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2008.11.07

『戦争における「人殺し」の心理学』読了

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戦争における「人殺し」の心理学』(デーヴ・グロスマン/ちくま学芸文庫)読了。

あー。これを読んで、メタルギアソリッドや虐殺器官についての理解が深まった気がする。正確には、なんであの人たちはあんなゲームや小説を作らなければなかなかったのか、と言う問題提起のあり方に、ほんの少しだけ理解できたような気がする。

簡単に言えば、殺人に対して、快楽するでも罪悪感を感じないではいられない、普通の人間が殺人を犯すと言うことはどういうことかを、動機と手段の面で徹底して論理的に書いた本なのだ。そこには倫理的側面は描かれては無い。なぜなら、戦争に倫理を持ち込むほど愚かしいものではないから…なのだが、今回の本の内容とは異なるので省略。

ようするに、MGSなどのゲーム、虐殺器官などの小説、あらゆるエンターテインメントには、”死”と”殺人”と言う行為が結びついている。では、”殺人”に至る過程において、人間はどのような葛藤に晒されるのか、そして”殺人”に至ったとき、人はいかなる影響を受けるのか。それらを感情的になるのでもなく、冷静に、淡々として筆致で書かれている。決して戦争を肯定しているわけでも、逆に否定しているわけでもない。ただ、同じ”人間”を殺すと言うことは、人間にとって想像を絶する行為である、と言うことが繰り返し繰り返し語っている。我々が何の気なしに”消費”してしまっている殺人、死という記号を、改めて突きつけられる思いだった。

これはとても誠実な本だと思う。

以下、雑感。

・これ読んで、ソリッド・スネークが何故最強の兵士になれたのかわかった。あの作品では”遺伝子”と呼ばれていたけど、能力よりなにより、殺人に対する本能が一際優れているからだったんだな。

・P109.に虐殺器官における、薬物療法による殺人への忌避本能を和らげるというそのまんまの話が乗っていてびびる。本当にあるんだな。

・人間が”人間を殺す”と言うことは、想像を絶する心理的抵抗感があるんだなあ。なんか、そのあたりのリアリズムが深められた認識がある。人間は、恐怖に屈するのではない。悪意に屈するのだ、みたいな。

・映画『レオン』において、「優秀な殺し屋ほど獲物に接近して殺す」と言うようなセリフがあったと記憶しているが、アレの真意がようやく分かった。要するに、優秀な殺し屋ほど、殺しに対する抵抗感が少なく、その分獲物に接近して殺せる。接近して殺せなくなった殺し屋は、心が壊れかけていると言うことで、使い物にならなくなると言うことか。

・『虐殺器官』はこの本の副読本のような位置付けと言ってしまえるような気がする。実践編、とでも言うのか。この本に書かれている人が人を殺す方法論を、手を変え品を変えて描写している。

・後半、ベトナム戦争の項目になると、推定と決め付けが多くなっているのが気になる。また、目的ありきで論理を組み立てているところもあり、それまでの、いっそ冷徹なまでの筆致からは随分違和感があった。思うに、作者はベトナム戦争と帰還兵に対して過剰な思い入れがあるのだろう。これは日本人にはわからない感覚なのかもしれない。

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