『オウガにズームUP!(2)』読了
『オウガにズームUP!(2)』(穂史賀雅也/MF文庫J)読了。
ライトノベルとしての普遍性をもちつつ、作者らしいキャラクターの機微を楽しめる作品で、存外完成度は高い。一般向けに作りすぎではないか、と捉えるのは原理的過ぎるというものだろう。これはこれで素晴らしいものだ。
ユージのククルに対する感情の潔癖さは、まさしく少年らしくて好ましい。個人的には愛情も親愛も友情も同根のものではないかと思うし、好きという感情をいちいち自分の中で区分けする必要はないと思うのだが、それをいろいろ考えてしまうのも若さなんだろうなあ(なんて書くと自分がものすごく歳を取った気がする…)。自分の中で規定したことに束縛されて、勝手に苛立っているユージにはすごく共感する。人間、何に一番囚われるといえば、自分にこそ囚われてしまうのだよな。自分の価値観、判断、偏見、そう言ったものに対する束縛こそ、もっとも恐れるべきなのだ。自分の偏見に囚われて、自分の行為が歪められてはないか?ユージのククルに対する感情はまさにその偏見から端を発している。
好ましい、と思う気持ちは、別に区分けする必要は無いんだよね。好ましく思うのならば、それで他に何が必要だというのか。これは男女間の感情ではない、なんて自分で決め付けることは全然ないのだ。人間の心なんてものは、状況と環境によっていくらでも変わっていくものなのだから。
まあこれは、”愛”ってなんですか問題にもつながる話なので、難しいね。愛することを知らない人間ほど、自分の感情に値札をつける。まあオレも全然他人様のことは言えませんけど、まあ好きとか嫌いとかと言う感情は流動的なものに過ぎず、確固たるものなんて無いんだ、と言うぐらいには理解している。
つまり、運命的な出会いなんて無いんだということ。いつも一緒にいれば親しみを持つし、親しみは好意へつながるし、好意は恋と何が違うのさ?まあ本人にはいろいろ違うのだろうけど、客観的にはどっちも対してかわんねー。
だからユージ君は、恋愛感情が持てればいいのに、なんて悩まなくてもいいんだよ。いつも一緒にいる相手を気にかけてやるだけでいいのさ。
なんてことは本人だってわかっていることなんだろうけどね。まったく外野の出る幕じゃねーよなー。
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