『耳刈ネルリと奪われた七人の花婿』読了
『耳刈ネルリと奪われた七人の花婿』(石川博品/ファミ通文庫)読了。
素晴らしい。超面白かった。自分がこの文体に慣れたのか、あるいは作者も読みやすくしようと言う意図があるのか、ずいぶんと素直なエンタメとしても機能しているように思う。まあ、それでも基本、地の文が狂っていることには変わりがないんだけどさ…。主人公レイチの主観でもって主観現実を切り崩していくという作者のとった手法はもっと評価されていいと思う。たとえそれがシリアスな場面でもエロでバカは主観で描写しているとしても、いや、だからこそそこにレイチの感情(妄想、あるいは煩悩とも言う)を通じて、登場人物たちの姿を見出すことが出来るのである。
さて、1巻比べると、レイチの妄想もやや控えめ。なぜかと言うと、ほぼ全編はミュージカル劇の描写に費やされているからだ。さすがのレイチも事実そのものは変えられない。ネルリたちを初めとするクラスメイトたちが、ミュージカルを熱演する姿が、驚くほど直裁に描かれる。それは作品的には後退であろうか?読者に媚びていると捉えるべきだろうか?否、おそらくそうではない。作者はおそらく音楽と歌とダンスで綴られるミュージカルを描写することに力を注いでいる。文章のリズムで、間で、語りで。読んでいる僕は、文章の間に、確かなに音楽を感じ取った。舞台で繰り広げられる、大ネルリと七人の花婿たちの軽妙かつ熱狂的なミュージカルが、たしかにそこにあったのだ。それは方法こそ違えども、現実を侵食していくフィクションと言う作品テーマそのものへのアプローチだとさえ言えるようにおもうのだった。
あと、やや、脱線。この作品は、実はレイチの回想によるものであることが明らかにされた。これは自分の若気の至りとでも言うべき青春を、後に思い返しているという設定になっているようだ。それゆえの含羞が、彼に変態的な妄想を描写させているのかと思うと、ちょっと微笑ましい。だが、それゆえにこそ、彼の語りには注意を払わなければなるまい。彼の言うことに、果たしてどこまでの真実があるのか?回想である以上、そこにはいささかの疑義を抱かずにはいられない。彼の、ラストでの告白は、どこまでが真実なのだろう…と疑いつつ、でも、ここでのみ、彼は真実を語っているのではないか、思えてならないのだ。なぜかって?木を隠すには森の中。真実を隠すのは嘘の中、と言うわけなんじゃないかな、とかね。
まったく、しょうがねえヤツだなあ、と改めて思ったのことよ。
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コメント
コメント失礼します。
シリアスな場面でも緩めることなく(むしろだからこそと言うべきなのかも)投入されるエロでおバカなレイチの主観がとても好きな作品です。
そして本書はミュージカル描写が丁寧な上に熱く、これだけ多様な面で楽しい作品は吉兆さんの仰る通り、もっともっと評価されてもいいと思うんです。
ラストは静かな語りなのにとても強い感情が込められているように感じました。改行なしで語られるラスト11行は特に。
序文(幕の先)を読了後に再び読むと、どこか空虚さが増して感じとても興味深く思っています。
この幕の先、国語の教科書や試験の例文とかに載っていてもそんなに違和感ないのでは……とか思ってしまうの自分はマイノリティかもしれません(苦笑
あ、でも問題の“答え”を作るのが難しそうですね。(レイチはなぜ机の下に潜り込んでいるのですか? 30字以内で答えなさい──とか)
投稿: isaki. | 2009.07.13 21:16
冒頭の描写はすごく強い印象を受けますね。ふだん、エロかバカなことしか表現をしないレイチが、そのような描写を排するとどうなるか、というとああなるわけですよね。淡々とした中にも、レイチの深い感情が表現されていて、とても美しいです。でも、それは本編でも同じなんですよね。エロとバカで覆い隠されているだけで。バカバカしいように見えて、すごく真面目な作品なんだと思います。まあ、国語の教科書に向くかどうかわかりませんが(解釈の余地が多すぎるので)。
投稿: 吉兆 | 2009.07.13 23:06