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2009.03.07

『いつも心に剣を(1)』読了

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いつも心に剣を(1)』(十文字青/MF文庫J)読了。

十文字青は何時いかなる時も十文字青でありそれ以外何者でもないと言うことを実感させられる作品だった。この人、容赦とか手加減とかそういう言葉をどこかに置き忘れているとしか思えないぜ。この作者にしては薄いので、どうなるのかと思ったら全然問題なかった。すごく面白かった。

特にユユとレーレのキャラクターとその関係性にすごく興味を引かれた。ユユとレーレの関係は、これが実に二重三重にねじくれたており、奇怪で、およそ健全とは言い難い、ひどく歪んだ関係だ。二人は兄妹の関係に近いのだが、同時に、ぶっちゃけた話、性欲的なものも絡み付いており、単純に兄妹の関係と言い切ることは出来ない。とはいえ、恋人の関係と言うわけではまったくなく、とくにユユはレーレとの一定の距離を意識的にとっているふしがある。そのくせ、お互いに依存しているという非常に不安定な関係なのだ。

ユユとレーレがお互いをどう思っているのか。それもなかなか一筋縄ではいかない。ユユがレーレに対して一定の距離を保とうとしているのは、「自分はレーレに触ってもいいが、レーレは自分に障っては駄目」とレーレに対して突きつけていることからもわかる。これは、レーレがユユに向けるまなざしには、兄としてのものではなく、性的な欲望を抱いている(と少なくともユユが思っている)レーレに対する牽制ではないかと思う。牽制、と言うとちょっと言葉が強いかもしれないが、ある種の隔意のようなものか。ユユはレーレに対しては、兄妹としての親愛はあるものの、それは恋愛感情ではないようなんですね。レーレの気持ちを知っていてこのように振舞うのだからかなりひどいのだけど、レーレはユユの”タイプ”ではないからしょうがないと言えばしょうがないのかもしれません。ユユのタイプについては、ユユが魔王グルブブと出会った時にこのように書かれている。不自然なほどに美しくて、こちらを見ているくせに見ていないようで、おそらく途方もなく傲岸不遜で、誰にも、何にもへりくだらない。正直、好みのタイプだ。また、いるはずがないと思っていた。とも書かれている。ユユは気が強く、誇り高く、不屈で不羈な人物であり、人間的な弱さを拒否しているところがある。その意味では、彼女自身は非常に健全な人物なんですよね。生命力に満ちていて、自分の道は自分で定めようと言う意思がある。これは本当にすごいことで、実践することは簡単じゃあありません。一見、レーレに守られているだけに見えるけど、それは彼女の強さを貶めるものではないのです。もし、レーレがいなくても、おそらく彼女は自分の意思を貫くでしょう。それがたとえ無残な死をもって迎えられたとしても、それは決して彼女の敗北を意味しない。そう言った強さが彼女には伺えます。レーレが彼女を守ろうとする気持ちは、その意味ではまったく納得の行くもので、これほどに高貴な存在を、助けないなんて人間としてありえない話だとさえ思います。

