『<本の姫>は謳う(2)』読了
『<本の姫>は謳う(2)』(多崎礼/中央公論新社)読了。
過去編のアザゼルパートと、現在編のアンガスパートのリンクが少しずつ明確なものとなり、今まで見えなかった新しいパラダイムの転換が起こりつつある。この、今まで見えていたものと言うのは、実はとある現実の一側面であるに過ぎず、新しい情報を元に全体を俯瞰してみれば、また別の側面が見えてくるのが素晴らしい。デビュー作で見せた精妙と言ってよい物語の見せ方は、やはり健在であった、と言うか、そもそもこの作者の個性なのだろう。一見無関係であるように見える破片が、実は意外なつながりを持っており、すべてが組み合わせてみれば、精緻な工芸品であることが分かるというような。今はまだ、破片を組み合わせていく途中であって、それゆえの興奮とも言うべきものがあって、目が離せない。
パラダイムの転換を読者に引き起こすと言う点にかけては本当にこの作者は恐るべきところで、卑俗な例で申し訳ないのだが、セラのキャラクターが判明したときの衝撃は、我ながら驚くべきものがあった。記号的表現は好きではないといいつつ、けっこう染まっていたようで、”失語症の少女”であったセラが、失語症から回復し、ある行動に出るときに、まったく記号とは異なるキャラクターが表出しており、一瞬、何が起こったのか認識できず混乱してしまった。思わず、そのページを何度も読み返してしまうほどだった。
結局、自分自身、失語症という記号に惑わされて(と言うか、先入観に支配されていて)、その本来のキャラクターを自然に決め付けていたわけだ。そこでまったく異なるパラダイムをぶつけられて、自分が見ていたセラは、単なる一部に過ぎなかったのだ、と言うことを、主人公のアンガスと共に驚かされたのだろう。
おそらく、そこにこの作者の本質が現れているのではないかと思うのだが、さて。
ともあれ、続きを非常に期待しております。
時間はかかっても全然かまいませんぜ。
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