『サーベイランスマニュアル』読了
『サーベイランスマニュアル』(関涼子/GA文庫)読了。
これね、とても良いです。良いものです。とりわけワイルドで粗野で不器用な大男と、賢く寛容な幼女の組み合わせが好きな人には特にオススメ。つまり僕だ。この関係性萌えはわりと女性に多いようだけれどもそんなこと関係なく僕は面白い。意義は認めない。
ま、それはそれとして(重要だけれどもとりあえず脇において)。
かわいそう、って言葉。この言葉が、すごく多様性のある使い方をされていて、僕の感覚にぴりぴりと引っかかる。
かわいそう。可哀想。可愛そう。
やさしく、慈愛に満ちていながら、どこか上から見下ろすような視点。弱いもの、愚かなもの、愛おしいものに向けられる言葉。
人は愚かで、間違いをたくさん犯すけれども、その愚かさそのものが愛おしい。人は傲慢で、他の人を傷つけてしまうけれども、償おうと足掻く姿が愛おしい。
そんな、どこか狂った慈愛に支配されているのが、この作品なのだと思う。
こんなひどい言葉を、作中でもっとも幼い容姿の少女に言わせるんだから、まったく見事に病んでいる作品だよなあ。
いや、むしろこれ以上に正しいことは無いのか?と言う気もするが。
過ちを犯すことが罪なのではない、過ちを正さないことが罪なのだ、とか。過ちを犯すことも許されない世界なんて、なんて生き難いんだ、みたいな。それを許してくれる存在として白装束の少女がいる、とか書いちゃうと風情が無さ過ぎるってものか。
”それ”は、我々(とか言っちゃうぜ?)を、無条件に許し、時に厳しく罰し、見守ってくれる存在なのだよね。
母性?それとも神?
まあ、そんなようなものだ、たぶん。
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