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2008.07.18

『カーマロカ-将門異聞』読了

513njxwq2bl__ss500_カーマロカ-将門異聞』(三雲岳斗/FUTABAノベルス)読了。

なんとエロましい表紙か。エロましい表紙かー!(大事なことなので2回言いました)

ライトノベルと一般小説の越境作家と言う意味では、三雲岳斗はいわば野茂のような存在であると言える。まだまだライトノベルと言う言葉が一般に浸透していなかったころ(10年ぐらい前か?)、ライトノベルとSFやミステリを同時に書いていた人だから、ある意味、ラノベ史上(なにそれププッ)重要な位置にいる作家であろう。

ところが僕は、ライトノベル作家としての三雲岳斗には、さっぱり興味が無い人なのである。と言うか、三雲岳斗が書くライトノベルは、僕にはさっぱり面白くないのである。自分でもびっくりくらいさっぱり分からん。分からんがおどろくほどつまらない。不思議である。

それなのに僕は、SFもしくはミステリ、あるいは伝奇作家としての三雲岳斗は、とても好きなんである。『M.G.H. 楽園の鏡像』や『海底密室』など、SFとミステリを融合させながらバリバリの物理トリックに挑んだ意欲作は、もはや愛していると言っても過言ではない(ところでこれを書いている時に見たウィキペディアで、三雲岳斗が『メタルギアソリッド ポータブル OPS』のシナリオを書いているとあった。マジか!今プレイしているよ!)。ライトノベルを離れた三雲岳斗は、自分でもびっくりするくらい好きなんである。不思議である。

これについては、自分の中である程度結論は出ていて、結局のところ、三雲岳斗は、ライトノベル作家としては、あまりにも論理的過ぎるのが問題なのだろうと思うのである。論理的過ぎると言うのが欠点と言うのもあれであるが、ようするにハッタリ下手で、物語を逸脱できない作家なのであり、それは僕がライトノベル作家に対するものとしては、致命的であると思うんである。本当にひどい話である。

ところが、ライトノベルから離れてみれば、その欠点は長所に変わる。過剰なまでに論理的で、物語のあるべき方向性に固着する性質は、ミステリを書けば精緻な論理性に、SFを描けば系統立ちながら異形の論理性にたどり着く。物語の定型にこだわりすぎるところも、むしろ骨太な物語に通じてくるのである。同じ人間が書いているのに、なぜここまで面白さが異なるのかと言うのは、これは持論であるところの、結局、小説の面白さとは読み方の問題に過ぎないと言うところに繋がってくると思うのであるが、話が脱線するので言及しない。まあ、要するに世の中にはつまらない小説など無く、小説の面白さとは、読み手の問題に過ぎない、と言う話である。さして論拠のあるものではなく、個人的な意見に過ぎないので大きな声に主張したことはないのであるがな。どうでも良い話である。

さて、前置きが長すぎた。『カーマロカ-将門異聞』について書く。

もっともこの感想の流れとして既に予測できるであろうが、ようするにもの凄く面白かった、と言うことを伝えたいだけなんである。どういったところが面白いのか、と言う点を解説するのも野暮ではあるのだが、野暮を垂れ流すのがこのブログの本筋であるからして書くのだが、平たく言えば、論理性を信奉する三雲岳斗が、非論理の極みである山風的な伝奇小説を書こうとしたらどうなるか、という見本である。そも、山田風太郎忍法帳において、奇奇怪怪な忍法、妖術は数あれど、それが発生する理屈というものはもの凄く怪しげな屁理屈になることが多い。無論、山風的にはそれは狙ってやっているのである。その嘘くさい屁理屈が、作品全体を覆うあやかしに満ちた幻想を、どこか現実に引き止める作用があり、現実とも虚構ともつかぬ世界構築を成す。僕はそれを伝奇、と呼ぶのである。フィクションでありながら、現実への介入を果たそうとする試み。まあ要するに現実をファックしようということであり、実に背徳的な行為であるわけで、おやおや伝奇作家とはすべからく背徳的であるということが証明されてしまったのだが、まあ、それはさておく。

そういった先人に対して、三雲岳斗のアプローチの仕方がまた、なにやら伝奇小説の新しい地平、すなわち新たな現実へのファックのやり方を生み出していると言っても良く、それが素晴らしくスリリングなのだ。

先ほど、論理性の信奉者たる作者が、非論理の極みである伝奇小説を書いた、と表現した。それはどういうことかというと、伝奇的な嘘、ハッタリ、屁理屈を、作者は徹底的に論理的に、あるいは科学的に解体してしまうんである。もう、陰陽師の操る陰陽道も、修行僧のあやつる法力も、弓矢をはじく将門の武運も、稲妻を放つ力も、奇門遁甲、不死の女も、ありとあらゆる伝奇的な大法螺が、三雲岳斗によって解体されてしまう。論理的に説明をつけられてしまう。無論、三雲岳斗の論理もまた、伝奇小説の常として怪しげなのであるが、少なくとも今までの伝奇小説の説明よりもはるかに現実的にありうる”本当の”陰陽道とは、あるいは法力とは、あるいはこうではなかったか、と読者に思わせかねないほどの論理性である。というか、僕は思った

そんな、まるで本当のような大法螺(でも、もしかしたらひょっとして…?)を見事に突き通した点において、伝奇小説の新たな領域に到達していると共に、伝奇小説の嘘を見破るという点でミステリをしてもいる、という奇跡のような作品である、と僕は思うんである。この作品はもっと評価されてもいい。伝奇小説としても、こういうアプローチ(ファック)があるという、新たな可能性への証左であろう。作者にはただ感謝の念を捧げたい。

ところで、この文体は普段よりも疲れるので、もうやらないと思う。

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コメント

ランブルフィッシュも駄目なんですか?

投稿: | 2008.07.19 00:07

不思議なことに駄目なんです。

読んでいていても面白さが分からないんです。

自分でも本当に不思議です。

投稿: 吉兆 | 2008.07.19 05:04

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