少数派の意見は否定されるべきではない
Something Orange経由で。
まあ結局面白いか面白くないかは読者の主観でしかないので、このような発言も当然かな、と思う。むしろこれに対して「手塚治虫は神様なんだよ!非難とか否定とかされるべきではないんだよ!」とぶった切られて議論の余地が出来なくなる方が不健全だ。誤解の無いように書いておくけど、一作者として「手塚治虫は最高!」と評するのはかまわない。自分も火の鳥とか大好きだし(むしろ火の鳥を駄作と評する人とは友達になれる自信が無い)。いけないのは、手塚治虫を過剰に権威化することだよな。漫画と言う文化の功績者としての手塚治虫と、一漫画家としての手塚治虫は切り離して考えないといけない。その功績を認めた上で、好きか嫌いかを判断するのならば、それは他者がどうこう言える問題ではないと思うな。だって、自分が傑作だって思ってても、それを理解されないなんてよくあることだもの。手塚治虫だけその例外にあたるなんて、それこそおかしいことだと思うよ。
まあ繰り返すようだけど、『火の鳥』、『どろろ』など手塚治虫の傑作群を貶める人とは友達になれる自信はないけどな!あれは今読んでも圧倒的に漫画的面白さに溢れているよ。
なんとなくだけど、嫌いな人と言うのは、あの過剰に記号的な絵が駄目なんじゃないかと思う。現代の漫画と比べると記号性が高すぎるからね。
あー?言い換えれば、現代に至るまでの漫画とは、いかに記号に肉付けしていくかと言う方向に進化をしてきたとも言えるわけか。記号に、ストーリーで、絵で、意味を付与していく。そうした肉付けを剥ぎ取ってしまえば、残るものは過去の漫画とそれほど変わらないのかもしれないな。…これでは現代の漫画は手塚の時代から進歩していないと言うありがちな擁護論になってしまうのかもな。まあ個人的にそうだと思っているんだけどー。
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コメント
この人は、火の鳥を面白くないと思ったのか……友達にはなれそうにないな。
手塚治虫は絵で魅せる漫画家じゃないので(スターシステムだし)、駄目だって人もいるんでしょうね。
投稿: がれ | 2009.08.23 12:17
この人、火の鳥を読んでいない可能性もありますね。第一印象が良くない漫画を網羅する気などわかないでしょうし。
人によっては、”絵”で漫画を判断する人も多いみたいです。可愛い絵じゃないと面白いと思えない、とか。
個人的には、それはずいぶん偏狭な読み方だなあ、とは思うんですけどね。この記事を書いた人がどうなのかはわからないですけど。
投稿: 吉兆 | 2009.08.23 12:23
ただ、その上で、手塚治虫が好きじゃない、と言う権利は誰にでもあると思います。自分が手塚治虫が好きという権利があると同様に、誰かが嫌いだと言う権利もある。
まあ、あまりいい気持ちはしませんけどね。この人はちゃんと手塚治虫の功績はみとめた上で語っているので、健全だと思いますよ。
投稿: 吉兆 | 2009.08.23 12:26
凄い人じゃないと思うのは何の問題もないし、作品が面白くないからという理由でそう結論付けるのも、ある意味正しい。
しかしこれは明らかに功績を認めると口にしているだけで、理解はしていない。
漫画に限らず全ての仕事に言えるが、すごさを認めている人間なら、先駆者の功績を「斬新で一番乗りが簡単に」や、「やりたい放題」と言える訳がない。
オブラートに包んでいるだけで、相手を軽んじた侮辱でしかない。
所々に保険を付けての、自分は人と違うところが見えているぜ的な、賢しげな偉人否定でしかない。
そういうつもりはないとそれらしく書いても、幼稚な心根が透けて見えるから、多くの人から反発をくらう。
投稿: | 2009.08.25 18:20
>しかしこれは明らかに功績を認めると口にしているだけで、理解はしていない。
まあ実際のところその辺りだと思うんですけどね。それでも口先だけでも礼儀を重んじているのならば、それは考慮すべきだと言うのが僕のスタンスです。結局、文章だけでは、単に浅慮なのか悪意があるのかと言うのは判断出来ない、と言うかしてはいけない(ま、建前ですけどね)。
要するに、相手が幼稚であるならば、それと同じ土俵で勝負する必要ではないのではないでしょうかね。相手の振る舞いに対して、反発するだけでは、相手を否定するだけで生産的ではないと思うなあ。
投稿: 吉兆 | 2009.08.26 20:40