ところが、レーレが関わってくると、この関係はものすごくややこしくなる。と言うか、レーレというキャラクターがものすごくややこしいのです。簡単に言えば、レーレは人間としては完全に”壊れて”います。なぜならば、彼は、自分を含めたあらゆる存在に価値を見出していないからです。正確には、ユユ以外のあらゆる存在に、価値を認めていない。これはちょっと人間としてはどうかと思うほどのぶっ壊れ方をしています。僕は、彼のキャラクターは同作者のシリーズ『ANGEL+DIVE』の主人公、夏彦と同じ傾向のキャラクターだと考えているんですが、共通するのは、彼らは一見したところは、ちょっと、いやかなりぼんやりしたお人好しな少年にしか見えません。その行動は他人を傷つけることはなく、むしろ大人しいとさえ言える。どんな相手にも公平に接し、優しいとさえ言える行動をとる。しかしそれは、世界に対する無関心さの現れに過ぎないのです。世界に対して無関心だからこそ、彼らは世界に対してどこまでも優しい。なぜなら何一つ関心がないから。興味がないからいくらでも優しくできる。世界に対してなんの期待もしていないから、どんなことがあっても怒らず受け流すことが出来る。夏彦は価値を認めている(と思われる)存在(例外的な存在)が複数いるという時点で、ある程度の救いがまだある。完全に無関心になるには、まだ耐性があるわけです。しかし、レーレにとっては、ユユ以外には何一つない。彼を世界につなぎとめているものは、ユユ以外には存在しないのです。世界に大切なものがあるとすれば、それはユユだけ。レーレの根本には、そんな底なしの虚無があるように思います。おそらく、レーレはユユと別れたとしても生きていくことは出来るでしょう。生きるだけならなんの問題もないでしょう。ただし、もはや社会と交わって生きることは、おそらく難しいのではないかと思います。犯罪を躊躇なく行えるサイコパスになるか、あるいは社会から背を向けた隠遁者になるか、まだレーレを見切れていないので断言は出来ませんが、少なくとも”普通”に暮らすことは無理だと思います。その意味では、レーレがユユを守っているのではなく、レーレこそユユに守られているのだとも言えますね。ユユは、レーレと世界の間をつなぐ架け橋となって、かろうじてレーレをこちら側に引き止めていると言えるでしょう。

結局、この二人は、相互に依存し合っています。ユユはレーレがいなければ生きていくことさえままならず、レーレはユユがいなければ世界とのつながりを失ってしまいます(正確には、ユユはレーレではなく別の庇護者を見出すことが出来れば生きていけるので、ユユの方がむしろ”強い”)。ユユはレーレに対して、性的な接触からは一線を隔し、レーレはユユに対する感情(これも読み取り難いところで、レーレが具体的にユユに対してどのような想いを抱いているのか、今ひとつわからない。愛情か?肉欲か?崇拝か?庇護欲か?これは、今後の展開を見てから判断する必要があるかもしれません。それ次第では関係性を見直すことになるかも)を抱きつつも、決してユユの意思に逆らうことはありません。二人はそうしてお互いに甘え、支えあって生きているのです。

そのように、ある意味においては完結してしまっている二人の関係は、しかし、物語が進むにつれて起こる出来事に、揺らがされていきます。人間と魔女の戦い。魔女と魔王の結びつき。迫害されたものたちの悲哀。いくつもの関係が二人の世界を動かしていきます。ユユは、誇り高く生きるとはどういうことなのかを実践している存在と出会い、自分の生き方に一定の方針を得ます。レーレは、ユユさえいれば良いという自分の世界を守るため、他者の世界を破滅に追いやることにより、自己の世界へ埋没に対する痛烈な自己批判を受けます。それはそれまでの彼らが味わったことの無い衝撃であったことでしょう。今回は、まだあくまでも取っ掛かり過ぎず、綻んだ彼らの世界は、ユユの言葉によって修復されました。しかし、おそらくは、物語が進むにつれて、さらに二人の世界には大きな衝撃が与えられる展開になるのだろうと思います。それは、依存し合い、お互いの中にしか自分を見ていなかった二人が、外の世界に踏み出す、あるいは受け入れることになるのではないかと考えています。己のナルシズムから脱却すること。それは本当に難しいことで、現実的にも非常に困難な行為です。しかし、だからこそ、フィクションで描く価値がある。現実で困難なことを描ききってこそ、フィクションの存在意義がある。十文字青は、ライトノベル作家としては稀有なほどに、物語を紡ぐことに自覚的です。なんのために物語るのか。それをすごく意識していると思います。このような困難な物語を、きちんと決着させることが出来るのか。正直、茨の道を進んでいるとしか思えませんが、この作者ならば、あるいはなんらかの決着をもたらしてくれるのではないか、と期待しています。期待しています、としか言えない自分がもどかしいとさえ、僕は思っているのです。

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