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2008.05.09

『暁と黄昏の狭間』を読んだ

51nn86gjzcl__ss500_暁と黄昏の狭間Ⅰ 竜魚の書』『暁と黄昏の狭間Ⅱ 薬王樹の書』『暁と黄昏の狭間Ⅲ 角獣の書』(西魚リツコ/トクマ・ノベルズEdge)を読む。

ファンタジーではあるんだけど、世界を規定する法(いわゆる魔法の類)が一種類に規定されていないところが特異な点だと思う。一巻から、主人公は”生命魔術”と呼ばれる、人間の生命エネルギーを利用した魔法の力に巻き込まれているんだけど、この世界では、あくまで”生命魔法”とは、技術の一体系に過ぎなくて、他にもさまざまな文化が存在しているところが良いな。世界の奥行きが広がる感じがする。体系的な世界秩序を構築するのが悪いというわけじゃないけど、世界を単純化させてしまうというか…世界観そのものがキャラクター化してしまうところがあるから、ちょっと注意したい。まあ、別にそれが悪いわけではないけど、世界の掘り下げはし難くなるので。どちらかというと、さまざまな価値観が入り乱れるオリエンタリズム(西洋文明に対するカウンターという意味で)の方を好む自分が居ることに気がつきました。ていうか、昔からそんな傾向だったけど。違いを楽しむ、というわけではなく需要する心構えとでも言うんですかね。

それはともかく。

平凡な鍛冶師の娘セフルが、病弱な王子を癒すための生贄に選ばれてしまったことから、運命に翻弄されるという正統派ファンタジー。この主人公は生まれ故郷ではつまはじきにされていることによる、自分の居場所の喪失を抱え込みながら、本当の自分の居場所を探していくと言うのが骨格となるストーリーとなる。なんだかんだあって、常人の娘でさえいられなくなってしまう主人公の運命は、彼女自身にはほとんど非の無いものであるだけに、彼女の悲嘆は大きい。とある事情で特異なワン(生命エネルギー、生命魔術で言うところの”魔力”のようなものだけど、正確に言えば”気”に近いのかも)を宿してしまったものの、彼女自身は何の力もないところが厳しいことこの上ない(都合よくイヤボーンも出てこない)。

セフル自身、快活で前向きな性格ではあるものの、いかんせん、運命と対峙出来る力を持ち合わせているわけではないので、基本的に状況に流されてしまう。そんな彼女を私心なく助ける騎士、ギルダン・レイがまたもう一方の主人公として、さまざまな陰謀に立ち向かう冒険活劇が繰り広出られていく。ギルダン・レイもまた、物語の序盤において、彼の忠誠の対象である王子を失うことで、自らの居場所を喪失してしまっているため、この物語は、二人の主人公が、お互いの中に自分の居場所を見出す物語としても読めるのかもしれない。

ただ、ギルダン・レイに助けられているばかりだったセフルは、3巻において、ついに自分の意思をもって困難と向かい合うことが出来、自分の望みを見出すことが出来たことは、物語の大きなポイントになりそうでもある。セフルは自分の居場所を見出すことが出来るのか、ギルダン・レイにとって、セフルとはどんな存在なのか(喪失を埋め合わせるだけの代替物に過ぎないのか)など、まだまだ予断を許さないところである。

なんかまとまりの無い感想になってしまったが、ともあれ続きが楽しみなシリーズである。コンスタントに続きが出る登言うのは良いことですな。

どうでもいいんだが、ギルダン・レイは、今のままではロリコンの汚名は免れないと思うんだ(本当にどうでもいい)。

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コメント

オーノーだズラ。タイトルを誤っていることに先ほど気がついたズラ。

というわけで、

『時と黄昏の狭間』×
『暁と黄昏の狭間』○

なのでひとつよろしく、だズラ。

投稿: 吉兆 | 2008.05.09 13:12

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