんですけど、やっぱに現実には少数派には厳しい。その厳しい現実と戦っていくにはどうしたらいいのか、と言う話で、そのアプローチの一つとして”ペン”が存在すると言うことなのではないかと思われます。ここで言うペンと言うのは、まあたぶんコミュニケーションの比喩であろうと思いますが、対話することにより、少数派を少数派(極道)たらしめる社会の構造にアプローチ(ペン)していくと言う物語なのでしょう。

まあこの作品はファンタジーですしライトノベルですからその戦っていく過程についてはとくに語るべきところではありません。が、主人公の認識の推移と言う点ではなかなかに興味深い描かれ方をしているように思います。主人公の五十嵐真太郎は、元々はエリートコースまっしぐらであった人間で、本来は多数派(の価値観)に属する人間です。いわゆる勝ち組というやつですね。力が正義の毒マムシ学園に来たことでも、持ち前の論理的なツッコミによって周囲から一目置かれるようになります。ただですね、このツッコミと言うのもそうなんですけど、真太郎は基本的に勝ち組の人間なので、”弱者”の気持ちがわからないんですよね。弱者でありたくないのであれば、強くなればいい。努力すればいい。そういう考え方をする人なわけです。ツッコミが上手いのも、基本的に上から目線なんですよね。粗が見えるので、そこの己の価値観でツッコミを入れる。で、そんな彼は極道の親分として”弱者”の居場所を作っている幼馴染の権田原凛子と再会するわけです。ただ、弱者の存在が理解出来ない真太郎は、彼女のやっていることはただの反社会的行為にしか写らない。これもまた当然であって、社会的弱者が弱者であるのは、実は本人の努力の問題ではないんですよね。社会が弱者を必要とするから弱者と言うのは生まれて来るわけです。だから社会的弱者を救うという行為はイコール反社会的行為となるわけです。社会の秩序に抵抗しているわけですからね。そして社会と言うものの恐ろしさは、その社会体制に応じて”誰でも弱者となりうる”と言うところなわけです。社会と言うもののよって弱者は選択され、役目を負わされる。

そして、激化するヤンキーとヤクザの抗争の末、真太郎もまた自らが弱者であることを知ることになります。正確には、社会体制によっては自分さえも弱者になりうるということを知るわけです。弱者に対する世界の理不尽を思い知ります。強者と弱者の関係と言うのは表裏一体の存在であることを知ります。その上で弱者でありたくないのではあればどうするのか、と言う展開になるわけなんですが、弱者として生きることは、決して人間性の剥奪を意味するものではなく、自分たちとて生きていて良いのだという(新しい)価値観を生み出した主人公はとても良かったと思います。このアプローチは正しく、おそらく弱者が強者に抗う唯一の方法でしょう。ただまあその実現に向けての手段についてはさっきも書きましたけどやっぱりファンタジーなので特に言うことは無いです。個人的は武力革命によって価値観を転倒させることによってそれまでの弱者を救済するという行為は、結局は新たな弱者を生むだけに過ぎないと思うので、後半の展開は手放しで認めることは出来ないんですが、平等などと言うものが本質的に実現不可能な命題であることを考えれば、これもまた歴史の一つとして受け入れるべきなのかもしれないな、と思ったりもしたのでした。フランス革命も血を流しまくったもんな。

まあとにかくこれはそういう話です。社会と弱者にまつわる話ですね。その結論部分は難しい問題なのですけど、それに果敢に挑戦したという点は評価に値するところだと思います。問題提起が面白すぎたゆえに、ラストが社会における悪(とみなされる人物)を倒して解決だぜー!と言う展開はやや残念ではあるけど、エンターテインメントのバランスとしては致し方ないところではあるのでしょう。もちろん普通に幼馴染二人のラブコメとして読んでもいいと思います。思想的な対立をしている二人が相互理解を深めていく展開は、定番ながら悪くない。あ、あとamazonのレビュー評価が異常に低いけど、これはさすがに不当な評価ですね。おそらく作者の問題提起を理解してないのでしょう。そこが肝だと思うんですが、まあエンタメ(と言うかラノベ)としてわかりにくいのは確かなので難しいところではあります。

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コメント

初めまして。度々参考にさせて貰っています。

>社会が弱者を必要とするから
ちょっと予想外のテーマですね。
ヤクザが~って部分で多少は予想していたのですが、社会(とか、世界全体?)のメタファーとして設定されてる感じなのでしょうか。平等では誰も努力しない→だから努力する、というのが主人公で、能力や環境に束縛されて、その努力がままならない状態にある生徒達、という関係かな、と今回の感想を読んで思ったのですが。

実はアマゾン評価のあまりの低さに手を出しかねていた部分があるのですが、これもマスの評価に振り回される典型の思考ですね(苦笑)
土日辺りに買ってみます。
ありがとうございました。

投稿: | 2009.11.13 15:53

まあ、これは自分が読みながら考えた妄想も入っているので、その点は割り引いてご判断いただければ幸いです。

ただ、この作品におけるヤクザは明らかに社会的弱者(作中ではスクールカーストの最下位と言う意味合いですが)として捉えられています。喧嘩が弱いというだけで周囲からイジメられ、つまはじきにされたものの寄せ集めなんですね。そのようなヤクザ=弱者たちはどうすればいいのか、と言うのがこの作品の主題になっているようです。たぶん。

投稿: 吉兆 | 2009.11.13 22:00

そういえば、全体がヤンキーだらけの学校って設定を重要視していませんでした(汗)

「社会的弱者が弱者であるのは、実は本人の努力の問題ではないんですよね。社会が弱者を必要とするから弱者と言うのは生まれて来るわけです」という部分が言及されているなら、これは珍しいな、と思ったのです。この場合、ヤンキー学校である舞台(作品世界の全体、作品内の社会)にあっても、弱者はヒエラルキーの中で絶対に必要とされてしまう(=絶対に生まれる)、ということなのでしょうか。(パン買ってこい、みたいな)

読んでもいないのに妄想が酷くなってきたので、この辺りで買って読んできます(苦笑)
お返事頂き、ありがとうございました。

投稿: | 2009.11.13 22:15

ものすごく余計なお世話だと思いますけど、これがデビューの新人なので、あまり期待しすぎると良くないかもしれません。まあ波長が合えば面白いのではないかと思います。

あと、社会が弱者を必要とする、あたりはほぼ僕の妄想です(笑)。ちょうどその手の思考を最近していたもので、ちょっと悪ノリしてしまいました。作中ではそんなにつっこんで描かれているわけではありません。

投稿: 吉兆 | 2009.11.13 23:23

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