『アクマ・オージ』読了
『アクマ・オージ 』(岡崎裕信/スーパーダッシュ文庫)読了。
いつも通りの岡崎節であった。世界のすべてを背負っているかのような主人公の自意識に共感するか、鬱陶しく思うかで作品の評価が正反対になりそうな話ではあるな。それもいつものこと。個人的に、主人公にはそこまで人生思いつめなくても世界というか社会は(悪い言い方をすれば)君に対して興味はもっていないよ、と言ってやりたい気持ちが強いのだが、まあそれは余計なお世話というものなのだろう。人間は自分の”セカイ”からは容易く逃れられぬものだから。セカイを決めるのは、本人に課せられた義務にして権利であるからして、他人が賢しらに批評されるべきものではないのだろう。
そんな風に自意識に囚われまくった主人公が、自分のセカイの中で精一杯の事をしようと足掻くのがこの話の本筋。だれか助けてやれよ、と(またしても)言ってやりたくなるほどに孤立した主人公は、本当に何とかしてあげてください。破滅と言うか自滅への道へまっしぐらですよ。主人公は自分の正しいと思うことをやっているわけだけど、それが他者にとって正しいことなのか、と言う内相を欠いているのが、危なっかしい。思い込んだら命がけ、とは言われるが、命を賭けすぎだろう。結局、彼自身のセカイ観から離れられず、どこまでも救われない。
この物語には、主人公を叱ってくれる大人がいないのが最大の問題なのだと思う。主人公に対するカウンターが無い。彼の思想に否を唱えられるだけの別の思想が存在しない。よって物語に止揚が生まれない。ゆえに彼は救われない…なぜなら変わることが出来ないから。まったくふざけんじゃねえ、って話だよ!
”ふうぢんけん”の人がもうちょっと何とかしてあげるべきだろう!と勝手に憤っている吉兆でした。
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コメント
そうやって作中人物の為に憤ってあげられる吉兆さんって……優しいんだなぁ、と思います。
投稿: 射手座 | 2008.10.24 11:15
な、なんか微妙な言われようですね。
まあ、正確には主人公のために腹を立てているわけではなくて、主人公が救われないことが物語上定められているあたり、作者の作り方が気に入らないなあ、と思っただけなんですけどね。勘違いしないでよ!(ツンデレってみました)
投稿: 吉兆 | 2008.10.24 22:01