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2008.10.08

『されど罪人は竜と踊るDD(1) Dances with the Dragons』読了

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されど罪人は竜と踊る(1) Dances with the Dragons』(浅井ラボ/ガガガ文庫)読了。

角川スニーカー文庫版は既読だが、まったくもって新鮮な気持ちで読めた。話の骨格はほぼ同じだが、細部が、場合よっては大きなところまで書き直されており、ほぼ別の作品と化している。大まかに言えば、前バージョンよりも格段に洗練されており、青臭い諦念はなりを潜め、非常に乾いたハードボイルドになっている。具体的にはガユスがかっけえ。前バージョンよりも格段にハードボイルドが増している。もしかしたら年齢設定も違うんじゃないか?と言う気もする(以前はせいぜい20代そこそこぐらいのイメージだったが、今回は20代後半ぐらいのイメージ)。彼の偽悪的、露悪的な態度が作品をものすごく青臭くしていたのだが、社会との態度が非常に大人らしくなっている(まあ完全に消えているわけじゃないが)。仲の悪い相棒のギギナとのやりとりも、まあギャグになっているところもあるが(と言うか多いが)、概ねハードボイルドの枠を壊すものではない。両者の信頼関係(本人たちは絶対に認めないだろうが)の描写が以前よりもナチュラル(あるいはマイルドに?)になってるように思う。

キャラクターの描写も綿密になっており、ガユス視点の物語だけではなく、群像劇的な要素が強まってきているのも好ましい。ガユス視点からは物語は絶望と虚無に満ちているのだが、他の登場人物にも彼らなりの葛藤があり、希望がある。決して物語を一面的に押し付けることがなくなっていることが、作品の根底に流れる虚無はそのままに、どこか爽やかさもともなっている。単に絶望を描くのではなく、その絶望に抵抗しようとする”もの”を描いているように思えるのだ。その意味では、以前のシリーズは一人称の物語であった。セカイ系の亜種とも言える。つまり、社会や運命と言った大いなるものに翻弄される個人の物語であった。しかし、今回のシリーズは三人称の物語であり、むしろモルディーンでさえ、大いなる存在に抗しようとする存在であることがはっきりとわかるように明示されており、より大きな視野に立った作品となっているように思う。セカイとは、無意味に希望があふれているわけではもちろんなく、絶望に満ちているわけでももちろんない。絶望と希望は等しく存在し、人々はその狭間でもがき、あがき、生きていこうとする力を、この作品からは感じ取れるのであった。

(補足)すでに言われているが、たしかに誤字脱字がひどい。ひどすぎて、間違いなのかあるいはそういう表現なのか迷うほどのひどさだ(ホートンの呼びかけが「ガユ」だったのはなんだったのだろう?「ガユス」の愛称なのか?しかし、それ以降、そんな呼び方をしていないところをみると単なる誤植のような…。他にも誤字脱字が多いので判断つかん)

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