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2009.01.22

物語優先の物語とキャラクター優先の物語

http://kiicho.txt-nifty.com/tundoku/2009/01/5-c820.html#comment-34909690

上のエントリのhatikadukiさんのコメントに返答しようとしたら、ちょっと長くなってしまったので別エントリを立てます。

昔からぼくは物語主導の作品が好きで、キャラクター主導タイプの作品はそれほどでもない傾向がありまして。(ここで言う物語主導と言うのは、作者の描きたいストーリーというのがまずあり、キャラクターはそれに従属している作品、キャラクター主導はストーリーよりもキャラクターを動かすことを重視している作品を指しています。まああくまでも便宜上であり、実際にきっちり作品を区分けすることは出来ませんが)

そのため、バッカーノなどは、実際、ぼくの中では”傑作”とまでは評価できていません。作者にとって描きたい物語よりもキャラクターをいかに動かすかと言う点を重視しているように見えるからです。もちろん客観的に見て、ある分野において優れた作品であることは理解していますし、読んでいてすごく面白いとさえ思うのですが、好きかといわれると、うーん、と首をひねってしまう。面白いと思うことと、好きになれるかと言うことは必ずしも一致しないんですよね。同じ傾向を持つ作品として、とある魔術の禁書目録などもあります。

しかし、例えばゼロの使い魔は、世界設定やキャラクターの設定が非常に精緻な作り方をしているところなどを非常に高く評価しています。たしかに描写そのものには弱いところもありますけど…。ただ、この作品には根本的に”物語を語るためにキャラクターがいる”という認識がある、と、ぼくは思っています。物語というのは基本的に始まりがあって、終わりがあるもの。つまり、物語主導の作品とは(引き伸ばしこそあれ)常に終わりを志向している作品であり、また、物語のために、キャラクターを犠牲にすることさえする(けっこう立ち始めたキャラクターであっても容赦なく物語から退場させる)。不可逆性の物語と言えるのでしょう(そういう作品は、ぼくはけっこう無意識に贔屓にしてしまうみたいなんですよね)。それに対して、これはキャラクターを動かすことを主目的とする作品では、基本的にキャラさえ動いていれば永遠に物語を続けることが出来る。

ただ、重要なことは、物語主導の作品も、キャラクター主導の作品も、どちらが優れているとかそういう話ではなく、どちらでもあっていいし、どちらもにも傑作が存在していると言うことです。あるいは物語主導な要素があるし、キャラクター主導な要素もある作品もある(と言うか、単純に区分けできない)。なので、本当にこの区分はぼくの趣味の問題です。

で、林トモアキについての話になるわけですが、作品はとても面白いと言うことはわかるのですけど、好きな部分と苦手な部分がどちらも非常に大きいのです。どちらかといえばキャラクター主導を志向しているように見えるのですけど、一方で物語を閉じようとする強い物語性も感じさせます。とくにこのマスラヲシリーズは、キャラクターを動かそうという志向と物語を閉じようとする志向が拮抗していて、非常にいびつな作品になっている(例えば例にも挙げた決勝戦のシーンは、物語的には省略可能だと思うのだけど、それでもキャラクター的にあえて描くところに歪みがある)。クライマックスに向け、すさまじいテンションを見せていく上で、えーそれを取りこぼしちゃうのか、というところがあり、今回のような歯切れの悪い内容になってしまったわけです。

まあ実際のところ、作者はけっこう天然に書いているだけなのかもしれないんですけどね(妄想)。まとまりの無い内容ですが、以上、言い訳でした。

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コメント

初期のバッカーノは、キャラクターが主でストーリーが従と言うわけでもなくて、ただただもうまったくお互いが無関係なだけなんだと思います。
これがマスラヲになると、ストーリーとキャラクターのみならず、トンデモ設定や造語のひとつひとつまでが個別の論理に従う存在として自立し、それらがお互いに干渉し合うもんで、あのしっちゃかめっちゃかのお祭り感覚が生まれるのではないでしょうか。ケイオスヘキサの正統後継者みたいな。

投稿: hatikaduki | 2009.01.27 14:41

>初期のバッカーノは、キャラクターが主でストーリーが従と言うわけでもなくて、ただただもうまったくお互いが無関係なだけなんだと思います。

そうですかー。うーん、どちらかと言うと、キャラクターに方向性だけを与えて、ほったらかしたような話だと思うんですけど。キャラとストーリーが完全に無関係になる話って、そもそもあるのかなあ。

マスラヲのしっちゃかめちゃかとケイオスヘキサとの比較は考慮していませんでした。面白い視点かもしれませんね。ともあれ、マスラヲが傑作であると言う点には疑問の余地はありません。あのパワーは確かに凄まじい。そしてそのパワーを曲がりなりにも収束させて決着を綺麗につけた作者の腕力もすごい。まあ、そのまとめ方がすごく散らかっていると思うか、むしろそこをテンションの高さと見るかによって作品の捉え方が変わるような気がします。

投稿: 吉兆 | 2009.01.27 22:27

しっちゃかめっちゃかであることと、話をまとめる剛腕は表裏一体で、まとめる力がないと良作とは言えんですよね。マスラヲみたいな作品でも。
ただ、あんまりにも作品がただ一つの論理に回収されちゃうと、それはそれで世界が狭い感じがして息苦しいので、いくらかは「世界の命運も作者の事情もオレの知ったことじゃないわ!」てなロッケンローラーなひとがいてくれると、ああこの世界はちゃんとしてるな、と安心できます。自分の好みの話ですが。

バッカーノは物語全体を把握してるキャラがだれもいないタイプの話で、むしろこれほどキャラを物語のためのコマとして扱ってるラノベもないんじゃないかと思うのですが。セラード爺の野望が、よりによってランディとペッチョのせいで(本人達にその自覚なしに)挫折してるあたりとか、たいへんいい感じに空気読んでなくて好みです。

投稿: hatikaduki | 2009.01.27 23:58

>「世界の命運も作者の事情もオレの知ったことじゃないわ!」てなロッケンローラーなひとがいてくれると、ああこの世界はちゃんとしてるな、と安心できます。

それは作品内部のキャラクターの中に、と言うことですよね?そうですね、登場人物の中で複数の価値観が相対的に存在していると言うのは、作品の深みにつながりますね。マスラヲはわりとそのあたりはおおらかな感じですね(まあ作者がまとめる気がなさそうな気もしますけど)。
ところでぼくが使った”まとめる”と言うのは、物語に収拾をつけて決着させた、程度の意味合いですので、キャラクターの価値観までは考えていませんでした。

>バッカーノは物語全体を把握してるキャラがだれもいないタイプの話

ふーむ。キャラクターがパズルのピースのように扱われていて、キャラクターを組み合わせていくと物語が出来上がっていると言うことかな…。その場合、ストーリーが従なのか主なのか…。すいません。ちょっと良く分からなくなりました(笑)。あとで余裕があれば整理してみます。もともと物語主導、キャラ主導と言う定義も曖昧ですし…。

投稿: 吉兆 | 2009.01.28 00:27

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