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2009.06.02

『いつも心に剣を(2)』読了

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いつも心に剣を(2)』(十文字青/MF文庫J)読了。

この物語は、基本的に善悪が転倒している作品なんだな、と2巻を読みながら思った。この作品の構成上(原則的に)、主人公たちに感情移入が出来ないようになっていて、むしろ敵側である魔女たちに感情移入できるようになっている。それに対して人間は、明らかに歪んだ価値観によって正義と言う名の権力と暴力を振るい、弱者である魔女たちを駆逐していく。

ここに作者からのメッセージが一つ読み取れるように思う。それは、正さとは本当に正しいとは限らない、本当の意味で正しいことが、悪とされることさえあると言う至極シンプルなメッセージだ。なぜならば、明らかに読者が感情移入しやすい魔女側の描写がひどく暖かで、読者は明らかに主人公側の論理が間違っていることはすぐにわかる。魔女側の気持ちに立って物事を考えてしまうだろう。しかし、それは物語上では悪とされてしまうのだ。

それはもちろん理不尽である。やりきれない思いさえする。だが、それこそが”正義”と呼ばれるものの恐ろしさであり、なにより”自分を正義と信じた人間”の恐ろしさなのだ。

ユユとレーレ、二人の主人公の立ち位置は、その正しき不条理と弱き正しさの中間に存在している。ユユはもともと神を信じない(同時に種族間の差別もしない)とてもリベラルな感覚の持ち主として描かれているし、人間側にも魔女側の事情にもある程度通じている。言うなれば、ユユの感覚がこの作品内においてもっとも正しいことであると規定されているんですよね。彼女が感じたことが、作品内でもっとも公平で、誠実なものとして扱われている。彼女がやっていることは相手の弱みに付け込んだりとなかなかひどいこともしているのだが、それは”生きる”と言うことに彼女が誠実であることの証左であると言える。そんなユユに判断をゆだねているレーレは、ある意味、非常に賢明であると言えるのは皮肉なことだ。そんなレーレは、実はユユとは真逆の存在として描かれている。彼は、神を信じていないが、同時に魔女も信じておらず、もっと言えば他者に興味がまったくない。彼の判断には、常にユユが、次にレーレが生きていけるか、と言うことだけであり、その意味ではユユと違った意味で公平であるといえる。あらゆる事象を平等に価値を認めていないと言う意味では。

ユユとレーレの共通点は、どちらの側であったとしてもアウトサイダーであると言うことだ。どちらの側にも属することの出来ない二人は、生きていくために、あらゆるものを利用し、騙し、出し抜いて行かざるを得ない。特殊な力、絶対的な力を持たない二人にとっては、生きていくことさえ精一杯なのだ。

その姿は醜く、非道でさえある。弱みに付け込むやり方で相手を操ることは決して褒められたことではあるまい。だが、もし彼らのやることが醜く、非道なのであれば、それは世界そのものが醜く、非道なのだ。彼らはそんな醜い世界で生きていくために必要な行動をとっているに過ぎない。彼らの行動は、世界の鏡であるのだから。

世界は醜い。正義は行われず、愛は人を救わない。それはこの物語中でも幾度も表れるテーマだ。人々はわかりあうことが出来ず、傷つけあい、憎みあう。その狭間で翻弄されるユユとレーレの姿を通して、作者は何を描こうとしているのだろうか。一読者として、作者の見せてくれる答えを期待したい。

追記。まあ、打ち切られなければだけど。

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