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2009.10.18

『友だちの作り方』読了

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友だちの作り方』(愛洲かりみ/HJ文庫)読了。

冒頭のすさまじいまでの上遠野浩平の匂いのする台詞はブラフだった。すでに上遠野浩平はこのようにメタで消費されるしかないのか、と一瞬遠くを見てしまったが、そこまで普遍的になっていると考えればそれはそれですごいことのような気もする。セカイ系=上遠野浩平で記号化できると考えればその存在感の大きさは確かにある、ような気がする。妄言です。

えーと。前半の引っ込み思案な主人公視点の話は、良くも悪くも自分自身にも思い当たるところが多く、素直な気持ちで読めなかった。昔、こういうこともあったなーと思う気持ちと、すでにその気持ちは今の自分からは遠いと言う気持ちがあって、なんと言うか気恥ずかしい。なんか無意味に虚空に向かってすいません、と頭を下げたい気分。

その前半を受けて、少しだけ前向きになれた主人公の椛に突きつけられた別れと、主人公と外部の価値観のギャップによって物語が大きく転換していくところはなかなか良いのではないかと思うのだが、なにぶん前半のダメージが大きすぎて、評価がしにくいところがあるのが我ながらどうかと思った。ちょっと作品との距離感を誤ったなー、と言う感じだ。

だけどまあ、自己と他者の『視点』の相違と言うところに注目しているところは大変に面白い。そのアイディア一本勝負なところもストイック。ややもすると潔癖すぎて物語的にはカタルシスに欠けそうだが、そのあたりはすっぱりと割り切って描いているのは評価するべきかなー。

結局、主人公が他者に受け入れられること自体は内的な事象のみに留まるあたりが良くも悪くもファンタジーだよねと思ってしまったのは、これは持たないもののひがみと言うやつかもしれんので、無視する方向で。持って生まれたものを羨むのは簡単だが、たとえすべてを与えられたような人間であっても、持った人間は持ったなりの苦労があるはずなので、そこを羨んだり妬んだりするのは筋違いと言うものだ。それは持たないと言うことと同じくらい本人には責任の無いことなのだから。この物語とは直接関係ない話だけどさー。

えーと、結局、人間は分かり合うことなど出来ないけれど、そのわかり合えなさの中に希望があるって話かもなー。結局、虚構が二人を繋いだということで。自己規定は結局は虚構であって、本人の中にしかない。椛の自己規定は虚構ではあるんだけど、それを言い出したら柚木の自己規定も虚構であって。それは他者からの信頼によって、塗り替えられるものなのだろう、と思うのだった。

追記。ちょっと気になっているのが最後の一文。あれは冒頭の上遠野浩平的台詞に代表されるフィクションとしての自分、と言うものと関係があるのかなー。フィクションで始まった二人の関係は、しかし、醜くても現実で生きろ、と言うメッセージに行き着いてしまうのがこの話なわけだが、フィクションに意味などなかったのかと言えばそんなことはない、と言うバランスとしてあの一文を置いたのかなあ、などと思うのだった。

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