« 買ったもの | トップページ | 日々の雑記 »

2009.05.20

『風樹の剣 日向景一郎シリーズⅠ』読了

51kzxw7kxcl

風樹の剣 日向景一郎シリーズⅠ』(北方謙三/新潮文庫)読了。

はふー…健ちゃんの文章サイコー…。疲れた時には最高の癒し系だぜ…。などと言うのは妄言以外なにものでもないが、言っていることは本当だ。自分は北方謙三の熱狂的ファンと言うわけではないのだが、この人の文章はとにかく好きだ。断ち切るような剛直な文章がなんとも格好良い。とくに日向景一郎シリーズは、派手でありながら静謐ともよべる剣戟アクションがものすげー格好良く、ライトノベル読者にとくにおススメ。”剣術”と言うのは、単純に強いとか弱いとかでは計れない奥深さが実感できるので、ラノベの剣術アクションに飽いた人にもおススメですぞ。達人と言うもののすごさが理解できたようになります。例えば、主人公の景一郎は、臆病者なんですよね。斬りあいを恐ろしがっている。ラノベ的にはヒーローの資格はないんですが、北方謙三的にはちょっと違う。本能レベルで恐怖しているから、無意識の内に相手の斬撃を回避できる。むしろ天凛とみなされる分けです。また、単純に剣技に優れたものが勝つのではなく、剣の戦いと言うのは、まさに己との戦いであると言うことも描写されていて、マジでかっこいい。こういうところに金鉱と言うのは眠っているんだよなあ。

話題が逸れた。内容について語ろう。

一言で言えば、日向景一郎青年の青春、と呼べる物語だ。だが、彼の青春は、あまりにも血塗られ、無残である。病んだ祖父と共に旅をする青年、景一郎は、あるとき謎の刺客たちに襲われる。剣豪である祖父は刺客と戦い壮烈な死を遂げる。そして祖父は、景一郎に一つの遺言を残す。すなわち「父を斬れ」。父親を切らねば、景一郎の生きる世界はこの世に無い、と言う。そして、景一郎の旅は始まる。己の手で父を殺すべく、修羅の道へと。

先ほど、この物語は日向景一郎と言う一人の青年の青春を描いた作品だと書いた。剣の技量は祖父に鍛えられ、人一倍優れているものの、同時に人一倍臆病で、初めての真剣の立会いにおいては小便を漏らすような、そんな青年である。普通ならば、青春物語を描くのであれば、そんな彼が一人前の剣の達人へと成長する物語になるのが誰しもが考えるところだろう。ところが北方謙三はそんな読者の予想を簡単に覆す。言うなれば、この物語は、アンチビルドゥンクスロマンなのだ。

日向景一郎の旅は、凄惨の一言だ。謎の刺客に襲われ、獣のように血と刃の下を潜り抜ける旅。その旅は、彼から”人間としての大切なもの”を、一つ一つ削ぎ落としていく。束の間に得た友誼も、純朴な恋心も、人間的な情愛を、逡巡を、殺戮への忌避を。人間的なものを一つ一つ亡くして行くにつれて、景一郎は一匹の”けだもの”へと純化していく。人間的な情理に囚われぬ、己の本能のままに猛る”けだもの”に。それは明らかに修羅への道。人でなしへの道だ。

彼はけだものの、修羅の道を突き進む。人間的な何かを失いながら。父を追う。人を切り、獣を殺し、肉を食い、女を犯し、また殺す。それでいながら、景一郎の姿には、一点の醜さも感じられない。けだものでありながら、人間的な理を超越し、透徹した眼差しをたたえ続ける。それは、まさに野獣の美しさだ。彼は人ではなく、野獣として生きている。そこには人間的な欲望の一切を捨て去った、一つの悟りの境地でもある。そこに至った景一郎は、紛れもなくけだものであり、非人間的な美しい”なにか”だ。

景一郎の旅は、父と呼べる人と出会ったとき、終わりを告げる。血河を築いてきた親子の最後の対決。そこにあるのは憎悪か悲哀かそれとも愛か。けだものの親子が咆哮を上げて食らい合うクライマックス。

すべてが終わった後に残るのは、無明の風が吹くのみ。景一郎の行く末が語られるのは、また別の物語である。

|

« 買ったもの | トップページ | 日々の雑記 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29313/45075027

この記事へのトラックバック一覧です: 『風樹の剣 日向景一郎シリーズⅠ』読了:

« 買ったもの | トップページ | 日々の雑記 »